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マイヒストリー、あるいは自分との対話

hana*logさんの書くものは、こちらの心にすっと入ってきたかと思えば、ずしりと重いものを残していく。おそるべき noterさんですね。

👆の記事には心がざわつくテーマが複数ありますが、なかでも私が共鳴したのは、人とかかわることが苦手な自分を受け入れる、という姿勢です。

私は記憶力がいいらしく、自分が 20代や 30代の頃にどんな気分で人とかかわっていたか、かなり鮮明に思い出せます。
それを書くことにしました。そしたら、いろんなことに気づきました。

年上の女性が、20代の私に残したもの

世の中には、「人格は 10歳までに形成される」とかムチャなことを言う学者さんもいるようですが、私は 20代から振り返ることにします。
18歳から 26歳にかけて、私の人格はひとりの女性によって上書きされた、と考えているからです。

20代の前半に、うんと年上の女性に身も心もハマったことは、幸運でした。
もしその頃、同年代の女性と付き合っていたら、相手をリードしようとしたんじゃないかな。相手を自分の色に染めようとか、支配しようとまでしたかもしれません。そんなことに力を使わずにすんでよかったな、と。

30歳の女と21歳の男の子なんて、文字どおり、大人と子供ですよ。
ハナっから、彼女に対抗する気などあるわけもなく。
生きることの達人のような彼女から素直に吸収するだけでした。
彼女は最愛の人であるとともに、私の師であり目標だったよね。
彼女のような人になりたい。
それは、「頭が良い人」と「面白い人」を意味しました。

同棲し始めて、彼女の本棚を眺めるようになりました。
これ、全部読んだのか、とおののきながら。
それから、私は本を読むようになったよね。
彼女の頭の中を覗いてみたかったんだよね。
彼女の蔵書を完全制覇するのはとても敵わなかったけど、池波正太郎と塩野七生は読破しました。
そこから学んだのは、“粋” というものだったと思います。

「面白い人」になるために、彼女のお店での接客にいつも耳を傾けていました。
当時のホステスってのは、客を笑かしてナンボでしたね。
とくに関西の水商売はその傾向が強かったんだと思う。
外見を美しく見せるのは当たり前。でもそれだけでは上質の客はつかない。トップクラスのホステスたちは、知性と教養と話術で勝負してた。
イマドキのキャバ嬢などとは格が違うのです。

当時はダウンタウンの最盛期でした。
お店が休みの日曜日は、彼女と鍋をつつきながら『ごっつええ感じ』を観てた。
同年代の友人には松本人志の信奉者が多かったけど、彼女は淡々と
「浜田のツッコミもうまいねん」
と言う人でした。

大阪の人って、笑いに対する眼識が常人より一段も二段も高いところにあるんですね。
大阪人が皆面白いとは限りませんが、ほぼ皆が「おもろい奴が一番エラい」という価値観を共有しています。
彼女に幾度も「おもんない」とダメ出しされながら、笑いの筋肉を鍛えられたよね。

このようにして、「頭が良い(=教養がある)」と「面白い」に最高の価値を置く人間観が形成されました。
それが呪縛でもあったことに気づくのは、10年以上先のことになります。

“陽気で社交的な私” を演じていた 30代

「頭が良い人」と「面白い人」は、私の中で同じ意味になっていました。

彼女とお別れしてから、海外に3年 ⇒ 日本に3年 ⇒ 海外に5年 ⇒ 日本に4年という海外転勤族のサイクルになって・・・
いつのまにか私は、誰とでも分け隔てなく打ち解け、話し好きで社交に長けた人間になってたよね。
海外で生きていくために、そうならざるをえなかった面はたしかにある。
でも、彼女に作られた人格によるところが大きかった、と今にして思う。

誰にでも気軽に話しかけ、気の利いたジョークで人を笑かし、来る者拒まず、悩みも屈託もなさそうなキャラ。
じつは、そのキャラで多くの人を不快にさせ、傷つけていたかもしれない。しかも本当の自分は、周りの評価をすごーく気にしていて、人一倍繊細で、人を傷つけたり人に嫌われることを、暗く深く気に病む人間だった。
そんな陰気な本性を隠したかった。

バツ 4の私がつけた 4つのバツはすべて30代のときでした。
「会社都合です(笑)」なんて強がって言ってるけど、自分と真剣に向き合ったら、後悔だらけですよ。
頭が良くて面白い “私” なんかじゃなく、じつは人嫌いで根暗な私をわかってくれる、もっと深い絆が欲しいって心が叫んでたと思います。

人とかかわるのが好き。人を楽しませるのが好き。人が好き。
そんな人間を演じてただけなんだよね。
嫌われたくなかったから。暗い奴だと思われたくなかったから。

40代にしてようやく、無理している自分に気づいた

スイスに住んで3年目、43歳のときでした。
仕事がスランプ期だったことで、自分を見つめ直そうと本能が働いたんでしょうね。自分に対して「おまえはどういう人間なんだ?」と問いかける日々がありました。

メタ視点に立った自分=カウンセラーとの対話ですね。

メタ「珍しく元気がないみたいですが」
私「いろんなことが面倒に思えてきて」
メタ「それはあなたらしくないですね」
私「私らしいって、何なんだろうか?」
メタ「さあ・・・何だと思いますか?」
私「明るくて、いつも楽しそうで、誰とでもうまく付き合えるような」
メタ「今のあなたは、正反対のように見えます」
私「ちょっとスランプみたいで・・・」
メタ「本当に、それだけでしょうか?」
私「・・・・・・」
メタ「いろいろ、無理しているのではないですか?」
私「私が無理をしている?」
メタ「あなたは、本当に陽気で社交的な人間でしたか?」
私「たぶん、違うんだろうね」
メタ「そうですね。本当のあなたは違うと思います」
私「やっぱりそうだったか(笑) で? 今さらどうしろと?」
メタ「本当の自分を受け入れて、ラクに生きていけばいいのでは? まだ全然遅くはないと思いますよ」

自分の中にある多様さと矛盾と寛容

彼女のような人間になりたくて、教養と笑いを磨いていた 20代の私。
人とのかかわりを楽しみ、社交的に生きてるつもりだった 30代の私。
人とかかわることが面倒になり、本当の自分を探し始めた 40代の私。

全部「私」なんですよね。
今だって、人とかかわるのが面倒とか言いながら、noterさんとかかわることを楽しんでいる私がいます。

ひとりの人間には、多数の異なる性質が同居しているんですね。
それらは多様であるどころか、真っ向から対立していることもあります。
人と深くかかわりたい自分と、他人のことに興味がない自分は、どっちも本当の自分だと思います。

ひとりの人間。ひとつの人格。でも、その中は矛盾だらけなんですよ。
その矛盾に苦しむこともあるでしょう。
でもほとんどの人は、自分の中の矛盾に対処していますよね。どうやって?
それが、寛容の精神だと思います。
認めて、許す心。

自分に厳しく一本筋の通ったような人でも、自分の中の一貫性のなさや矛盾に薄々気づいてるはずなんですね。それでも発狂せずに生きていけるのは、無意識のうちにそんな自分を許しているからだと思うんです。

自分の中の多様性に寛容になれなかったら、世の中の多様性に寛容になれるわけないですよね。


過去の自分と対話してみる。
あなたの歴史 (your history) を認める。
矛盾に満ちた自分を許す。

あなたの中に住む、多様なあなたに逢えたら。
劇的な出会いも登場人物も必要ないと思います。
あなたの物語 (your story) は、あなたがいるだけでドラマになります。


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