できることならメンヘラは辞めたい...でも「普通」ってなに?!わからんwwwフゴッ

メンヘラ、というのは精神疾患者のことを指すネットスラングだが、ここでは精神疾患を持つ・持たない関係なく、いわゆる「構ってちゃん」の意味でメンヘラという言葉を扱う。

「どうも、構ってちゃんのメンヘラです!依存させてください!構ってください!四六時中一緒にいてください!!!」と自己紹介ができるようになったらその人はプロフェッショナルなメンヘラになれる可能性が高いので、頑張ってください!

私も含めて「メンヘラ」を長年やっている、もしくは一時的な「メンヘラちゃん」な行為をしてしまう人。その中でもとりわけ「普通になりたい」と悩んでいる人。

そういう人と(私自身がそうであることが原点にある)一緒に悩み考えながら、憧れの「普通の人」を目指せたらいいなと、考えている。

さて。メンヘラちゃんたちは普通の状態をわからない場合がある。

普通ってなに?

「メンヘラっぽい」というのが、そもそもフンワリとした罵倒(の場合が高い言葉)であるのに対して、「普通っぽい」というのもまたこれフンワリし過ぎているのだ。

たとえば一般的な企業に就職していれば、たとえば恋人が居てクリスマスを楽しく過ごせていれば、たとえば魚を三枚おろしすることが出来れば、たとえばカッコイイインテリアやファッションセンスを身につけていれば...

それが「普通」だろうか?

しかし、そうでないのはわかりきっていることである。スーツ着て仕事して恋人居て魚の三枚おろしができてインテリアもファッションセンスも標準並みにあったところで、そいつがもし友人なり恋人に「悩み事があるの。リストカットしちゃいたいくらいつらい」と一言LINEを送れば、相手にあたる大半は、「こいつメンヘラだ!」と思うだろう。

当たり前だが、メンヘラっぽい・普通っぽいの基準は、人間関係に現れる。

自傷行為を辞められないとか、大量服薬をしてしまうとか、常に死にたくなるとか、そういうことは大したことじゃない。

もっと言えば、別にやっててもいいし、思っててもいい事だ。

しかし、なにをもって「メンヘラっぽい」になるの?というのは、完全に他者が決めつける事であって、もし「自分は普通だ」と腕から血を流して涙ながらに死にたいと部屋で呟いていても、それは普通の人になるのだ。

そう!普通かメンヘラか、という線引きは、他者か自分が決めつけることなのだ!

たとえ夜中の3時に、LINEで「死にたくて仕方がない。めちゃめちゃ泣いてる。切りたい。切りたい。切りたい。切りたい。切る。キル!!!キル!!!!!」と書き込んで送信しても、自分や相手が「普通のこと」と捉えていればそれは普通なのである。

じゃ、このままでいいんだ。あたいは普通だったのか!!!元気に今日も腕を切ろう!と思えていただくと、それはそれでいいんだが、「普通に憧れるメンヘラちゃんへ」と題した癖に...という私の中で終わらせるには早いぞ!と小人さんが心の内側をトントンしてくるのでまだ書いていこうと思う。

「普通になりたい」と考えた時、それは言い換えれば「今の自分が嫌だ」と悩んでいる状態である、と言える。

変わりたい。があるということは、どういう風に変わりたいのか、という「理想の自分像」があるはずである。

つまり、「普通の自分像」が既にあるはずだ。

リストカットを辞めたいとか、大量服薬を辞めたいとか、胃洗浄して苦しんだ事を武勇伝かのように語る自分が嫌だとか、そもそも「あいつってメンヘラっぽい」と言われてなんかショックだったとか、「自分に嫌気がさしている」から「普通になりたい」と思うのだ。

普通というのは実態がない「理想の自分像」でしかない。

そうなるには、私が思うに「これこれを辞めたい」を実践するか、「これこれをしたい」を実践するか、しかない。

見放され不安や依存症はなかなか治らない。
根本的に寂しいとか苦しいとかつらいとかいう気持ちは、なかなかしつこいものだったりする。

でも、見放され不安を隠すことは誰にでもできる。依存症なら依存していないフリをすることも可能だ。

メンヘラがメンヘラちゃんっぽい、と他者に思われる原因は平たくいうと「うざい言動をかます」という事だけなのだ。

うざい言動がどれかわからない、あたいはうざいのか...とまた落ち込まないでほしい!私も結構うざいから!大丈夫、全世界の全人類には絶対にうざいところが一つや二つはある。

うざい言動を辞めたい、と考えた場合、一つ言えるのは、相手を選ぶところから始めた方がいいということだ。

Aさんはメンヘラちゃんの言動を見て、「は?死ね、勝手に死ね、まじイラネ!」と思ったり、それを表現しようとしたりするかもしれない。
だが、Bさんはメンヘラちゃんの言動を見て、「なるほどあっぱれ。こういう人もいる」とか「こいつかわいそう」とか「ふーんどうでもいい」とか思いながら、それを表現したりしなかったりするのだ。

だったらBさんとだけ付き合えばいいのか?というのはまた別の時に触れたいと思うのだが、

うざい言動をうざいと思わない人たち(思っても傷つけてこない人たち)にだけ見せるやり方も、一つの手段ではある。

でも、できればどんな人にもメンヘラっぽく思われたくない!普通がいい!とか思う完璧主義な人は、演じようと頑張ってしまう場合もあるので要注意。

どんなに仮面をかぶって「普通(うざくない自分像)」を演じても、それで自分が疲れたり、ツライ、誰のことも信用できない、とかになって本物の精神疾患者になってしまうと、...ガチでしんどいので辞めておいた方がいい。

1番いいのは、「普通」や「メンヘラっぽい」に囚われ過ぎないことだ。

それができたら苦労しないぜ!!!という声もなんだか聞こえてきそうだが、いくらでも言おう、「完璧な普通のうざくない人」は全世界全人類どこを見渡してもいない。

誰かにとっては、絶対にどんな風に気をつけても、どこかしらうざかったりするのだ。

まずは「普通」という概念を失くすことが大事、という話でした。みんな普通だし、みんな変なのだ。それが人間である。

今度の記事では、「承認欲求の深さ・満たされない気持ちをなおしたい」という事柄について書いていこうと思う。

ここまで読んでくれた方、ありがとうございました、皆さまの何かが一つでも動いたら幸いです。

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