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朝ドラ「虎に翼」を見て〜機能不全家庭がもたらす負の連鎖〜


いま評判の高い朝ドラ「虎に翼」。
私もすっかりハマってしまい毎朝楽しみに見ています。
最初は伊藤沙莉さん主演ということで彼女目当てに見始めたんですが、役者陣皆演技派揃いで、尚且つ本当に日常にこういう人いそうだな、と思えるような自然な演技のできる役者さんが揃っていますね。
個人的には花江ちゃん役の森田望智さんに注目しています。まだお若い方のようですが(調べてみたところ27歳でした)、役によって全然違うし本当に「その役そのもの」を演じるというより生きているようなお芝居をされる、本当に上手い女優さんだなーと思います。

そんな「トラつば」ですが、今週の梅子さんと大庭家のエピソードは特に私の中で色々と印象深くて、ちょっと語ってみたいなぁと思ったためnoteにて鑑賞記録として色々思うところを書かせていただきたいと思います。

視聴者に大きなショックを与えた三男・光三郎の「裏切り」

光三郎に関しては、水曜日の放送時点では「お母さんに似て優しい子に育ったんだな」という意見と、
「いやお母さんの意見も聞かずに一人で勝手に決めてお母さんと一緒におばあちゃんの面倒見ます発言はどうよ」
という意見とでネット上で二分されていました。
…が、木曜日の放送でまさかの亡き父の愛人と恋人関係になっていたというエグい事実が判明して、一転して
「気持ち悪い」「優しいんじゃなくてただのアホの子」「父親と女の趣味が同じとかぞっとする」…等々、散々大批判を浴びてしまう結果になってしまいました。(演じた俳優さんまで「せっかくイケメンなのに演じた役が酷すぎて気の毒」と同情されていましたね…苦笑 しかしそこまで視聴者に強烈なインパクトを残したと考えると、むしろ役者冥利に尽きるのではないでしょうか。)

が、私はそんな光三郎本人もまた、機能不全家庭における被害者の一人なのだと思っています。
この作品の主人公は寅子なので、寅子本人や彼女の家族、友人達目線でストーリーが展開されていっている以上どうしても大庭家に関しては寅子の友人である梅子さんの目線で見てしまいますが、少し光三郎の目線に立って考えてみましょう。
母親に対する(今で言うところの)モラハラを振りかざす父親。
そんな父親と姑からのハラスメントに耐える母親。
母親はせめてまだ幼い三男だけは父親のような人間にはさせまいと三男には特に深い愛情を注ぐようになる…。
現代において児童虐待の定義は、言葉や身体的な暴力、ネグレクトに加えて両親同士が不仲でしょっちゅう喧嘩しているor 一方が一方に対して暴力を振るう(言葉の暴力ないしは身体的な暴力)のを目の前で見させられるというのも虐待に入るとされています。
そして、父親と母親の夫婦間の関係性が完全に破綻しているとき、何が起こるかというと一方の親が子供に対して強く依存してしまうようになるケースが多いんです。そしてこのケース、どちらかというと父親よりも母親に多いように思います)
特に、父親→母親へのDVにより母親が息子にべったりになり、お父さんのような人間になってはいけないよなどと息子に吹き込んでしまうのは息子の将来の人格形成に大きな歪みが生じてしまう最悪なケースでしょう。

勿論、梅子さんは優しくも聡明な女性です。かつて学生時代の花岡さんに対して、「どの貴方も貴方よ」と優しく諭すシーンを見るに、決して子供が何をやっても叱らず甘やかして育てるようなダメ親ということはないでしょう。
でも、残念なことに梅子さんが夫や姑からのモラハラに耐えれば耐えるほど、光三郎の中では「お母さんを守らなければ」という思いが強くなっていき、その結果として適切な母親離れというのができないまま、母子ともに共依存のような距離感のまま成長していってしまったのだと思われます。

