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平沢慎也著『実例が語る前置詞』の紹介(その2)

前回に続いて、平沢慎也さんの『実例が語る前置詞』(くろしお出版)を紹介します。今回は、前回以上に私なりのスパイスを加えて、この本の意義について語ってみたいと思います(平沢さん自身が直接書いていない内容にまで踏み込んでいます)。

なお、「その1」では、この本の特徴について紹介しつつ、私の実体験をもとに「この本の効果が発揮されるのはいつか」などの話を書きました。今回の記事は単独で読める内容になっていますが(「その1」を読んでいることを前提にしていません)、もし「その1」も読んでくださるという場合は以下からご覧ください。

1. 前置詞の本なのに?

「英語前置詞の本」と聞くと、以下のような特徴を持ったものが思い浮かぶかもしれません。

  • at, in, on, … のように、前置詞ごとに取り上げ、主要前置詞をすべて載せている

  • 各前置詞の用法をできるだけ網羅的に扱っている

しかし、目次を見ればわかるように、『実例が語る前置詞』はそのような作りにはなっていません。この本のPart I は「位置の2段階指定」や「差分スロット」のような見慣れない用語が並んでいて、各章で特定の前置詞を取り上げるということはしていません。Part II では前置詞ごとに1章という構成になっていますが、たとえばinを扱った第11章のセクション見出しを見る限り「~の中に」の意味を扱った箇所が見当たらないなど、偏った取り上げ方をしているように見えます。主要前置詞をすべて載せることもせず、また取り上げた前置詞の用法も部分的にしか扱わないというのは、前置詞の本としては意外に感じられるかもしれません。

2. 「つまみ食い」的な性格

このような構成は意図的なものであり、著者自身がこの本は「つまみ食い的に」前置詞を扱ったものであると明確に述べています(「はじめに」の第4節を参照)。このような構成のどこに利点があるのでしょうか。著者の使った「つまみ食い」という表現をヒントにして、料理のたとえを出しながらこの点を掘り下げてみたいと思います。

料理がうまくなりたいと思っている人がいるとします。多少は料理に慣れてきたという段階(中級以上)であれば、「今月は卵料理をやろう。まず最初の3日間で卵料理の何たるかを学んで、4日目がだし巻き卵、5日目がオムレツ、6日目が茶碗蒸し・・・一通り終えたら、来月はきのこ料理だ」みたいな学び方はおそらくしないと思います。「昨日居酒屋で食べたオムレツがおいしかったから、今日は自分でもオムレツを作ってみよう」といった感じで新しい料理を覚えていくほうが普通ですね。

前置詞の学習もこれと同じでよいのではないでしょうか。つまり、「まず前置詞inの何たるかを理解してから、「~の中に」を表す用法、状態を表す用法、時間を表す用法などの各種用法を学ぶ」といったやり方ではなく、「さっき読んだ英文記事にin an attempt to do …という言い回しが出てきたから、同じような例が他にないか確認してみたら、in an effort to do …もあることがわかった」といった感じです。このような「つまみ食い」式の学習を続けることで、inを用いる言い回しを着実に身につけていくことができるでしょう。

3. そもそも前置詞の用法を網羅的に扱うことは可能なのか?

「でも、やっぱりinの何たるかを理解した上で各用法を学んだほうがいい気がする」と思う人はいるでしょう。もう一度、卵料理で考えてみます。卵料理と一口に言っても作り方はさまざまで、オムレツと茶碗蒸しだってずいぶん違いますし、さらにオムレツにもいろいろな種類があります。卵料理だけでも学ぶことはたくさんあり、卵料理をマスターしようと思ったら大変な労力が必要でしょう。実際、卵に特化した料理本だってあるぐらいです(卵料理だけを扱った本は何種類も出版されていますので、気になった方は検索してみてください)。

同じように、前置詞1つ取っても、本気で取り組もうと思えば大変なことになります。実際、平沢さんの前著『前置詞byの意味を知っているとは何を知っていることなのか』は1冊丸ごと使ってbyに取り組んだものですが、それでも本人はbyの全貌を明らかにするには程遠いと書いています。真剣にやるのであれば、数百ページで各前置詞の用法を網羅的に扱う本は成立しないことになります

「前置詞1つでそんなにも大変なのか」と感じられるかもしれませんが、悲観することはありません。前置詞の全貌を明らかにしないと英語が楽しめない、というわけではないのですから。オムレツは得意だけど茶碗蒸しは苦手みたいなことがあっても別に問題ないように、前置詞inを含む言い回しにもよく知っているものと、そうでもないものがあってもいいはずですし、それが自然です。つまみ食いを繰り返していって、徐々に言い回しのレパートリーを増やしていく。『実例が語る前置詞』はそのような学習の指針を提示してくれる本だと言えます。

4. 学ぶべきは本当に前置詞なのか?

