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松下幸之助翁と宗教(使命を悟った宗教都市 天理市(旧 丹波市町)訪問、1932年 / 昭和7年 3月)よい信仰・わるい信仰

その人の熱心さに押されて、とにかくその宗教の本部を見学することだけはしてみようという気になったという。連れられて行くと、そこには驚くような光景があった。街の半分と言ってもいいほどの、主だった建物が教団の施設であった。本殿に案内されると、今度はその建物の大きさに圧倒された。

それだけではなかった。信者の人たちがみな生き生きと働いている。箒(ほうき)で掃き、ぞうきんをかけ、境内は塵一つ落ちていない。

松下幸之助は「宗教」をみて「経営」を悟った
天理教教会本部神殿
天理教教会本部 境内図・1935年(昭和10年)天理教綱要

泰山鳴動しても鼠一匹(旧統一教会と関係が深い地方議員は)落選しなかった統一地方選挙が終わった後で、以前の記事「地方組織が党本部の指示に従わない自民党・世界中の組織が韓国本部の指示に従う旧統一教会 -『旧統一教会信徒議員の告白!メディアリンチと民主主義の危機』」に後日談として書き添えましたが、例えば、徳島市の地方組織は自民党本部の指示を右から左へ聞き流したようです。

党改革実行本部(本部長・茂木敏充幹事長)は2022年10月6日、総会を開き、「旧統一教会および関連団体と一切関係を持たず、社会的に問題が指摘されている団体とも関係を持たない方針について、所属国会議員に順守を求める」とするわが党の基本方針を、ガバナンスコードに反映させ、党所属国会議員や都道府県支部連合会に順守を徹底していくことを確認しました。

旧統一教会「一切関係を持たない」基本方針をガバナンスコードに反映へ
旧統一教会の今 内部映像入手 “合同結婚式” の舞台裏【2023年5月8日(月)報道1930】

月刊 Hanada 2023年1月号に掲載された記事『旧統一教会信徒議員の告白!メディアリンチと民主主義の危機』の中で、先月、統一地方選挙で再選された美馬秀夫(徳島市)市議会議員は『今回、自民党が「団体と手を切れ」との方針を出しましたが、一体、家庭連合のどこが悪いのでしょうか。』と仰っていますが、今月、韓国で行われた合同結婚式(国際合同祝福結婚式)の参加者も『一体、家庭連合のどこが悪いのか』と首を傾げているようです。

月刊 Hanada 2023年1月号

旧統一教会信徒議員の告白!メディアリンチと民主主義の危機

   美馬 秀夫 自民党徳島市議団副会長
   小野 潤三 いわき市議会正論の会(一人会派)会長
司会 鴨野 守  元 世界平和統一家庭連合 広報局長、元 世界日報 編集委員

(前略)

美馬

全く同感です。私は慶應の商学部と法学部を出て、一九九五年、四十六歳のとき、無所属で市議会議員に初当選しました。

私自身は、徳島市民であると同時に日本国民、世界人の一人でもある。そういうかかわりを感じつつ、地域生活のなかで平和と幸福を感じる生活を送ってもらいたい。地元の皆様にはそういうことをお伝えしながら、徳島を良くしていくことが議員になる動機の―つでした。

今回、自民党が「団体と手を切れ」との方針を出しましたが、一体、家庭連合のどこが悪いのでしょうか。記者に訊いても、はっきりしない。

全国霊感商法対策弁護士連絡会(以下、全国弁連)は針小棒大な数字を出していますが、現在「被害」と呼ばれるものは極端に少なくなっています。批判の根拠は不明確です。

これだけの騒ぎになりながらも、「全国統一協会被害者家族の会」が抗議の記者会見をしたという報道には触れていません。

本誌先月号で、家庭連合信者に対する拉致監禁の記事がありました。私も三十歳のとき、八十七日間、精神病院に監禁されました。教団に反対している側の犯罪こそ問題です。

(中略)

みま ひでお

昭和二十四(一九四九)年、徳島市生まれ。慶應義塾大学商学部、法学部卒業。一九九五年に無所属で初当選。二〇〇六年、徳島市議会副議長。二〇一五年以降は自民公認で当選、六期目のペテラン。徳島県ボート協会会長、日本会議徳島県本部副会長、徳島市空手道連盟会長、椎宮八幡神社総代。

(後略)

月刊 Hanada 2023年1月号旧統一教会信徒議員の告白!メディアリンチと民主主義の危機

神仏習合に西欧の習慣(クリスマス、キリスト教徒ではないのに教会で結婚式を挙げる、等)も加わった、おそらく(神社や寺院に参詣せず、御神籤をひかず、御守も所持しない)無宗教者は少ないと推測される日本において、昨年来、よい信仰とわるい信仰の違いについて考える機会が増えました。答は容易に見つかりませんが、旧来の宗教が数百年~数千年をかけて得た立ち位置に数年~数十年で達することを目指す新興宗教・新宗教に関わると、身ぐるみ剝がされることは多々あるようです。

