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平沢慎也著『前置詞byの意味を知っているとは何を知っていることなのか:多義論から多使用論へ』の紹介

この記事は2019年7月に発売された『前置詞byの意味を知っているとは何を知っていることなのか:多義論から多使用論へ』の紹介文です。もともとこの記事は私のブログで公開したものですが、今回noteに掲載するにあたって若干の修正を施しました。すでに『前置詞byの意味を知っているとは何を知っていることなのか』は発売されていますが、「もうすぐ発売される」「この本を一足先に読んだ一人として」などの表現はそのままとしました。

はじめに

平沢慎也著『前置詞byの意味を知っているとは何を知っていることなのか:多義論から多使用論へ』(くろしお出版)がもうすぐ発売される。

この本のタイトルを見て最初に思うのは「前置詞byで一冊の本を書くなんて!」ということかもしれない。言語学の研究者でない人はもちろんだろうが、研究者でもそのように感じた人がいるのではないかと思う。しかし、この本がbyの本である、というのは、半分正しくて、半分間違っている。というのは、この本は紛れもなく英語「全体」についての本であるからだ。この本を一言で言うなら「byという一単語について考えるのにどれだけ英語『全体』に向き合ったか」、その実践の証だと言える。以下、この本を一足先に読んだ一人として、その魅力が伝わるよう紹介文を書いてみたい。なお、紹介文の簡略版はTwitterで書いたので、手短に読みたい方はそちらをどうぞ(連続ツイート)。

この本の概要

さて、いきなりだが、turn a profit(利益を得る)という表現を見ておこう。もし「turn=得る」のような覚え方をしたら、My father’s company turned more than 300,000,000 yen last year ...という表現も可能なのではないかと思うかもしれないが、実際にはこの表現は不自然である。この場合、turn単独の意味を取り出すよりも、turn a profitで「利益を得る」という単位を覚えるのが重要である。turn a profitにおけるturnのように単語単独の意味を取り出しづらいのは英語の中では例外的である、と感じられるかもしれないが、本当にそうだろうか。単語単体の知識について考えるよりも、それを含む言い回しの知識に目を向けることが必要なのではないか。そのような考えのもと、英語の前置詞byに向き合ったのがこの本である。

本書の目的の一つは、byを用いる自然な言い回しにどのようなものがあるのかを明らかにすることである。例えば、「~までに」という訳語で知られるbyの時間用法の場合、[by [TIME]] のTIMEに特定の語を入れればそれでよいように思えるが、実際にはそれでは捉えきれない用法を持つものがある。その一つがby nowである。

by nowには独自の制約があり、どんな語と共に使うかにも独自性が見られる。そして、by nowの言い回しの単位はnot ... by nowやknow ... by nowのようにさらに大きなものであると考えられる(I’m sure you know by now I’m always here for you.といった例が引用されているが、これはとても英語らしい自然な表現である)。このような言い回しの実態に迫る緻密な観察に、読者はまるで推理小説で犯人が明らかになっていく時のような快感が得られると思う。

また、慣習的な言い回しを資源として創造的な表現が可能になる仕組みについて明らかにするのも目的の一つであり、事例としてstep by slow stepのように形容詞を含むN by Nの表現が扱われる(N=名詞)。この表現が創造的であると同時に英語らしく感じられる仕組みが論じられる。

上記で「言い回し」と言ったが、それはフレーズといった言葉で思い浮かべるものだけでなく、もっと大きな単位であってもいい(by nowで言えば、[推量表現+you know (that) I ... always ...]とby nowの組み合わせ、といったものが一つの単位になっていることも考えられる)。どんな構文で使いやすいか、どんな文脈で使いやすいか、どんなジャンルで使いやすいかといったことにまで範囲をどんどん広げていくと、結局は英語全体に目を向ける必要が出てくる。最初に英語「全体」という言い方をしたのには、それを反映させたかったからでもある。本書で引用される小説や映画の実例から、この一冊を書くまでに著者がどれだけ英語に触れてきたかが垣間見えるはずだ。

英語の例文(と研究書からの引用)に日本語訳が付いていることにも注目してほしい。とても自然な日本語であり、英文と日本語訳の比較を見るだけでも勉強になる。著者が日本語に対しても自然な言い回しを追求していることがわかるだろう。

言語学の中の位置づけ

この本の背後にある考え方は認知言語学という理論である。認知言語学が一定の成果を上げた代表的な分野の一つが前置詞の多義研究である。なぜある単語が雑多に思えるような複数の意味を持つのか。このような意味のつながりを探る研究は、言語の重要な一面に光を当てたと言える。一方で、前置詞を含んだ自然な言い回しをたくさん覚えている、という側面については十分に追究されてこなかった。認知言語学の成果を生かしたと謳う本の中には「前置詞の本質的意味を一つ知っておけばよくて暗記は不要」といったことを述べるものもある。しかし、それは認知言語学の目指す方向性とは異なるのではないか、と著者は言う。本書は、自然な言い回しを中心に据えた言語観(実際の言語使用に触れ、言い回しを覚えていく側面にスポットを当てた考え方で、使用基盤モデルと呼ばれるもの)がどのようなものであるかを提示し、それが認知言語学の中でどのように扱われるべきかを問う本として位置づけられるだろう。

各章の内容

では、各章について簡単に見ていこう。第1章は前置詞の多義研究についての批判的検討と自然な言い回しを中心に据えた言語観(使用基盤モデル)の概説であり、本書の副題「多義論から多使用論へ」という姿勢を打ち出したものとなっている。単なる枠組みの紹介にとどまらず、著者が考える認知言語学の進むべき方向性が語られており、読み応えのある章になっている。

