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戦国時代、最強は誰だ!?(2)

戦国時代、最強武将は誰だ選手権。前回の続きです。
引き続き、有名武将紹介のみです。

【6】山県 三郎兵衛 昌景(甲斐出身(現:山梨))

やまがた さぶろうべえ まさかげ。武田四天王の1人で、赤備え(あかぞなえ)と呼ばれる最強の部隊を率いていた将です。返り血を浴びてもいいように、そして目立って相手を畏怖させるために、高級品である辰砂で赤く色付けされた鎧(具足)を着た部隊が赤備えです。

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【7】真田信繁(信濃出身(現:長野))

真田幸村の名前で有名。大阪夏の陣(1615年)において、赤備え(あかぞなえ)の騎馬隊を率いて、伊達政宗の誇る騎馬鉄砲隊をも蹴散らし、徳川家康本陣旗本にまで切り込み、家康を討ち取る寸前にまで追い込みました。山県昌景の赤備えから、その後、井伊直政や真田信繁などに赤備えは引き継がれています。

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※ 上記の画像は、真田家の旗印「六文銭」をつけた赤備えの鎧です。(赤備えの鎧武者集団はマジで恐怖ですね)


【8】今川義元(駿河国大名(現:静岡))

「海道一の弓取り」と呼ばれるほど、東海道で最も優れた武士でした。武田信玄と上杉謙信との川中島の戦いの和平の仲介を、3万人の兵を動員して行いました。今川側の働きかけで実現した甲相駿三国同盟(甲斐・相模・駿河)で、武田信玄、北条氏康、今川義元の3者が直接会合したということ自体が、戦国時代の奇跡と呼ばれています。

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【9】吉川元春(安芸出身(現:広島))

毛利元就の次男。武勇に関しては毛利元就自身が「戦では元春に及ばぬ」と認めた勇将。生涯戦歴76戦において、64勝12引き分けという無敗の強さを誇りました。

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【10】馬場 美濃守 信春(甲斐出身(現:山梨))

ばば みののかみ のぶはる。信房の名もあります。武田四天王の1人。「不死身の鬼美濃」の異名をもち、長篠の戦いでの敗戦後、殿(しんがり)を勤めて戦死するまでは、生涯無傷を誇ったと言われています。生涯無傷だったと言われている武将は前回紹介した本多 平八郎 忠勝と、今回の馬場 美濃守 信春の2名だけです。

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前回と合わせて10名をピックアップしましたが、これは完全に主観です。(というか強いも何も判断基準無いし...)

他にも長宗我部元親、伊達政宗、島津家久、伊勢盛時(北条早雲)、可児才蔵吉長 etc... 居ますので、気が向いたらまた紹介するかもしれません。

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