思春期に適切な子離れ・親離れができなかったらどうなるか

結果として、光三郎は自分の父親の愛人に対してこの人も父親に虐げられた「可哀想な女性」なんだと絆されてしまい、愛人の手中に落ちてしまいます。
大好きな母親を貶めた女をなぜ好きになれるのか理解できない、という世間一般の疑問の声は勿論分かります。
けれども、思春期のうちに母親への反抗期→母親からの自立という通過儀礼をきちんと辿れなかった男の子は、往々にして異性と適切な距離感を保った関係を結びにくい、というものがあります
基本的に男の子は小さい頃からお母さんのことが大好きです。
けれども、第二次性徴が始まり、子供から大人へと身体が成長していくに従って反抗期を迎えると同時に母親以外の異性にも目を向けるようになる。
そういった通過儀礼を辿れないまま身体だけ成長してしまうと、「母性を求める心」と「恋愛感情」との区別をつけることが非常に難しく、パートナーに対しても母性を求めてしまうようになり、結果として女性と恋愛関係を築けても関係がこじれて破綻してしまう、という傾向が非常に多いんです。
(愛人の女性は見るからに気が強くお金にもがめつい典型的な「悪女」を絵に描いたような女で梅子さんとは性格は全く違いますが、光三郎からすれば「父親に虐げられてきた」という一面だけを切り取って可哀想な女性だと同情してしまったんでしょう。その優しさを愛人に付け込まれて…という感じだったんでしょうね汗)

なので、光三郎の人物描写は私としては全く不自然なものだとか、無理のある展開だけど梅子さんを大庭家から解放するために仕方なくああいう展開にしたんだろうだとか、そういった感想はありません。
むしろ、朝ドラという媒体でよくぞここまで限界ギリギリまで母と息子の関係性の歪みや男の子の性のことにまで踏み込んだなぁ、と感心しながら見ていました

機能不全家庭がもたらす負の連鎖


両親同士の関係が破綻していたり、親から虐待を受けて育った子はアダルトチルドレンと呼ばれますが、そういった子は大体この六つのパターンに分かれるといいます。

(1)ヒーロー(英雄)

勉強やスポーツで良い成績や評価をもらうことを第一としています。しっかり者、頑張り屋さんというように見られることがありますが、そうした努力は自身のためではなく親の期待に応えるために、もしくは家族の雰囲気を悪くしないための防衛的で、後ろ向きな意味合いがあります。

こうした努力が実っている内は良いですが、それが何らかのきっかけで挫折したり、失敗したりしたときに、心がぽっきりと折れてしまい、破綻してしまいます。

(2)スケープゴート(生贄)

ヒーローとは全く反対に、問題行動を起こしたり、過剰に低い成績を取ったりして、家族の中で悪者や問題児の立場を引き受けます。家族の憎しみや怒りや不満、鬱憤を一人で引き受け、そのことにより家族のバランスを取ろうとしているのです。家族の中のゴミ箱的な役割とも言えます。

(3)ロストワン(いない子)

家族の中での存在を消し、いない子どもとして、生まれてこなかった子どもとして家族との関係を断ち、ひっそりと気配を感じさせずに生きていこうとします。時には迷子になっても家族のだれからも気付かれることがなく、旅行にも連れて行ってもらえず、家の中にはいても、いつも一人で孤独にいます。

(4)ケアテイカー(世話役)

献身的に家族の世話をし、愚痴を聞き、支えることを過剰なまでに行います。それは自己犠牲的であり、自虐的でもあります。家事をしない親に代わって家事をしたり、養育をしない親に代わって弟妹の面倒をみたりします。そして自身のことは何でも後回しにしてしまいます。
そうした家族を維持する機能を一身に背負って家族が崩壊しないように、バランスが取れるに努力をします。

(5)ピエロ(道化師、クラウン)

家族の暗い雰囲気を回避するために、おどけたり、おちゃらけたり、冗談を言ったり、面白いことを言って笑わせたりして明るい雰囲気を作ろうとします。
ひょうきんで明るい性格に一見すると見えますが、過度に雰囲気を読み取り、人の表情を伺い、どうすれば険悪なムードにならないかと常にビクビクしていたりします。

(6)イネイブラー

イネイブラーはケアテイカーとやや似ています。ケアテイカーと同じように、自己犠牲的で、献身的に尽くします。
イネイブラーでは献身的に尽くしますが、その尽くし方が相手のためにならない尽くし方をします。例えば、アルコール依存症の人にために、アルコールをせっせと用意するなどです。相手の依存を助長するような尽くし方をするため、相手がさらにダメになっていきます。

出典:https://x.gd/vPqmh

上記の項目を読んでいくと、大庭家の三兄弟にも色々と思い当たる節があるのではないでしょうか。
親から虐待を受けていてもグレたりすることなく親を気遣う優しい子、と一見すると何の問題もなく見える子であってもその実、自分を押し殺してまで周りの目を気にしてしまったり、また過度な優しさ故に自分と相手とが共依存的な関係になってしまったりといった問題を抱えてしまいがちなんですよね。

そして、こうして見てみると何故虐待を受けて育った子が大人になり自分自身も子供を虐待するようになってしまう、という負の連鎖が続いていってしまうのか、なんとなく分かるのではないでしょうか
(モラハラするわ不倫するわでひたすら最低男として描かれていた梅子さんの元夫もまた、そういう環境にで育てられてきたんだろうなとなんとなく察します…)

