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視点の自由研究No.127「視点_無駄と矛盾と愛嬌と」

広告業然り、昨今のIT然り、仕事をしていると効率化や利便性、効果など様々なことにおいて合理性ということが求められています。仕事を進める上での効率性の重要さは、どんなことにも言えるのは間違いありません。
でも、そもそもの広告という存在は、社会の余興的なものでもありえます。今回は、広告という存在から世の中、そして人の生き方を見てみたいと思います。

「無駄」

日常生活においてちょっとした家事があると思います。なんてことない作業ですが、そこに効率を求めたりするのも人の性。ですが、個人的にそこにちょっとした無駄をあえて入れてみたりしていることに気づきます。例えば、洗濯したものの干す順番や洗い物を一個づつやっていくことなど。およそ効率とは程遠いことなんですが、作業の手順などに気持ちよさや時間の楽しみを見出している自分がいる。
日頃の仕事が効率化と段取りを組み続けることへの反動か、矛盾とも言える動きの中でこの無駄自体を楽しんでる節があります。

「結果を変えたいわけじゃない。道中を楽しみたい。」

映像制作において、撮影は一種のお祭りです。時に何人ものスタッフが関わり、時にただ太陽が出るのだけを待ってみたりと、他者と時間を共有して、ただ時間が過ぎていくのを待つ。そんな時間もあります。
効率性を求めていくと、そこには結果があります。いい結果を再現性高くさらに最大値化するため、人間はあの手この手を駆使して発展してきました。テクノロジーの進化は今もその速度を緩めることはありません。
しかし、前述のようにアナログの世界と関わる際には、一種の無駄を経ることがある。広告も人が生きていく上では、無駄な時間でもあります。でもそんな無駄を楽しみたい。
結果だけを追い求めても先はわかっている。まさに道中そのものが目的な行為というのが人間の面白さの一つかもしれないと思うのです。

「愛嬌」

そんな道中の楽しみ。そこを他者が見た時にユーモアや面白さなど愛嬌があるといいんでしょう。お笑いにしても、アートにしても、人を楽しませることが存在価値。広告もその端くれのお仲間でいたいと思っています。
自分たちが作った映像が誰かを楽しませていたら、これほど嬉しいことはない。愛嬌のある人はモテます。同じように愛嬌のあるコンテンツが世の中に彩りと、人々に道中の楽しみを与えられたらいいなと思っています。



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