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平沢慎也著『実例が語る前置詞』の紹介(その1)

平沢慎也さんの新刊『実例が語る前置詞』が発売されます(くろしお出版)。

平沢さんとは長年の友人であり、月刊誌『英語教育』の連載「実例から眺める『豊かな文法』の世界」を共同で担当する英語仲間でもあります。連載以外でも普段からお互いが書いたものを読み合っていて、この『実例が語る前置詞』も事前に原稿を読ませてもらったのですが、非常におもしろく、ほかに類のない本になっていると思いました。今回はこの本の魅力を紹介したいと思います。

1. 前著との比較

この本は平沢さんの2作目の著作です。平沢さんが英語に向き合う姿勢は1作目と2作目で共通しているのですが、本の種類としては異なるものです。ここでは、1作目と比較しながら本書『実例が語る前置詞』の特徴を紹介したいと思います。

まず、1作目の『前置詞byの意味を知っているとは何を知っていることなのか:多義論から多使用論へ』(くろしお出版、以下「byの本」)は、byという前置詞に焦点を当てた言語学(英語学、認知言語学)の学術書です。学術的背景や専門用語にも丁寧な説明があるため、言語研究者でなくても、英語を深く知りたい方、提示された議論(従来の説に対する代案を示したり、など)をじっくり読み進めるのが好きな方には、おすすめできる本になっています。

ただ、丁寧に書かれているとは言っても、英語学習書ではなく言語学の学術書であるため、言語学に触れたことがある読者のほうが読みやすいのは確かです(言語学にまったく触れたことがない場合は、ほかの言語学の本と並行して読んでみるとよいかもしれません)。

byの本の紹介文も書いていますので、よろしければそちらも見ていただけたらと思います。

一方、今回発売される『実例が語る前置詞』は英語学習書で、明確に一般向けの本として書かれています。前置詞学習で盲点になりがちなポイントや前置詞との向き合い方を紹介する本で、英語の語彙・文法をある程度しっかり学んだ中級以上の学習者(基本的には大学生以上)の方であれば、言語学の知識がなくても問題なく読めるようになっています。

小説やドラマなどで実際に用いられた英語表現(実例)をもとに前置詞のさまざまな用例が紹介されているので、「こんな言い方があるんだ」「このフレーズってそういう表現のグループに位置づけられるんだ」といった気づきが得られるのではないかと思います。学習姿勢に関する話題も多く含まれているので、読者が今後の学習方針を考えるきっかけにもなるでしょう。

2. 前置詞を含む言い回し

『実例が語る前置詞』は「前置詞の本」ではあるのですが、実際には前置詞にとどまらず幅広く英語を学ぶことができる本だと言えます。

試しに前置詞inについて考えてみましょう(第11章)。inは髪型を表現するのにも使われ、tie one's hair in X(髪を結んで髪型X にする)やwear one's hair in X(髪を髪型X にしている)などの言い回しがあります。これらは前置詞inを含む言い回しではありますが、名詞hairの言い回し、動詞tieやwearの言い回しでもあります。そして何より、Xの部分に用いられる髪型表現(a ponytailやa bobなど)を含んだ言い回しです。

このように、言い回しという単位には英語のいろいろな要素が関わっています。したがって、前置詞を含んだ言い回しを扱うというのは、そのような多種多様な要素を扱うことでもあるというのがわかるでしょう。この本には前置詞以外の要素についても興味深い観察がたくさん含まれていて、その部分も楽しむことができると思います。

前置詞以外の部分がおもしろかった、という感想を持つ人だっているかもしれません。先ほどの髪型を表す表現については、三つ編みを表すのにa braid(三つ編み1本)、 two braids(三つ編み2本)などと言えることもさりげなく書いてあって、こういうのもおもしろいポイントだと思います。そんなこともあって、前置詞というのはあくまで「取っ掛かり」であって、この本は「前置詞の本」というより「英語の本」だと言ったほうがいいのではないかと感じるぐらいです。「英語の勉強はしたいけど、前置詞に特化した本にはそんなに興味ないな」という方にも、自信を持っておすすめしたいと思います。