では虐待を受けた子供が皆子供を虐待するようになるのかというとそうではありませんよね。
これに関しては、自分自身で過去の自分と向き合い、「親に支配される自分」像を断ち切り一人の人間として生きていこうという強い意志を持つことが大事だと思います。
とはいえ、並大抵のことではないので、できることならこの人ならば信頼できるという大人に頼るなり、第三者とのコミュニケーションも交えて時間は多少かかるでしょうが焦らずゆっくりと過去と向き合った上で「誰の子供でもない、今生きている自分自身」を肯定してあげてほしいな、と思いますね。

三兄弟それぞれに対して思うこと

三男の光三郎のインパクトがあまりにも強すぎて少々上の二人の印象(特に母に対して各々アプローチをしている次男三男と違って、もう完全に母親のことを視界にすら入れていない長男)が薄らいでしまいましたが、上の二人もなかなかしんどい立場だったと思います。

長男の徹太は一番遺産相続に拘っていましたが、彼の言動を見るに別にお金が欲しいわけではなく大庭家の家長という立場への強い拘り故の主張なのでしょう。
そして、傲慢で人(特に母親を含めた女性)を見下すような態度は父親そっくりだと作中で何度も梅子さんの口から語られていましたが、徹太にとっては自分の父は他にいないので、父親のような生き方しか知らなかったからああならざるを得なかったのでしょう。
それに加えて、長男という立場上、ゆくゆくは自分が父の跡を継ぎ大庭の家を支えなければというプレッシャーもあったことでしょう。
終戦後何年も経って、民法が変わりこれまでの「家父長制度」が廃止されたにも関わらず、未だに家長の座にこだわるのは、別に彼ががめつい性格で地位や名誉や財産に拘っているというわけではなく家長でなくなったら自分は何になればよいのか分からないという不安からくるものでしょう

個人的に、彼に関してはキーマンになるのは妻の静子さんの存在だと思います。
彼女がもし夫に対して愛などなく完全に遺産目当ての結婚だったのだとしたら、その上本心では嫌っている(と思われる)姑の介護までしないといけないとなれば、話が違うと言って離縁される可能性は十分にありえます
父を亡くし母に絶縁され、妻にも逃げられ、家長という立場もなくし完全に裸一貫でゼロからの出発ということになったとき、自分自身を見つめ直してどうか自分の人生を今度こそちゃんと生き直してほしい

或いは、もし静子さんが離縁せず姑の面倒を見てくれるとしたら。
梅子さんと違って彼女はかなり気の強い性格のようなので、梅子さんのように姑に虐げられてもメンタルをやられることはあまりないでしょう。
妻と祖母の間の板挟みになって、これまであれやそれやと面倒ごとを押し付けられていた母の苦労を思い知って、色々と考え直していってもらいたいなと思います。

次男の徹次は改めて見てみると三兄弟の中で一番純粋に母の愛を求めていたのだな、と思いますね。
ただでさえ、三人きょうだいの真ん中の子は待望の長子と手のかかる末っ子に比べると親の目が行き届かず割りを食うことが多いというなかなか難しい立ち位置です。
母が弟を連れて家をしばらく出たとき、口では自分は行かないと言ったけどもそれでも本心では母に連れ出してもらいたかったんでしょう。
(もしかしたらこの頃から、自分以上に可愛がられている弟への嫉妬心が内心あってそれ故に素直に自分も連れていってと言えなかったのかも…)
母親に捨てられたという幼い頃に負った心の傷に加え、戦争に駆り出されるも負傷した状態で帰され。
立派な弁護士になった兄と母に可愛がられ優秀な学生として弁護士を目指している弟に比べて、自分はなんの価値もない人間だと。
自暴自棄になり酒浸りになってもおかしくはないなと思いますね…。
何かと梅子さんに辛く当たるのも、裏を返せば自分をもっと愛してほしかった、自分だけを見てほしかったという母への甘えからくるものなんですよね。
何かと怪我をアピールするのもそうすれば母に構ってもらえるからというのもあったのかもしれません

