人はなぜ歌を歌いたいのだろう

こんにちは。ボイストレーナーのでんすけです。

ボイストレーナーをやっていると、いろんな人がやってきます。
性別、年齢、職業、学歴、みんな違います。
それでも、みんな歌を歌いたい。
それほどまでに、誰にでも受け入れられる「歌」というのは一体なんだろうか
そんなことをテーマに書いてみたいと思います。

あなたはどうお考えですか?
単に気持ちいいから?
でも、なぜ気持ちいいのか。
そんなことを少しだけ紐解いてみたいと思います。

私のブログ
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から来て下さる方の中には「歌が上手くなりたい!」と思っている方も多いと思いますが、そんな人にも参考になる考え方があるかと思いますので、ぜひご覧くださいませ。

原始的に考える「歌」

一説によると、人間は「言葉」が発明される以前から歌を歌っていた、と言われています。
この時は当然ながら歌詞など存在しません。言葉が存在しないのだから。

でも、人は歌を歌っていた。
歌いたかった。
それは、なんのために?

歌から歌詞を奪うと、残るのは「メロディ」のみです。
つまり、人が歌を歌うことで楽しんでいるのは、そもそも「歌詞」ではなく「メロディ」なのかもしれません。

メロディを楽しむこと

メロディを楽しむ、ということは、日常生活でなんとなくやっていることを思い浮かべてもらうと、実感がわきやすいのではないかと思います。
歌詞がわからない曲でも鼻歌でフンフン歌っているだけでなんとなく楽しかったりするもので、たとえば仕事や家事の傍らでいつの間にか歌っていること、ありませんか?
これが、メロディを楽しんでいる状態、と考えることができそうです。

メロディも、細分化すると、
・音程の変化
・リズムの変化
があります。

実際に考えてみると、音程が一定だとあんまりおもしろくないですよね。
「ドドドドドー」と同じ音程をずーっと歌っていると飽きそうですが、
「ドレミレドー」と変化を付けることで飽きなくなり、何かが表現されているような気になります。
それを逆手にとって、「ドドドドドー」と同じ音程をずーっと歌うという表現もできなくはないと思いますが。

リズムに関しても同じ。
「ワーーーーー」とただ音が伸びているだけではつまんないので、
「ワッオーワオーワッワッオー」みたいな感じで節をつけることで、体を揺らしたくなるようなリズム感がつき、なんだか楽しそうな印象を付けることができます。

こうして、音程、リズムに変化を付けることで、なにがしかの「印象」を付けることができるわけですね。
これは歌、というよりも「音楽」の根源的なものです。

・・・いま、「歌」について考えようとしていましたが、「音楽」という言葉にすげ変わりました。
メロディだけに着目していくと、「歌」ではなく「音楽」になります。
どうも、ここが大事なポイントのようですね。

「歌」が「音楽」ではなく「歌」であるためには何が必要か。
それは当然、「人が声を出して歌う」ことです。

人は声を出すことを楽しんでいる

さて、メロディだけに着目して「歌」を楽しむことを考えようとすると、どうも無理があったようです。
「歌」というのは、人が歌うから「歌」なんだ
というのが重要なポイントです。
まあ考えてみれば当然といえば当然なのですが、当然なこと、というのは意外と見落としがちなので、ここで強調してみました。

一方で、人はメロディを楽しむものだ、というのはあまり疑わなくてもよさそうな事実ですね。
実際に我々はいろんな音楽を聞いて楽しんでいますから。

しかし、メロディを楽しむだけであれば、誰かが作った曲をただ聞いていればいいだけの話。
ここで我々が「あぁ、歌いたいなぁ」と考えるのはなぜなのか。

それは、人は「声を出すこと」そのものを楽しんでいる、ということではないかと考えられます。
誰かが作った曲を聴いて、これは楽しいな、と思ったとき。
これを自分の体で表現したい、という欲求が働きます。
そこで実際に声に出し、歌ってみたくなります。

実際に歌った歌声、というのは、
・音として聞こえてメロディとして楽しめる
ということに加えて、
・発声した感覚を体そのもので感じられる
ということが、歌の気持ちよさの要因の一つなのではないでしょうか。

先ほどからさんざん、人はメロディを楽しむものだ、と書いておきながら何なのですが、人は声を出すだけでも楽しむことができるのではないか、そんなことが考えられる例は実際にあります。
例えば、ストレスがたまった時に、「あーーーーー!!」と叫んでちょっとすっきりする、ということ、ありますよね。
他にも、お祭りやパーティーなどで盛り上がってきて、「イェーーーイ!!」的な叫びを発することで、すごく楽しくなれます。
このとき、そこにメロディはありません。ただ声を出しているだけ、です。

どうやら人は、「声を出す」ことだけでも楽しむことができそうです。
ということは、歌うこと、つまり誰かが作った曲に合わせて声を出す。
こうすることで、メロディを楽しみながら、声を出す気持ちよさを味わうことができる、なんだか一石二鳥ですね!