3. 前置詞を取っ掛かりにするからこそ見えてくること

前置詞はあくまで取っ掛かりであるとは言いましたが、もちろん前置詞を取っ掛かりにしたからこそ見えてくることもたくさんあって、それは間違いなくこの本の魅力となっています。第5章で扱われているwill be P構文について少し見てみましょう(Pは前置詞を表しますが、主に前置詞の副詞的用法が該当します)。

この構文は、I'll be right in.(すぐに中に入るよ)やI'll be right down.(すぐに下に行くよ)といった形で使われ、聞き手のいる場所への移動を表すといった特徴が見られます。Pにはin, out, over, byなどが用いられるのですが、「Pの位置に前置詞(の副詞的用法)を代入する」といった理解では捉えられない側面があることには注意が必要です。たとえばI'll be right over.では「上」への移動を表すのではなく、聞き手が離れた場所にいる時の移動を表します。また、I'll be by to do …は「…しに立ち寄るよ」という意味ですが、場所を表すbyの意味を「そばに」だと思っていると正しく理解できないかもしれません。これらの特徴は前置詞を取っ掛かりにすることで明らかにできたものであり、前置詞研究者としての著者の実力が遺憾なく発揮された記述だと言ってよいでしょう。

4. この本の効果が発揮されるのはいつか

英語の学習書には、読んですぐ読者の疑問が解消する、というのを目指して書かれた本もあれば、挙げられている例文を全部覚えるための本もあると思いますが、『実例が語る前置詞』はそういった種類の本ではありません。ここで紹介されている多様な英語表現を1回読んで理解するというのは現実的ではないですし、挙げられている実例は今この瞬間の自分にとってそのまま覚えるのに適したものだとは限りません。

では、この本の効果が発揮されるのはどのような時でしょうか。それは、この本を1回読んで、その後英語の実例に出会って「あ、これって前にあの本で見たやつかも!」と思う時なのではないかと思います。そう言われてもちょっとわかりづらいと思うので、私の実体験を紹介します。

4.1. 最近授業で扱った例

たまたま古本屋で『不思議の国のアリス』のretold版(易しく書き直されたもの)を見つけて読んでみたところ、学生の英語の勉強にもちょうどよさそうだと思い、大学の授業で扱ってみることにしました。以下は授業で扱った箇所の抜粋で、物語序盤でアリスが白ウサギを追いかけて大きな穴に飛び込んだ後の場面です。

Down, down, down. Would she ever stop falling? Alice was very nearly asleep when, suddenly, she was sitting on the ground.

Oxford Bookworms Library Stage 2: Alice's Adventures in Wonderland

進行形の文にsuddenlyが使われているのがおもしろいですね(私のほうで太字による強調を加えました)。日本語で考えてみると、「突然」というのは何かの変化を表すような表現と相性がよいはずで、「座っている(座っていた)」という状態の表現といっしょに使うのは変な感じがします。

この表現を考えるにあたって、まず〈変化〉と〈状態〉について整理しておきましょう。「彼はさっきここに来た。その結果、彼は今ここにいる」といった言い方が可能であることからわかるように、「ここにいる」という〈状態〉は、「ここに来た」という位置の〈変化〉の結果として捉えることができます。実は、変化表現・状態表現に関しては日英語で好みの違いがあり、日本語なら変化表現を使うようなところで、英語は状態表現を使うこともあります。たとえば、日本語だと「…するためにここに来た」と表現するような場面で、英語ではI'm here to do …と言ったりします(be動詞は状態表現です)。

それを踏まえると、(1) suddenlyは〈変化〉の表現と相性がよい、(2) 〈変化〉について言及する時に、英語は〈状態〉の表現を使うことがある、(3) suddenly+状態表現もOK、と考えることができ、それなら (4) suddenly+進行形もOK、と納得することができますね。