個人的には、三兄弟の中では徹次が一番最初に今までの母への甘えを自覚し、反省して兄弟達に奮起を促す役目になったのではないかな、というかなってほしいなと思います。
そう思う根拠としては、長男、三男と違って一番梅子さんに対する態度がストレートというか、素直じゃないけどある意味では素直だったから
母からの絶縁宣言を受けたことで、自分が今まで母に甘えていたことを自覚してからは、案外心の氷解は一番早かったのではないでしょうか。
先にも述べたように三兄弟の真ん中というのはとても難しいポジションです。
ですが一方で、兄弟の間に挟まれ、兄と弟の各々の生き方や両親と兄弟との距離感をこれまでよく観察してきたからこそ兄弟の中でも一番柔軟に動ける立ち位置でもあり、本当にいざというときのバイタリティーは真ん中の子こそが一番あるのではないかと思います。
負傷の具合が気になりますし、今の時代と違って障害者雇用だとか福祉も整っていない時代ですので、うまいこと就労できるのかという心配はありますが、なんとか頑張っていってもらいたいものです。

三男の光三郎に関しては、まぁ間違いなくあの愛人は大庭家の遺産が目当てだったと思われるので、遺産が兄弟で三等分されるとなった時点で逃げられただろうなと思われます
或いは、遺産を完全に食い潰されて逃げられるか。
どの道悲惨な想像しかできませんが、まぁ正直言って同情はできませんし高い勉強代を払ったと思って反省してほしいですね。
というか、正直愛人のことはどうでも良いのですが個人的には祖母との関係がどうなっていくのかが気になります
祖母からしたら優しい可愛い孫だと思っていた子がまさかの大庭家の遺産を独り占めしようとしていたとんでもない悪女(しかも父親の元妾だった女)と男女の仲だっただなんて、いくら孫が可愛くても、というか可愛い孫と思っていたからこそ流石に気持ち悪くて仕方ないのではないでしょうか。
大庭家から勘当され、愛人にも食い潰されてともう悲惨な将来しか目に浮かびません。
それでもなんとか希望を見出すとすれば、色々と痛い目に遭って改心した次男に発破をかけられて自分自身を見つめ直す…というルートがあれば…と思います。

それにしても、一番梅子さんから可愛がられ父親の影響を受けずにまっすぐ育ってきた(と思われた)三男が実は三兄弟の中で一番根深い問題を抱えていたというのはなんとも皮肉な話です。
でも、先にも述べましたが、家庭環境の問題上、梅子さんとは共依存と言ってよいような状態になってしまっていたのかもしれませんね。
公式サイトの人物紹介では、光三郎について「お人好しすぎる」と書かれており「優しい」とは書かれていませんでした。
本当の優しさとは、その人を一人の人間として尊重するということ。
そして何より自分自身を大切にできるということ。

穂高先生とのエピソードでも描かれていましたが、相手を尊重しない優しさはむしろ相手にとって毒となるということをこの朝ドラでは一貫して描かれているな、と改めて思いますね。

おまけ…大庭家の二人の女性について思うこと

一人は、梅子さんの亡き夫の妾であり、あろうことかその息子まで誘惑したという典型的な悪女キャラ・すみれ。

彼女に関しても、典型的な悪女ではあるけれど、長らく女性が差別されてきた時代、何らかの事情がありそうしないと生きてこれなかった人なんだろうな、とは思います
けれども、そもそもですが「お妾さん」という概念自体が女性蔑視そのものなんですよ。
どうせ女というだけで生きづらいのならとことん「女」を利用して生きてやろう、そう本人は思っていたとしても、結局は社会から搾取されているに過ぎないんです。
実際、亡くなった元大庭家当主に対して、あんなに尽くしたのに遺産を貰えないなんて、と憤慨していましたよね。彼女が仮にちゃんと丁重に扱われていたら、ある程度のお手当を貰ってもっと綺麗な形で関係を清算できていたでしょう。

先日書いた記事でいつまでも被害者でいてはいけない、自分が辛い目に遭ったからといってその心の傷を振りかざして人を傷つけてはいけないといった内容を書きましたが、それと同じで自分が差別され生きづらさを味わってきたからといってその境遇を盾に取り、光三郎に近づいたように人の家庭や人生を壊すようなことをしてはいけません。 
奇しくも最近、いわゆる頂き女子というものが社会問題となっていますが、このような搾取されるかするかといった生き方しかできない女性というのはいつの時代もいるんだな…とすみれという女性を見ていて色々と考えさせられましたね。

もう一人は梅子さんにとっての姑であり三兄弟の祖母にあたる常さん。

この方もこの方で、「嫌な姑」を絵に描いたような意地悪婆さんといったキャラでしたが、彼女も彼女なりに家父長制の社会で苦労されてきたことだろうと思います。
当時と現代とでは平均寿命が全然違う、といったことはさておき。
子供を産み育て役割を果たしたらあとはもう面倒を見てもらいながら老後を静かに過ごすなんて、現代人の目線からしたらなんて勿体ない、子供や孫たちが手を離れて一人前になった今こそ老後のいろんな楽しみがあるじゃないか、と突っ込みたくなってしまいますね汗
本当にこの時代の女性は「家」というものに縛られ続け特にこれといった娯楽に興じたりするような余裕も持てなかったんだな…と思わされます。

