「ありのままの自分を受け入れる」
私が友人のSukesan1984とやっているPodcast、「人生の品質向上委員会」で何度も出てきているキーワード「ありのままの自分を受け入れる」
これはアドラー、親鸞、ハイデガーなど古今東西さまざまな偉人が表現は違えど似たことを言っています。
このありのままの自分を受け入れるということ、実は非常に理解が難しいです。
よくありがちなのは「自分はこれが出来ないからダメだ」という思考です。
図にしてまとめてみました。
まず、「今の自分が持つもの」とは何か。私は哲学の知識がある、格闘技ができる、Podcastに出させてもらっている、などです。言い換えれば、「今の自分ができること」、もしくは「今の自分を構成する要素」でもあります。
逆に、この「今の自分が持つもの」から外れる要素も山ほどあります。私であれば、大学レベルの数学知識、高い身長、かっこいい顔、莫大な財産、かわいい彼女・・・これらは「今の自分が持たないもの」に当てはまります。
その中で、「今の自分が持とうとしているもの」もあるかもしれません。私はより哲学の知識や格闘技の知識を得ようとしていて、それは持とうとしているし今後持てると思っています。
一般的には「今の自分が持つもの」だけを「ありのままの自分」と考えてしまい、「今の自分が持たないものがこれだけある」という理由で「自分はダメだ」と判断されるかもしれません。しかし、アドラーなどが言っている「ありのまま」とは、もっと大きな括りなのです。今の自分が持っていないもの、さらにこれから持とうと歩みを進める自分さえも大きな括りとして「ありのままの自分」として捉え、それを前向きに受け入れ、評価するのです。
以前のnoteで述べた通り、幸福とは成功ではありません。幸福とは競争から完全に別物であり、今の自分が捉え方を変えるか否かにかかっているのです。
アドラーは「いま、ここを生きる」という事を言っています。換言すれば「地に足をつけて生きる」ということでしょう。「もしも大金持ちだったらなあ」「もしもすごい可愛い女の子が来てくれたらなあ」「もしもすごいかっこよかったらなあ」これは現実を離れた空想を生きていることであり、いま、ここの「ありのままの自分」を受け入れられていないのです。ニーチェの超人にも通じているものがあると思います。
私が大好きなスヌーピーの言葉があります。
スヌーピー「You play with the cards you’re dealt …whatever that means. 」
(配られたカードで勝負するしかないのさ…..それがどういう意味であれ。)
手元にあるカードは常に「ありのままの自分」でしかないのです。そして、今後努力によって手に入れられるものもその手元のカードとも言えるかもしれません。
それを全てひっくるめて、誰もが等しく尊重すべき素晴らしい存在なのです。それに気づけば、ありのままの自分を受け入れて、幸福になるのだと私は思っています。
「人生の品質向上委員会」では、このような話をよくしております。ぜひお聴きください。