Alice was very nearly asleep when, suddenly, she was sitting on the ground.を日本語に訳す場合、suddenlyを「突然」や「不意に」とするなら、「座っている」という状態表現ではなく変化表現を使いたいところです。「座っている」状態に至る変化を表す表現としては「尻もちをつく」や「尻から着地する」などが考えられます。というわけで、この英文の訳は「もう少しで眠ってしまうというところで、アリスは不意に尻もちをつきました」などがよいのではないか、と思いました。

4.2. 『実例が語る前置詞』を確認してみると

以上のような手順で説明をするにあたって、「(2) 〈変化〉について言及する時に、英語は〈状態〉の表現を使うことがある」に相当する例を何か紹介しようと思っていたところ、『実例が語る前置詞』もI want to be a doctor.「医者になりたい」などの例を挙げて、先ほどの (2) に当たる表現を紹介していたなと思い出しました(日本語では「なる」という変化表現を用いるところで、英語はbe動詞が使えるわけです)。

さっそく該当箇所を探して再読してみると、なんとbe動詞で変化を表す言い回しの例としてsuddenly+be動詞の例も掲載されているのに気づきました(p. 115)。

実は、『実例が語る前置詞』を最初に読んだ時には、suddenly+〈状態〉の表現をそれほど気に留めていなかったため、しばらく時間が経ってこうした例が載っていることを忘れてしまっていたのでした。しかし、授業で… suddenly, she was sitting on the ground.という表現を扱うことにした結果、suddenly+状態表現に対する関心が高まりました。その状態でこの本を再読したことで、例文が輝いて見えたのです。私の中でsuddenly+状態表現の理解が深まった瞬間でした。

読者の方々にも、ぜひこのような体験をしていただきたいなと思っています。『実例が語る前置詞』を1度読む。その後、英語の実例に触れ、しばらくしてからこの本を読み返して、「あ、この表現ってここに書いてあったのか、こういう表現と関連していたのか」と実感する。その時がこの本の効果が最大限に発揮される瞬間なのではないかと思います。だから、この本を1回読んですべてを消化できなかったと思っても、悩む必要はありません。

4.3. なぜ『実例が語る前置詞』でsuddenly+be動詞の例が扱われているのか

さて、ここまで読んでくださった方の中には、「なぜ『実例が語る前置詞』でsuddenly+be動詞の例が扱われているのだろう」と疑問に思った方もいるかもしれません。

一見するとsuddenly+be動詞の例、つまりbe動詞で変化を表す言い回しは、前置詞と関係ないように見えるかもしれませんが、実は先ほど言及したwill be P構文とつながっているのです。「移動した結果、聞き手のいる場所にいる」と考えれば、will be P構文もbe動詞で変化を表す言い回しの一種だと言えますね。そのような説明の過程で、suddenly+be動詞の例も登場したというわけです。本当の意味で前置詞について理解するためには、前置詞だけを気にしているのでは不十分で、英語全体をしっかりと見つめる必要があるというのが実感できる例かと思います。

5. この本と私の関わり

byの本の時もそうだったのですが、今回の『実例が語る前置詞』も原稿を事前に読んでコメントするという形で協力しました。この本には料理に関する表現も出てくるのですが、私が料理表現について研究していることもあり、実例の紹介をしました。また、私の研究が引用されている箇所もあります。『実例が語る前置詞』は本当におもしろい本に仕上がっているので、このような本に関わることができてよかったなと思っています。

6. 「その2」もある

今回の記事は「平沢慎也著『実例が語る前置詞』の紹介(その1)」です。つまり、「その2」もありますこの本について語りたいことがどんどん出てきてしまったので、もう1回記事を書くことにしました。今度はまた異なる切り口からこの本を紹介しようと思います。「その2」の公開は少し先になると思いますが、そちらも読んでいただけたら幸いです。公開後はこちらにもリンクを貼ります。

[追記]
「その2」を公開しました(2022年1月23日)。内容としては「その1」の続きではないので、また新鮮な気持ちで読んでいただけるのではないかと思います。

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