作中では遺産相続をどうするか、は建前でぶっちゃけ誰がおばあちゃんの面倒をみるのかの押し付け合いになってしまっていたのがなんとも気の毒でしたが、まぁこれに関しては実際、認知症が進んでやむなく老人ホームに預けた祖母を持つ身もしては正直綺麗ごとは言えませんね…。
大事なおばあちゃんだから、とは言っても家族で全てを抱えようとするのは本当に難しいことです。
梅子さんが去ってから、長男徹太の妻と喧々諤々と言い争いながら老後を過ごすことになるのか。
はたまた、梅子さんに去ってしまわれたショックが案外大きく、これまでのような嫁いびりをすることは亡くなり静かに老後を過ごすことになるのか。
どちらにしても、彼女に関してはもう二度と梅子さんと再会することはなく生涯を終えるのだろうな、と思います。
こう言っては何ですが、息子三人と違って、年齢的に考えを変える、心を改めるということは難しそうですしね…。


以上、色々と抉らせまくりの大庭家の三兄弟プラスαについて語らせていただきました。
これまでは女性たちの権利についてがメインのストーリーでしたが、戦後になり主人公が家庭裁判所に勤務するようになってから、これから戦後日本を支えていく世代として子供達に焦点が当てられるようになってきたように思いますね。(寅子も年齢的に30代半ばとなり、娘も成長し自我が芽生えてくる年頃となってきているのでそういう面もあるのでしょう)
そんな中で描かれた梅子さんと三人の息子たちとのエピソード。
五日間という短い期間の話とは思えないぐらい密度の濃いエピソードだったように思います。

SNSでは、梅子さんは子供達を「捨てた」のだ、と批判的な意見も見受けられましたが、まだ発育途上の子供の育児を放棄するならいざ知らず、あの三兄弟はとうに立派な大人なんです。
私は子育てというのは、子供にただ愛情を注ぐだけでなく、いずれ親から離れても一人前の人間として生きていけるように生きる術を教え、そのときが来たら背中を押してあげるところまで含めてのものだと思っています。
昨今、熊のニュースが多いので分かりやすく熊にたとえますが、子連れの母親熊が何故危険と言われるのか。
大人の雄熊から子供達を守るためです。
子供達を守るため、母熊は何かあったらすぐに戦闘態勢を取れるように常に警戒心を持って生活しているんです。
一方で、熊は単独で生きる動物なので、いつかは親離れのときがきます。
(特に子供が雄の場合は、近親交配を避けるため母親といつまでも一緒にいるわけにはいきません。)
いつか来る子離れ、親離れのときに備えて母親は子供に餌の取り方や天敵との戦い方、危険から身を守る方法などといった生きる術を教えます。
そうしてやがて子供は親のもとを巣立っていく。
野生動物の世界はそういうものなんです。
そして、人間の子育てというものも本来はそうなのではないかと私は思います。
梅子さんからすれば色々な心配ごとの多い息子たちでしたが、光三郎とすみれのことを知ってかえって吹っ切れたと同時に、あの小さく可愛かった三男坊が(相手はともかく…)もう一丁前に性的に成熟して恋愛もする年頃になっていたのだ、自分は自分で子離れできていなかったのだ…と彼女なりに色々と悟ったのではないでしょうか。
お互い誰かのせいにしないで、自分の人生を生きていきましょうという梅子さんの言葉は、息子たちに向けた最大にして最後の母の愛だったと私は思っています

本当にこの大庭家のエピソードは色々と考えさせられるものがありました。
SNSでの反響もとても大きく、いかに現代においてもなお親と子の関係や家庭内のことに悩みを抱えている人達が多いか…と思わされましたね。 
多くの方が感想として書かれているように、このドラマは過去の物語でありながらも現代を生きる私達にも、人権とは何か、個人の尊厳とは一体なんなのかといったことを問いかけてくるドラマだな、と思います。
(それでいて説教臭くなりすぎず、エンターテインメントとしての面白さもあり非常に見事なバランスの取れた作品ですよね。)

今後も一視聴者として、主人公寅子を始め、この時代を生きていた人達の行く末を見守るとともに応援させていただきたいと思います。
以上、朝ドラ「虎に翼」の感想記事でした。

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