羽田ゆきち

あるAロマンティックでAセクシュアル寄りの人の話です。言葉の原動力はだいたい怒り、たまにしんどさです。💚💜🖤♠️

羽田ゆきち

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最近の記事

ご報告

お久しぶりです。 突然ですが、今後はnoteでの更新はしません。移行先はtumblr(https://aronespace.tumblr.com/post/679790821153882112/%E6%81%8B%E3%81%9B%E3%81%AC%E3%81%B5%E3%81%9F%E3%82%8A%E6%84%9F%E6%83%B3-14%E8%A9%B1)になります。

    • 具合が良くない。地震がかなり大きかったところにいて、まだ時折揺れて怖い。カミングアウトしてから距離を置かざるを得なくなった大切な友だちから連絡が来たけど、なんて返せばいいか分からなくて、どう思われているか分からなくて、どうなってしまうか分からなくて怖い。動けない。

      • 我々は悩み苦しむだけの存在じゃない

        Aセクシュアルが映像作品で扱われると知り、『17.3 about a sex』第2話を見た。このところ体調を崩して文字を読んだり話したりする体力がすっかり落ちてしまったので、映像作品があるのはありがたかった。また、Aセクシュアルがドラマという形で生身の人間で表現されることの新しさ(もしかしたら他にもあるのかもしれませんが、現時点で「私はAセクシュアルである」と明示された登場人物が出てくる、そしてAセクである人物を主軸にして描いている映像作品はこの作品しか把握していません。)に

        • 日記

          2ヶ月ほど前からピルを服用し始めたが、ここしばらく副作用の抑うつ状態っぽいのが酷く、肉体的にも精神的にも起き上がれなかったり、頭痛が続いていたり、疲れが溜まりやすく抜けにくくなったり、本が読めなくなったり、文章が書けなくなったり、人との交流がなぜか怖くなって学校に行けなくなったりと、生活がしんどくなっている。飲み始めの頃からずっと気分が晴れない感じはあったが、どうも自分の感覚に鈍いところがあるので、本が読めなくなるまで不調の自覚が持てなかった。病院に相談しに行って、薬を変えて

        • 具合が良くない。地震がかなり大きかったところにいて、まだ時折揺れて怖い。カミングアウトしてから距離を置かざるを得なくなった大切な友だちから連絡が来たけど、なんて返せばいいか分からなくて、どう思われているか分からなくて、どうなってしまうか分からなくて怖い。動けない。

        • 我々は悩み苦しむだけの存在じゃない

          性的欲求らしきものと向き合う混乱と、とてつもない罪悪感の話

          私が自分のことをAセク寄りと言うのは、自分の持ってる他者に向く性的欲求と性行為、よりももっと広い性的接触と呼ばれるような、平たく言うとプライべートゾーンに触れられることと、友だちの枠の中にいる人との握手のような接触から感じるものの違いがあるのかが、自分でわからないからだ。それによって引きこされる訳のわからなさ、そして訳のわからなさに収まるとは思えない、私の持つ、振るうことのできる暴力性の話をする。 ※自分の中でずっと引っかかっていることを書かないと、色々と進められないと思い

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          性的欲求らしきものと向き合う混乱と、とてつもない罪悪感の話

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          キスに飲み込まれた言葉

          https://twitter.com/uta_isaki/status/1298224018911145985 この漫画を読んで考えたことをまとめた、AロマかつAセク寄りの私、というフィルター、というか生身の人間を通しての批評だ。 キス「人が嫌がることはしない」というコミュニケーション全般に横たわる原則が、恋愛や性愛の名の下許されてきた歴史があり、それは今も実際に起こっている。DVがその典型だ。多くが親しい仲、夫婦という名前のついた関係の中だから、そこで起きる出来事はあ

          キスに飲み込まれた言葉

          空白だらけのプロフ帳と「恋愛は自由」

          「他者に対する恋愛感情を持たないAロマンティック」というけれど、恋愛をしないことは、セクシュアリティではなく個人の選択やライフスタイルなんかの一つではないのか。恋愛をするもしないも、ただただ個人の自由ではないのか。Aロマンティックに対し投げかけられる疑問の一つにこのようなものがある。これについての私の考えを書きたい。 恋愛をしないことが個人的な選択であっても、ライフスタイルであっても、何も間違いではありません。それに対し他者がジャッジを下す権利はありません。「恋愛感情を持た

          空白だらけのプロフ帳と「恋愛は自由」

          『Aセク(シュアリティ)の当事者』より

          このツリーに対するAロマンティック、Aセクシュアル寄りの『Aセク』当事者の反論です。 「恋に落ちる可能性」 Aセクシュアルは、簡単に説明すると「他者に対して性的に惹かれない」セクシュアリティである。そう言うと、そんなセクシュアリティの存在を信じられないと、「私はAセクシュアルである」と名乗る人に対しこう言う人が表れるかもしれない。 「ぴったりな人にまだ出会っていないだけじゃないの?」-『見えない性的指向 アセクシュアルのすべて』裏表紙、P172 「ないことを証明する」

