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『あかり。』⑥役者との高度なキャッチボール・相米慎二監督の思い出譚

相米慎二監督との撮影は翌日も続いた。
早朝。よく晴れていて北海道らしい天気だったことを覚えている。
カメラが移動レールに乗りながら、役者二人を捉えている。そのカメラを人物に見立てて役者が語りかける。
ワンシーン・ワンカット・・・らしき撮り方だった。コンテもそうなっていた。監督が役者にまず動いてみろよと投げかけ、役者がそれに応える。そんなふうにしてリハーサルが始まった。


今日はカメラカーでの撮影がないので気が少し楽だった。
監督はリハーサルをやりながら『言葉』を投げかける。
どんな言葉だったのだろう。あまり覚えていない。


実は気になっていたのはフィルムの残りが少なくなっていたことだ。前日、ガラガラと回しに回していたので持ってきていたフィルムが切れかけていた。
もちろん、そんなことは監督に言えない。
制作部は昨夜のうちにフィルムを手配し、もうすぐ東京から届くはずだった。


そういえば、朝一にリハーサルの準備の合間でおにぎりを頬張っていると、監督が「朝からよく食うね」と話しかけてきた。「食べないともたないんで」と答えると「俺はダメだな。食えないんだ、撮影だと」とぽつりと言った。
馬鹿みたいに食べているのが申し訳なくなったが、腹が減って撮影するのも辛いので飲み込むようにしておにぎりを食べてしまった。変なことは覚えているものだ。


そう、役者とのリハーサル…それは永遠に続いていたわけじゃない。回しながらやるか、と監督が言い、割とすぐにカメラを回し始めた。
テイクごとに芝居は変わる。そして全然尺に収まっていない。
もしかしたら前日よりオーバーしているかもしれない。
監督は全く気にしていない。そもそもストップウォッチを持っていない。
まあ、映画監督でそんなもの持って撮影する人はいないだろう。
映画ならスクリプター(記録する係の人)がいるし、助監督も何人もいるのだから。

そんなわけで、内心すごく心配事はあったが、それよりも監督と役者が交わしている高度なキャッチボールが見ていて面白かった。
演出はスタッフが見ている中で行われるのだから、ある意味<公開キャッチボール>である。
プロ野球選手の試合前のキャッチボールも見ているととても面白いものなのだが、それに似ているかもしれない。お互いが遠投から始まり、徐々に投げる距離を縮めていくというか。
監督は二人の役者を大人扱いしていた。(まあ、大人なんだから当たり前なんだけど)「もっと面白いことやってみろよ」と言いながら、与えられたシチュエーションを最大限お互いに楽しもうじゃないか、と投げかける言葉の先で、語りかけていた。具体的なことは一切言わない。
あるいは囲碁の名人が遠くに碁石をトンと置くような感じだ。わかりやすい目先の一手は打たない。ゲームが進むにつれ、少しずつ棋譜が出来上がっていくような。そんな感じかもしれない。
その後も監督についている間、この光景を見るのは、いつだって楽しかった。


僕たち広告屋は、普段最短距離を走るように訓練されていた。CMの世界は撮影時間も短いし、そもそも仕上がり尺が短いから(15秒・30秒)遠回りするようなことは基本敬遠される。だからなのか、正解をすぐに欲しがる。待てない。繰り返し行われた打ち合わせで決まったことに直線距離で向かおうとする。


しかし、監督の演出はそういうしがらみとか我々の常識とは真逆だった。どんな些細なことにも、他の可能性を探る手間を厭わない。予定調和からわざと離れようとする。
そういう演出を見ることは初めてだった。
きっと俳優も、そういう高尚な遊びが楽しいのだろう。
自分の中のまだ見ぬ可能性を探す行為が。それが自分にあると思う人にはだが。


こんなふうに言われるだろうとみんなが想像していたセリフは、想像とは違うところにいつしか着地する。しかし、それが企画意図とぜんぜん違うところにいってしまうわけではない。その辺りのバランスがさすがだなと思わせた。
一流の役者を一流の監督が撮るとは、こういうことなのだと僕は感心して見ていた。広告代理店の人たちも納得させる企画の飛ばせ方がうまかった。
監督は、手ぶらで存在していた。存在そのものが演出だった。

結局、監督に相談してアングルを変え、アップショットなども含めて撮ってもらうことにした。すべてのカットがワンシーン・ワンカットだった。
あとで編集させてもらう前提だったのだ。そうしないととても尺には収まらない。とりあえず、引きの絵だけではどうにもならない。
でも、この苦肉の策のような撮り方が、後々の監督との仕事では、とても役に立った。監督の演出の仕方を生かしながら、編集でモダンなテンポを出していくのは僕にとってもすごく面白かったし、何より編集の勉強になった。


撮影と編集では、使う脳の部分をシフトすることを少しずつ覚えていった。



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