ここまで、前置詞を具材に、前置詞を含んだ言い回しを料理品にたとえながら話をしてきました。この比喩はほかにも示唆を与えてくれます。

今度はプリンについて考えてみましょう。プリンには卵が使われていますが、卵料理の一種としてプリンを取り上げることはあまりないと思います。プリンはスイーツの一種、デザートの一種として考えることのほうが多いでしょう。料理の取り上げ方として、その具材に着目するのがベストかというと、そうとも限らないわけです。

前置詞を含んだ言い回しの場合も、同様のことが言えます。たとえば、tie one's hair in a ponytail(髪を結んでポニーテールにする)やwear one's hair in a bun(お団子ヘアにしている)という表現には、前置詞inが含まれていますが、inの言い回しとして考えるよりも、まずは髪型を表す言い回しとして捉えるほうが自然に感じます。

tie one's hair in Xやwear one's hair in X(Xは髪型の表現)に習熟している人の感覚からすると、これらの言い回しにinが含まれていることにあまり注意が向かわない、ということもあると思います。「言われてみると、この表現ってinが入っていたね」という反応でも不思議はありません。

もし「wear one's hair in Xという表現を使えない」という方がいたら、それはinの知識が不足しているというよりは、そもそも髪型関連の表現に詳しくないことが原因だったりするのではないでしょうか。あるいは、wearの使い方に慣れていなかったという要因も考えられるかもしれません。つまり、前置詞以外の部分でつまずいている可能性があるのです。

『実例が語る前置詞』の紹介をしているのに、まるで前置詞を取り上げることの有効性を否定しているかのように聞こえるかもしれませんが、もちろんそうではありません。

英語の学習が進んで、「髪型を表す表現は多少知っている、wearの使い方も知っている、でもwear one's hair in Xという言い回しは知らなかった」といった状態であれば(あるいは、「髪型表現やwearの使い方などを同時に学ぶのが負担でない」と感じられる状態であれば)、こうした表現をinの言い回しとして覚えることに意義があります。ある程度しっかりと英語を学んできた中級以上の学習者の方にとっては、『実例が語る前置詞』は抜群の効果を発揮するのではないかと思います。

5. 前置詞横断的な視点

『実例が語る前置詞』は2つのPartから成り立っています。おそらくPart II のほうがわかりやすいと思うので、先にこちらに触れておきます。Part II は各章に前置詞を1つ割り当て、よくある言い回しを取り上げています。つまみ食い式なので、紹介されている言い回しは絞られていますが、中級以上の学習者にとって盲点になりそうな表現が厳選されています。

個々の前置詞を扱っていたPart II と違って、Part I はたくさんの前置詞にまたがるような着眼点や発想法を紹介しています。このような点を扱った前置詞の本はあまり多くないと思うので、以下ではPart I の有効性について取り上げたいと思います。ここでも料理になぞらえるとわかりやすいかもしれません。

料理の場合、「卵料理のコツ」のように具材に着目してコツを紹介することもあれば、「煮物のコツ」や「デザートのコツ」のように具材そのものとは違った角度から取り上げることで見えてくるポイントもあると思います。大根を使うにしても里芋を使うにしても、煮物を作るのであれば共通して知っておいたほうがよいコツはあるでしょう。『実例が語る前置詞』のPart I は、まさにそのような視点を提供してくれます。

hit him on the headのような構文から攻めることもあれば(第2章)、日本語の「たら」「とき」「あいだ」に当たる表現を見たりと(第3章)、Part I の切り口は多岐に渡ります。時にはまったく似ていないように感じられる表現の間につながりが見えてくることもあります。たとえば、15 min. into the exam(試験開始15分後)とYou're just a phone call away from your family.(たった電話1本で家族とつながれる)という表現は、表面的にはだいぶ異なるように見えますが、第6章に出てくる「差分スロット」という考え方がわかれば、同じ発想に基づく表現だということがわかります。intoやawayをそれぞれ単独で見ていたら気づかないようなコツが「差分スロット」ということになります。Part I を読むことで、前置詞横断的に言い回しを眺めることの楽しさを学ぶことができるでしょう。

Part I 読了後に英語の実例に触れると、「この表現って、前に学んだあの言い回しと似ているんじゃないか」「この言い方って、日本語の発想とは大きく違うから意識的に覚えるようにしよう」などと気づきやすくなっているのではないかと思います。

6. 実例を楽しむ

前置詞の本といえば、主要前置詞をすべて載せる、各前置詞の用法を網羅的に扱うというスタイルが主流かもしれませんが、それが理想的であるとは限りません。その代案が、『実例が語る前置詞』が提示するつまみ食いスタイルです。ある程度英語を学んできた中級以上の学習者にとっては、このつまみ食い式の学習が大きな効果を発揮すると言えるでしょう。

「つまみ食い」というと、いい加減な食べ方を指すように聞こえるかもしれませんが、本書が提示する英語の向き合い方はその逆で、「しっかり味わおう」というものです。一品一品の料理をしっかり味わうという経験をせずに料理ができるようになるシェフは存在しないと思います。それは英語の場合も同じで、実例をしっかりと味わうことが大切です。この言い回しは、どんな文脈で、どんなことを伝えたくて使われるのだろう、と立ち止まって考える。「髪型の表現なんて余計な知識」などと言って無視したりせず、どんなことでも英語のことなら知ろうとする。英語前置詞の「本質」というようなものが仮にあるとしたら、それは実例をしっかりと味わった先にようやく見えてくるものでしょう。

そもそも本質なんてものは、あってもなくてもいいのです。前置詞の本質なんてものが見えても見えなくても、目の前の実例が楽しめればそれで十分です。とにかく実例を楽しむ。結果的に言い回しのレパートリーが増える。『実例が語る前置詞』は、そうやって英語を学んできた著者の軌跡を追体験できるような本だと言えます。

[補足]
「本質」という言葉をどう捉えるかについて、平沢さん自身の考えを知りたい方は『前置詞byの意味を知っているとは何を知っていることなのか』第1章の最後の部分をご覧ください。

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