          『Aセク(シュアリティ)の当事者』より

          結婚は何を変えるのか ~『最小の結婚』第3章を読んで~

          3月頃から『最小の結婚』を読み始めた。この本は、時間をかけて読んで、今なお読み終わらないくらい内容が(私にとっては)とても難しい、しかし確かに面白さや救いなども本である。 私はいちAceとして、世に蔓延る性愛規範、そして恋愛伴侶規範をとても有害なものだと思い、憎んでいる。しかし、Aロマの言葉は、そしてAセクシュアリティの言葉は、セクシュアルマイノリティの中の相対量としても、そして世の中の絶対量としても少ないように感じる。度々例に出して申し訳ない思いがあるが、LGBTコミュニ

          結婚は何を変えるのか ~『最小の結婚』第3章を読んで~

          物語の中に未来を見つけられる日は来るのか

          「Aセクシュアルが主人公で出てくる」と知り、李琴峰さんの『ポラリスが降り注ぐ夜』を買った。家に帰り、早速緊張と高揚との混じった思いでページをめくっていった。Aセクシュアルの主人公が出てくるのは『蝶々や鳥になれるわけでも』という話だ。(なんとこの小説、『蝶々や鳥になれるわけでも』以外の章にもいくつかの箇所でAセクが出てくる) この話を読み終え、全章を読み終え、もう一度『蝶々や鳥になれるわけでも』を読んだ。それらを踏まえての感想、そして色々と考えたことを書いていく。 *これか

          物語の中に未来を見つけられる日は来るのか

          ピンクの靴下

          私はピンク色、特に薄いピンクが似合わない人間だ。それはピンク色と私の肌なじみの悪さ(いわゆるパーソナルカラーと呼ばれるもの)もあるし、ただ単に私がピンクという色を好まないという理由もある。そして一番は、ピンクという色の持つ、というかピンク色が担わされたイメージへの拒否感がずっと大きかったからだ。嫌いな色と思っていれば、より似合わなくなっていくものであろう。 私を昔から知っていたり、実際にあったことのある人は、多分私がピンク色を身につけているイメージはないと思う。私がよく身に

          ピンクの靴下

          甘くない歌

          この曲以上の出会いは、私の人生にはもうないだろうな。そんな曲がある。 中学生の頃、思春期特有のもやもやした感覚、元々持っている一人が好きという気質、それに対しなかなか集団生活から逃れられない環境、(今思えば)Aceであるが故に理解できない、当時の自分にとって困惑を招くのには大きすぎた性愛、恋愛というルールと、あらゆるものから逃げられないでいた。それらから解放されるために、家族が寝静まってから、鍵とウォークマンだけ持ってこっそり家を抜け出しては近所の川に散歩しにいったり、唯一

          甘くない歌

          killjoyを引き受ける

          中学生の頃だっただろうか。全校生徒が参加できる合唱コンクールに向けて、希望参加者は毎日昼休みに練習していた。当時通っていた学校は、1学年に50人もおらず、1クラス20人程度のそれなりに小さい学校だった。 中学生3年生で最後の発表会になるためか、ほとんどの生徒が自主的にエントリーし、練習に参加していた。気付いたら、昼休みの教室は男子生徒4、5人と、私だけになっていた。隣のクラスは、女子生徒は全員参加していた。コンクールの練習が始まる前と変わらず、学年で私だけ、静かな教室で昼休

          killjoyを引き受ける

          私(のもの)ではないらしいアセクシュアル

          少し前の話になるが、ツイッター上でとある漫画がバズった。 アセクシュアルの主人公の話がツイッターに登場した。GSRM=性的マイノリティの中でも、まだまだアセクシュアルはメディアに取り上げられにくい存在であるため、見つけた時は純粋に、言い換えると単純にお、と思った。その中には嬉しい、という思いがあったのも嘘ではない。 読み終えて、全体にどうも違和感を感じた。何だかもやもやした、そして何だか胸が押しつぶされるような苦しい気持ちになった。今回は、あの漫画からアロマンティック、かつ

          私(のもの)ではないらしいアセクシュアル

          証明の話/「好き」の話

          ないことを証明するのは誰のためか。私にとってセクシュアリティを考える意味とは、自分を救うことである。実際、自分を当たり前のように「普通の」異性愛者だと思っていた時より、色々なものが見えるようになった今の方が楽に感じることもある。知らなくてよかった、とは思わない。しかし、知れば知るほど怒りや悲しみというのは生まれてくる。前回は怒りにフォーカスを当てて書いたが、今回は悲しみの話だ。 最近、自分はアセクシュアル寄りのところにいること、自分の中のAce性の存在を感じている。それは完

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          証明の話/「好き」の話

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          カラフルに潰されそう

          【レインボーへの呪詛】 ものすごく乱暴に言っているのは承知の上で、批判を受けるのも覚悟の上で言う。私は、レインボーを名乗れるのは誰が好きかを迷いなく言える人だと思っている。レインボーとは、自分の好きという感覚を疑わないでいられる人のものだ。恋愛的指向で不都合を被ることなく、自分のそれを信用できるということは、回り回って自分の性的指向を信じられる、故にアイデンティティを持てる、集団になれるマジョリティなのだと思う。特権だとも言える。少なくとも、何故か性的指向を自信をもって名乗れ

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