月1の骨粗しょう症注射で逆に骨折した母の話①

昨秋、両足の大腿部骨折をして入院し、
1週間に一度全身麻酔で片足ずつ
手術をした70代後半のうちの母。

4月頃まではもう一人で電車やバスに
乗ってでかけることは無理かも。
よろよろ両手で杖をついて歩いている
姿を見てそう思っていました。

が、7月に入ってあれ?
って思いました。杖をついていません。
なんと、スキップができます。
知らないうちに付き添いなく
病院にも1人で行けるようになりました。

なんか最近誘われないなぁ。
病院ないのかなぁと思ってたら。
勝手に1人で行ってるし!って感じで、
ひとまず私は担当を外れていいみたい。

昨秋入院していた病院で、トイレと
お風呂は一人でできるようにリハビリ
してくださっていたので、その点は、
本当にありがたくて、私は家事と、
父のお世話と、母の付き添いの
覚悟はできていた所のお役御免。
しばらく休憩できることになりラッキーです。

一番の苦痛は・・父のお世話。
父は年の割には若く見えて健康です。
でも家事が全くできません。っていうか、
覚える気がありません。洗濯は取り入れる
ことだけできるだけという次第で。
母のお見舞いよりもこっちの方が大問題。

しかも、今時のキレやすい老人で。
めんどくさいので波風を立てぬよう、
粛々とこなしていく以外楽な方法なし。
少しは母をいたわるように導きましたが、
うまくコントロールできていることを
祈るばかりな、疲労の原因第一位な父。
バセドウ病が悪化した原因はこやつですね。

で、母はなぜ、両大腿部を一度に
骨折したかという話をしようと思います。

こけたから?

ブー!はずれ!違います。
まず近所の病院に足が痛くて行った
時点では普通に歩いていました。
その病院で、大腿部に異常があるかもと、
大きな病院に紹介状をもらって行った時も
自分で普通に歩いて行きました。
ちょっと痛いなぁぐらいだったそうです。

診察室に入って、出るときには車椅子に
乗り、いろんな検査をし終えた後・・・・
入院する4人部屋送りにされてしまいました。
そう、何の用意も心の準備もしていないのに、
そのまま家に帰ることを許されなかったのです。

細かい、検査の結果、両大腿骨の骨が、
もろもろにヒビが入ったり折れていたりで、
あと、1回でもすごい衝撃を受けると、
骨がボロボロに折れる状態だったそう。
先生たちはあわてふためき、

絶対に、自分で歩かないで!
絶対に、自分で立たないで!
車いすから降りないで!
骨が砕けちゃう!!!!!

と、目を丸くして叫び気味で言ってました。
こけなくても骨折ってするんですね。
私も骨折は2度ほどしていますが、
どちらも衝撃の瞬間と、想像を絶する
赤黒くなって膨大になった腫れと
痛みがあったので、見た目に変化がない、
母の太ももが骨折といわれても、
全く信じることができませんでした。

ねぇお母さん、お父さんの世話って
誰がするの?パンツ持ってきてないよ。
とか、意味不明の会話を入りたて
ほやほやの病室でしたのでした。
呆然として、痛くないの?とか、
骨折の話はその日はしませんでした。

ローソンにパンツ買いに行ってくるね。

つづく。



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