第2章はbyの時間用法についてである。先ほど「『~までに』という訳語で知られる」という回りくどい言い方をしたが、それはbyが「~までに」という日本語には対応しないことが多いからだ。「by=~までに」という説明に問題があるとしたらどのように捉えればよいのか。著者の説得力ある分析が提示される。後半はby nowの詳細な事例研究である。すでに述べたように、by nowにはby nowならではの独自性が見られる。これを無理にbyの時間用法の一種に還元してしまうのではなく、byの時間用法全体に当てはまる知識とby nowに特化した知識を同時に覚えている(それらが両立する)と考えられること、それが使用基盤モデルでは自然に捉えられることが示される。例の分類、集計に伴う問題も丁寧に書かれており、実例やコーパスで得たデータをどのように扱うべきかを考える意味でも得るものが多い章だと言える。

第3章はbyの空間義である。前置詞と言えば位置や経路などを表す空間義が語られることが多いが、byについては「近接性を表す」と言われるぐらいでそれ以上踏み込んだ分析がなされてこなかった。本章前半ではnearとの比較をもとに、近接性を表すbyの用法を丁寧に記述し、単に空間的近接性といった抽象的な特徴づけでは捉えられないようなbyの言い回しを明らかにしている。個人的におもしろいと思ったのは、sit by the fireのようにbyが「火や暖炉」を表す名詞と共に使いやすいという指摘で、言われて見ればたしかによく目にするもので、このようなフレーズを意識して覚えることの重要性が実感できる。次に、[動詞+by]で「過ぎ去り」(例:pass by)や「立ち去り」(例:drop by)を表す用法が扱われている。これは移動表現の研究としても貴重であると言える。移動表現と言えば、この30年でもっとも集中的に研究されてきた言語学の分野の一つであると思われる。特に移動表現の比較を通して、言語の類型について活発な議論がなされており、英語は移動の様態(どのように歩くかなど)を動詞で表現し、移動の経路は前置詞などで表現するタイプの言語だとされている。これがマクロの移動表現研究だとすると、本章後半はミクロの移動表現研究であると言える。wanderといえば蛇行や一時停止をしながら移動することを想起させる語なのに、A stray cow wanders by.のように[動詞+by]という表現でwanderが使われた場合はストレートな移動を表す、といった興味深い観察が随所に見られる。come by,stop by,drop byにそれぞれ独自の使用範囲があることを記述した箇所も必見。このようなミクロの視点を取り込むことで、英語という言語の移動表現の研究がまた一歩進むのではないかと思う。そして、空間的な「過ぎ去り」用法と時間的な「過ぎ去り」用法(例:as time goes by)の違いも詳細に扱われており、単に空間的用法から時間的用法に拡張した(メタファー的な拡張)と言って終わり、というわけにはいかないことが明確に書かれている

第4章で取り上げられているのは手段を表すbyである。ここでは広い意味で「手段」という語が用いられていて、実際にはさらに下位区分できるような様々な用法を含む(grab someone by the armやcome in by the second-story windowやThe tubes are connected by rubber hose to a pipe ...など)。この種の用法で特徴的なのは、byが目的語(前置詞補部)の名詞、特にその可算性にうるさい、ということである。そのこと自体に気づいていた人は少なくないと思われるが、本書のようにそれをきちんと提示する記述は少ない。各用法間の意味のつながりを探る前に、まずこのような基礎的な記述をすることが重要だろう。そして、それらの用法の関係を言うことができたとしても、それぞれの用法で典型的な言い回しを覚えていることは依然として重要であることが述べられる。Susan pushed John by the shoulder.よりもSusan pushed John along by the shoulder.のほうが自然と感じる英語話者が多い、といった着眼点も勉強になる(alongが付くとなぜ自然に感じる人が多くなるのかなど、ぜひ実際に本書の記述を見てみてほしい)。

第5章は差分・単位用法を表すbyを扱っている。by a margin of ...やby the poundといった表現の分析もおもしろいが、個人的には、step by slow stepやbit by tiny bitのように形容詞が入るN by Nの分析に注目したい。このような表現が生まれる源泉として、著者はonce and only onceのような表現のみならず、結果構文(結果構文の中でもI cut the dress shorter.のように、形容詞(shorter)が動詞(cut)の意味を顕在化させているもの)、同族目的語構文(例:She lived a good life.)といった複数の構文を挙げている。これらの表現が互いに支え合うことで、step by slow stepといった表現がbyの後ろにまたstepがくるという予想を裏切った創造的な言い回しである一方で、同時に英語らしい表現として自然に感じられるような素地を整えていると考えられる。前置詞研究でネットワークと言えば、特定の前置詞を取り出し、その複数ある意味の間にどのようなつながりがあるのか論じる研究が多いが、ここで示されているように、他の表現(構文)とのつながりを考えることも重要であるはずだ。使用基盤モデルは自然な言い回しを多数覚えているという面を重視するが、step by slow stepの事例研究は、使用基盤モデルが拡張的な表現を説明するうえでも有効であることを示していると言える。

第6章は結語であるが、単なるまとめではなく、この研究の意義が3つの観点から述べられているので、ここも見逃さずに読んでもらいたい。

最後に

以上、『前置詞byの意味を知っているとは何を知っていることなのか:多義論から多使用論へ』について紹介してきましたが、最後に個人的なことも。著者の平沢くんとは東京大学大学院(言語学研究室)の同期で、共に西村義樹先生のもとで学んだ仲間です。真摯に英語に向き合う姿勢からはいつも刺激を受けていました。今回は原稿を読んでコメントするという形で協力しましたが、原稿を見ながら彼とやりとりするのもまた楽しい時間でした。この本が多くの人に読まれることを願っています。

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