日本で発祥した幾つかの新興宗教・新宗教の沿革を眺めていた折に、松下幸之助翁が経営に開眼するきっかけとなった(天理教の本拠地である)天理市(1954年 / 昭和29年 4月1日に周辺町村と合併する以前は丹波市町(たんばいちちょう))への訪問(1932年 / 昭和7年 3月)に関する記述が目に留まりました。

(前略)

「昔な、取引先の人が来てな。その人はある宗教の信者の人やったけど、わしに信者になることを熱心に勧めるんや」

その人の熱心さに押されて、とにかくその宗教の本部を見学することだけはしてみようという気になったという。連れられて行くと、そこには驚くような光景があった。街の半分と言ってもいいほどの、主だった建物が教団の施設であった。本殿に案内されると、今度はその建物の大きさに圧倒された。

それだけではなかった。信者の人たちがみな生き生きと働いている。箒(ほうき)で掃き、ぞうきんをかけ、境内は塵一つ落ちていない。

「思わず本殿の前で頭を下げる。自然にそうなるような雰囲気やったな」。その人の案内で境内を歩いていると、建築中の教祖殿があった。そこでも多数の信者たちが無料奉仕で働いている。みんな汗を流し、懸命にそれぞれの仕事に取り組んでいる。

その人は、最後に製材所を案内してくれた。その製材所も仮の製材所ではない。広大な敷地に立派な機械を設置して、百人もいようかという人びとが作業している。毎日毎日、たくさんの人がそれだけの製材に従事していれば、やがて建物が完成して、製材所も要らぬようになるだろう。

そのようなことを案内してくれた人に尋ねたら、「松下さん、そんな心配はいりません。いま建築している建物が済んでも、次から次へと建物が必要になります。そういう建物を建てるために、この製材所が不要になるというようなことはありません」と言われたという。

こうして一日、その宗教の本部を案内してもらった松下は、そうとうな衝撃を受けた。

「帰りの電車の中で、昨日まで悩み続けていたことを合わせ考えて、なんという違いだろうと思った。わしの頭の中では、どうして宗教はあのように盛大と言えば盛大、かくも力強く盛んな様相を呈しているのか。そういうことがぐるぐると巡るわけや」

人間には心の教えが大切だから、それを大事にするというのはわかる。しかしひるがえって、物も大事だと言えるのではないのか。心の面でも救われるが、物の面でも豊かさを得てこそ、はじめて人間は幸福になることができる。であるとするならば、物をあつかう商売もまた、社会的に大いに評価されていいはずだ。人間を救うという意味からすると、宗教も商売も同じ次元のもののはずだ。

それにもかかわらず、こちらのほうは倒産したり、カネ儲けだといって軽蔑されたりする。なぜだろうか。帰りの電車の中でいろいろ考えた末、はっと気がついた。

「それは商売に使命感がないからや。宗教には人間を救うという大きな使命感がある。それや、それなんやと思った。いまのままではいくら熱心に経営を行っていても、力強い行動は行われない。

それでは商売をするものの使命はなにか。貧をなくすこと、世の中を豊かにすること、貧をなくして人びとを救うことや。この世から貧をなくすことがわしらの使命なんや。そこで悟ったんやな、わしなりに。そしてこれがわしの経営を進める基本の考え方になった。そういうことがあって、わしは自分の事業を一段と力強く進めることができるようになったんや」

(後略)

松下幸之助は「宗教」をみて「経営」を悟った

尚、松下幸之助翁は様々な宗教・宗派や思想に関心を寄せ、真理や教化の手法について思考を巡らせたようですが、どの宗教・宗派にも帰依せず、自ら信仰の対象を見いだしたそうです。

尚、仏門に帰依された(昨年逝去された)稲盛和夫氏をはじめ、信仰の篤い経営者は多数いらっしゃるようです。

始まりは1838年(天保9年)に遡る天理教の本拠地である天理市は、松下幸之助翁が訪れた頃(当時は丹波市町)には、既に大きな宗教都市であったようですが、不世出の経営者が現在の清平(チョンピョン、旧統一教会の本拠地)へ出かけて、経営とは何か、悟ることができるかどうかは判りません。

解散命令の請求について文化庁が苦労している間、よい信仰とわるい信仰の違いについて引き続き考えてみたいと思います。


(前略)

日本の市で、明確に私的団体に由来する市名を持つのは、この豊田市(愛知県)と、天理教の本部のある宗教都市である天理市(奈良県)のみである。

他に自治体名と、その自治体に立地する企業名が同一な例として、日立市(日立製作所が立地、茨城県)や日野市(日野自動車が立地、東京都)などがある。いずれも、自治体名の方が先行しており、のちに企業の方が、立地する自治体名を社名に冠したものである。なお、岡山県には、藤田組の名を冠した藤田村および金光教の名を冠した金光町が存在したが、前者は1975年に岡山市に合併され、後者は2006年の合併で浅口市となり、消滅した。

(後略)

豊田市(とよたし)- Wikipedia

https://viewer-trial.bookwalker.jp/03/15/viewer.html?cid=d87e4050-a9e1-4ed0-a1fa-510009e2b5ff&cty=0&adpcnt=7qM_t

https://doyusha.jp/doyu/tachiyomi/9784807306350/i/?book=9784807306350.epub



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