音痴だと楽しめないのか?

と、ここまで順調に考えてきましたが、事はそう簡単にいかないようで。
ここで問題になるのは、音痴、という障害です。

確かに、ここまで考えてきたことをまとめると、誰かが作った曲に合わせて声を出す、それだけでも十分に楽しむことができそうです。
ところが。
歌というのはメロディ、つまり音程とリズムの変化を持っています。
しかし、実際に自分で歌ってみると、このメロディと合わない、変化についていけない、という気持ち悪さを感じることがあります。
これが音痴という問題です。

ここでは、音痴をどうやって治すか云々の話は置いておくとして、音痴だからいやだ、気持ちよくない、ということは往々にして起こります。
それは逆に言うと、音痴じゃなければ気持ちいい!ということです。

さて、ここで唐突な質問ですが、音痴とはいったいなんでしょうか。

簡単じゃないか、元のメロディを再現できない、音程やリズムが外れることだろ?と、普通はそう考えますよね。
確かに、言葉の意味としてはその通りです。
しかしここで考えたいのは、歌の楽しさを阻害する「音痴」です。

例えば、音痴の定番、我らがスター、ジャイアン。
あのスターが歌う歌は他人から聞けば音痴ですが、本人はいたって楽しそうですよね。
つまり、音痴であっても楽しい人は楽しいわけです。

これはどういうことでしょう。
「声を出すだけで楽しめる」とは先ほど書いたものの、メロディからのずれなどはまったく気にしていないのでしょうか?
そうなると、メロディの存在意義がなくなってしまわないでしょうか。

でもおそらく、そうではなさそうです。
仮に音程やリズムが大外れしていたとしても、本人なりに節回しして、音程、リズムを合わせようとして歌っていますよね。
メロディから外れていることを気にしていない、もしくは気づいていない。
でも、本人としては、あってると思って歌っているわけです。

ここに、歌の気持ちよさのもう一つの要因がありそうですね。
つまり、自分が思っている声を思った通りに出しているということ。

仮に元のメロディから外れていたとしても、本人が気にしない、または気づかないとしても、思った通りに声が出てるぜ!と思っているとすれば。
それはやはり、歌っていて気持ちいい!ということになるのではないでしょうか。
ジャイアンが歌っている時の楽しそうな表情は、そう解釈することができるのではないでしょうか。

つまり、まとめると、
・メロディを楽しみながら
・声を出すことを楽しむ
・しかも、思った通りに声が出せている気持ちよさ
というのが、歌の楽しさ、気持ちよさの根本ではないか。そう思うわけです。

ボイストレーナーの役割

ここで、私のボイストレーナーという職業に戻って考えます。
先ほど書いた歌の楽しさ3点。
そのうち、メロディを楽しむ、声を出すことを楽しむ、ということは、基本的にはだれでもできることです。
聴覚の障害や、声が出せない方はその限りではありませんが、そうなってくると、ボイストレーナーには治せない、お医者さんの領域になります。

私のようなボイストレーナーのお仕事は、
思った通りの声を出せるようにする、というところにあります。

つまり、ボイトレを受けたいとやってくる、性別、年齢、職業、学歴がばらばらの方々は、それぞれに、それぞれ「思った通りの声」というのが存在し、それを「思った通りに出したい」という悩みを抱えている、はずです。

それは、音程が取れないことかもしれません。
リズム感がないことかもしれません。
高い声が出せないことかもしれません。
艶のある声が出したいのかもしれません。
あるいは、「思った通り」というのがどういうものかもわからないかもしれません。

いずれにせよ、「思った通りの声」を「思った通りに出せる」という気持ちよさ、これを感じてもらうために、ボイストレーナーというのは日々頑張っているのだと、そう思うわけです。

まとめ

ということで、「歌を歌う」というのはどういうことなのか、なにがうれしくて人は歌を歌うのか、ということを、私なりに紐解いてみました。

・メロディを楽しむ
・声を出すことを楽しむ
・思った通りに声が出せていることを楽しむ

これが、歌を歌うことの楽しさの根本、なのだと思います。

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