見出し画像

祖父が死ぬまでには、就職も結婚もしてると思ってた

「また来たよ、じいちゃん」
さとるは、病室のベットに横たわっている祖父に呼び掛ける。
返事はない。
祖父は肺を悪くして、この8月から大学病院に入院することになった。

この間まで会話を交わせていたのだけど、ここ数日で体調が悪化したらしく、返事はおろか、もう目線を交わすことさえ叶わない。

祖父は見ざめない意識の中で何を思っているのだろうか。心地良くて快適な夢だったらいいなと思う。人生の最後に到達する場所が、苦しい場所であっていいはずがない。もう言葉を発することもかなわないから、確かめるすべはないのだろうけど、少しだけでも天国に近い場所であってほしいと思う。

けれど、そんな希望は、つい先週に打ち砕かれた。
「わしはいつ死ねるんだ?」

この言葉が、祖父から聞いた最後の言葉だった。もうそれからはうめき声しか発していない。どうやら今わの際というところは、どうしようもなく苦しいらしい。嫌だ。嫌だ。嫌だ。

祖父は少なくとも悪人ではなかった。しかし、立派な人でもなかった思う。
釣りが大好きで、祖母の作る稲荷ずしが好物で、花農家で、それでいて小難しい。とても偉業を成し遂げれるタイプの人間ではなかったのだけれど、普通のじじいだった。少なくとも自分の前では、いいじいちゃんだった。

何を考えているのだろうか。それともただ苦しんでいるだけなのだろうか。
「じいちゃん。聞こえる?」
もう一度、話しかけても、もちろん返事はかえって来なかった。
投げかけた言葉が返ってこない代わりに、阿波踊りの祭囃子が空白を埋める。

阿波踊りは毎年お盆の時期に開催される。
季節も8月に差し掛かり、練習にも一層熱が入っているようだ。
徳島はよくも悪くも、阿波踊りを中心に一年が回っており、町全体が浮足だっていた。

祖父は徳島で生まれ育ったくせに阿波踊りが嫌いだった。
一度も連れて行ってくれた記憶がない。まぁ、「連れて行って」とせがんだ記憶もないのだけれど、普通の家庭では、子供を連れて阿波踊りに行くのが当たり前だと思う。

その代わりといってか、よくアジ釣りにはよく連れて行ってくれた。
オキアミを銀色のかごの中に詰め込んで、海に投げると、それによって来た小さなアジが、針に食いつく。上手くいくと一度に数匹は釣れてしまう。
お日様の下に引きずり込まれたアジは、生まれて初めて直接浴びた日光に照らされてペカペカと光っていた。喉の奥に食い込んだ釣り針を、引っ張りとる。喉がひっくり返され、体の内側を傷つけながら釣り針を取った。

「やったー釣れた!!」
さとるは一生懸命に叫んだ。祖父は少し嬉しそうに見ている。
大人だって子供だって遊ぶときは無邪気だ。それは自分にとっても例外じゃない。むしろ釣りというアクティビティは無邪気に遊んでいるほうが正常なのだ。

魚に感情というものがあるのかもわからないが、今わの際は地獄だったに違いない。


その翌週、病状が回復することなく、祖父が死んだ。
何年間も寝たきりになるわけでもなく、普通に死んだ。

それからは祖母は本当に大変そうだった。死んだすぐに霊柩車を呼んで、葬儀屋を決めて、火葬場を予約した。喪主は祖母だったし、さとるは流れ作業ですべてが決定するのをただ見ているだけだったが、忙しいという感覚だけが通り過ぎていった。涙は出なかった。決して悲しくなかったわけではない。感情を処理できていなかっただけだと思う。


その2日後に火葬が行われた。お葬式は恙なく行われ、祖父の体は骨だけにになった。最近の火葬は相当な高温で焼くらしく、火葬場の煙突から白い煙は出ないらしい。

火葬場の職員が「綺麗なお骨ですね」と言いながら、長い箸を使って骨を切り分けていく。祖父の骨が、発砲スチロールを砕いたときみたいな音をたてて割れていく。「綺麗なお骨ですね」って何なんだろうか。眼前に差し出された物体に、綺麗さなんて尺度は似合わないと思った。でも、その言葉を聞いて祖母は少し嬉しそうだった。

作業は順調に終了し、細かく砕かれた骨が、すっかりと納骨箱に収まる。
しかし、さとるには目の前に並べられていた燃えカスが、祖父の亡骸だとはどうしても思えなかった。

焼け残った灰と、煙突から出て行った透明な煙。
どちらがじいちゃんだった?と聞かれれば、絶対に後者と答える。
もうここには、じいちゃんの魂は無いような気がしてならなかった。


49日後、祖父の骨はお墓に埋葬された。
祖母はどこかホットした表情でお墓を眺めている。お葬式の忙しさから解放されたのだろう。なぜお葬式はこんなにもやることが多いのか分かった気がする。きっと、何かやることがないと「家族の死」に耐えられないのだと思う。苦しくて、どうしていいかわからなくて、どうしようもなくて、感情がめちゃくちゃになる。そのままだと家族を失った負の感情が大きすぎて、もとの生活に戻ってこれなくなるのだと思う。落ち着いて感情を消費できる時期になるまで、強制的にタスクを夢中でこなしていく。
負の感情を乗り越えるのは、時間ではなく夢中なのだろう。

納骨式が済んだ後、祖母とテレビを見ながら唐突に、
「じいちゃんが死ぬまでには、就職も結婚も子供もできると思ってた」
と言ってみた。
じいちゃんとの別れはとても悲しかったが、それ以上に、じいちゃんに自分の結婚式もひ孫も見せられなかったのが悲しかった。

祖母はそれを聞いて、「そうかい」とだけ答えた。
涙目で嬉しそうだった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?