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『あかり。』 第2部 #41 函館の洋館と山わさび・相米慎二監督の思い出譚

メインのロケ地に選ばれたのは北海道・函館だった。
思えば、相米監督と最初に撮影したのも北海道だった。なんらか縁がある土地なのだろう。
ここでも、ロケハンから含めて、以前お世話になったロケコーディネーターのKさんに再びお世話になった。(E社も北海道ロケはKさんの会社をパートナーにしていた)
Kさんは再会をとても喜んでくれて、キッチンカーでいつも美味しいロケ飯を用意してくれた。
「ムラモトさん、山わさびたっぷり用意してあるからね。監督に言っておいて」
「あ。助かります!ありがとうございます」
監督の好物の一つに『山わさび』がある。これは木の根っこのような形状のもので、西洋ワサビ(=ホースラディッシュ)みたいだけど、もっと辛味の強い鮮烈な味がする。北海道独特の香味野菜だ。擦りおろしてイカソーメンにのせたり、白飯の上にのせたりして食べる。醤油と相性が抜群にいい。
『山わさび』を探すことも北海道ロケでは重要な任務になるのだ。

函館にI学園という、瀟洒でモダンな西洋建築の学校があって、そこが最初のロケ地だった。この学校に転校してきた少女が『吉川ひなの』で、その学校に通う少年が『鳥羽潤』だった。ボーイ・ミーツ・ガールが、企画だ。
あれは、その学校に協力してもらったのか、……どうしたんだろう、学校内にやたらエキストラを用意して自然に見せるよう雰囲気を作った。同じ制服、同じ年齢。学校とは不思議なところだ。

背景の動きを作るのに、階段を何度も上り降りしたことを覚えている。
当時、CMクィーンだった吉川ひなのは、過剰とも言えるスケジュールの中、撮影に参加していた。

しかしながら、そんなことは監督には関係ないので、何度もテストが繰り返された。あの、何度も繰り返す執念というかなんというか、いつ見ても感嘆してしまう。ところが、俳優によっては、ある程度までそれを歓迎したりする。適当なところでOKを出す監督が、いかに多いかの裏返しでもある。

吉川ひなのは楽しそうに演じていた。演じる、と言うより振る舞っていた。監督にまったく臆せず、楽しんでいた。こういう屈託のなさが当時は歓迎されたのだろう。
鳥羽くんは新人だったが、素直な気のいい若者で、撮影とはこういうものなのかと何度も飽きずに繰り返していた。

スタッフもみんな慣れたもので、粛々と自分の役割を果たしていた。E社の制作部も張り切っていて、すごく仕事がやりやすかった。
これはなんとかなるかもなあ・・・と思いながら、僕はストップウォッチを押していた。もちろん、ぜんぜん尺(=時間)には収まっていないのだが、カットは割ってあるので、これを永遠に繰り返せば、編集はできる。

長回しというより、ワンカットずつを長回し。それを引きの絵でも、アップの絵でもコンテにある限り永遠に撮り続ける。ワンカットずつ、OKカットを出すのだから、時間もかかる。

そんなふうにして、何本分も撮影を続けた。

それは前回のシリーズで、監督の長回しを生かすために、苦肉の策ではじめたことだが、こんな撮り方が許されるのもCMだから。とにかくフィルムが膨大に回る。
カメラのMさんは、それをわかってくれているので、フィルムの発注量(そういえば前回はフィルムが尽きてしまい、東京から取り寄せた)も十分にあったし、ロール(=フィルム)チェンジのタイミングやスピードも機転を利かせてくれる。本当に助かった。

監督は、いわゆるアイドルたちとコミュニケーションを取るのがうまかった。
子供扱いしているようで、きちんと人格(俳優としての自覚?)を認めた関係性を築くから、向こうから勝手に寄ってきた。近づいてくれば、これほどやりやすいことはないものだ。

『こうしたい』『こうしろ』は、ゾーンを狭める。
『他にないのか』『他にやりようがあるだろう』と突き放すことは、相手が考えるきっかけになる。(やる気のある人であれば、だが。)
アイドルたちは、お仕着せの仕事に閉口しているから、そんな監督の語り口に、まんまとはまっていくのだった。

ただ、それは『こうした方が、こいつはもっとよくなるのになあ』との、客観的な慈愛に由来する……と、昨日の夜、気づいた。そこにあったのは、作品をよくしたいとかじゃなくて(だって、それは元々、監督の趣味に合うようなものではない)もっと物事を俯瞰めに見ていた視点じゃなかったのかなと。

「そんなもんじゃないだろう」と言いそうだが、今になってそんなふうにも思えてくる。

監督は、なんであんなに一生懸命、アイドルたちに向き合っていたのだろう? 
思想家の内田樹先生がよく言われるフレーズに『情理を尽くして説明する』があるのだけど、なんか言葉数の問題ではなくて、その言葉がしっくり来たりもする。

鳥羽くんもひなのちゃんも、あの頃は、なんだかやらされてることはわからないし、自分がこれからどんな人生を歩むのかもわからないけれど、日々懸命に大人の世界で生きていた。そんな中で、一緒にカメラを挟んで過ごした数日が、楽しい思い出であって欲しい、と思う。


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