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オチコボレ、上司の心に火を付ける

皆さんは、「上司」との絆を感じた出来事はありますか?
私は何度もあります。これも職業柄チームで働く事が当たり前の環境で過ごしてきたおかげなのかもしれません。
しかし、それが当たり前だと思った事はありません。上下関係がかなり厳しく、毎回違うクルーとフライトをする中で継続した絆を作る事は割と安易ではない世界だったので。次会った時は全てがリセットされ、また「初めまして」から始まる。割と虚しさを感じる機会も多い職種です。
というわけで本日は非常勤講師をしていて大変嬉しい話があったので
書き残していきたいと思います。

たった1日のフライトがもたらしたもの

少し遡って去年。まだ退職する直前の出来事です。
もう既に非常勤講師のオファーを受け、着々と準備が進んでいる頃でした。
その時フライトは月に2回あれば良い方。既に会社はボロボロの状態でした。
というわけで幸いとある路線を乗務する事になり、初めましてのクルーと対面。私のCA人生もカウントダウンが始まっていました。
その頃私たちの間でもっぱら話題として上がるのが「今後のキャリアについて」 不安を抱えているのは皆同じだと知りました。
基本的に私は裏表の無い性格なので、言いたい事はハッキリと言いますし、思っている事も建前無しで上司に言ってしまう性格なのですが(もちろん空気は読みます)
当時のチーフパーサーに「転職とか考えてるの?」と話を振られたので、正直に「はい、大学教員に転職する予定です」と答えました。
当時明確に今後のセカンドキャリアを考えていた人間が私しかいなかったのでもちろん周りは興味深々です。「いずれ沈む船に乗っていても共倒れします。ついでに私のようなこんなバカでも先生はなろうと思えばなれます。」
という話で盛り上がる。
リタイアしてから仕事が見つからず、事務員になった先輩の話や、給食の配達員、ウーバーイーツで生計を立てる先輩の話・・・全員久しぶりのフライトと引きこもり生活が続いていた事もあり、その他もろもろ話題は尽きず。絶対やりたくない、嫌だよね~と言いながら少し小馬鹿にする先輩も中にはいましたが、私は心の中で「井の中の蛙なのに」とずっと思っていました。
したい事ができる環境、仕事がどれだけ幸せな事なのか。
幼少期から苦労してきた私は特にその思いが強かったのかもしれない。
それでようやく手にしたセカンドキャリア・・・なんだけどな。と。

その時AM5時半、眠気と無理やりかけ込む朝食タイムで逆に全員ハイテンションだった光景を今も思い出すと笑ってしまう程覚えています。

こんな感じでいつもと変わらない日常を終えたのですが

それから約2か月が経った頃、1通のメールが届きました。

〇〇さん
覚えていますか?〇〇便のチーフパーサーをしていた●●です。
ご相談したい事があるので、個別でLINEをください。


一瞬「・・・えっ誰」と思った訳ですが、スケジュールを見返して一瞬で思い出しました。...あの時の!!

内容というのが、あの時をキッカケに、誰かに(特に学生)何かを教える職にとても興味が沸き、その先輩もチャレンジしたいと思った事。でも何を教える事ができるのか、ノウハウがさっぱり分からず、何から始めたらいいのか・・・一生懸命努力するから教えて欲しい。という相談でした。

今まで先輩から何かを懇願される事なんて一切無かったので、正直驚きが隠せず、同時にずっとあの時の話を覚えてくださっていた事に感心しました。

そして私とのキャリアの差は約15年。
そんな先輩が、まだ未熟な私から何かを必死に教わろうとする姿に胸を打たれました。普通の人ならきっとプライドが邪魔して出来ない事だと思います。沢山悩んで、考えて、このままではいけないと何かを決めて、つてを頼って私のアドレスを探し、相談してくださったのだろうと。
何不自由なく生活し、完璧に見えていた先輩の「生きる力」と「必死さ」を肌で感じた瞬間です。



もちろん返事はOK


「私で良ければ何でもお伝えします。まだまだ未熟で始まってもいませんが、一緒に頑張りませんか?」



こうして先輩と私の、
「したい事を全力でするセカンドキャリア」
に向けての同盟が結ばれました。


おせっかい同志

という訳でとにかく「コネ」を利用するのが最短であると先輩にもお伝えしました。卒業して20年程立つ母校に、とにかく連絡するべきだと。
知ってる人がもう1人もいない。マンモス校だから相手にもしてくれないだろう、悩んでる暇はないです。「今すぐ」が大事です。と言い切りました。
そして私よりも遥かに立派なキャリアをお持ちの先輩です。女性としてのライフワークバランスが取れる職業である事も同時に伝えてみるのはどうか、どの切り口で先生がしたいのか、とにかく案を出し合いました。
うざい後輩だったと思われても良いやと、最早割り切るレベルであれやこれやとお伝えしました。ただ私自身が後悔したくなかったというエゴ。

私の学校と違って大規模な大学という事でハードルも高い事は承知でした。という訳で私の大学で就活アドバイザー等ポストが開いてないかも
最終手段として大学に相談する予定で構えていました。


が、ここで嬉しいご報告。
先輩の母校で2回に渡る就活セミナーを開催して頂ける事に。


先輩、良くやりましたよ...大きな一歩です!!

私がCA時代にフライトでおせっかいを沢山やいて頂いた分、今度は私が先輩におせっかいをやく番だと思っていました。
楽しいフライトは、まずはチーフパーサーが意識しないと作れない物である事は自分自身も良くわかっていました。それを当たり前のようにHappyなフライトに変えてくれた先輩にはどんな形でも感謝しようと思っていた訳です。

何度も環境のせいにして諦めそうになる先輩を無理やり励まし、営業をかけ続けるよう促したのも私のおせっかい。

それでも、とても喜ぶ先輩の姿を見て
私は自分の事のように嬉しく思った訳です。


そして数か月後、セミナーが開催される事になりました。


実際セミナーはどうだったのか


はい、畑違いな私も大学の許可を得て
実際にオブザーブとしてセミナーに参加させて頂きました。


結論、先輩が必死に考えたセミナー内容はとても素晴らしいものでした。
が、残念ながらこの大学でもやはり学生のモチベーションがとにかく低い。先輩もたじたじになる程低い。微妙に不完全燃焼な結果で終わってしまいました泣
ビデオONでの参加者0、人数も当時予想していた学生数の約1割程度質疑応答にかなりの時間を取っていたのですが振るまで反応なし(笑)
私と先輩で座談会のような形にしてとりあえず無事に終了しました。

エアライン業界自体がコロナで魅力を感じない業界になってしまった以上、私たちの道のりはまだまだ長いです。

が、やはり夢として諦めきれない学生は一定数存在します。

そんな学生に対して、私たちができる事は
「希望を与える事」ではないのかといつも考えています。

私たちもコロナという大敵に生活を壊され、当たり前だった日常は突然なくなりました。そして自分達がいかに無力な人間なのかも気づきました。

しかし、希望は捨てていません。
誰しもがまた日常に戻ると信じています。
また笑顔でお客様をお迎えする時、「ありがとう」と直接言われた時の喜び、クルー同士でたわいもない話をする時間

私は思い出になってしまいましたが、得るモノが多い職業だったからこそ
次世代に伝えたい事が沢山あります。

「諦めたらそこで試合終了」

本当にその通りだと思っています。


私たちは何があっても諦めない。
だから次世代の若い方々も、泥臭く夢を追い続けてほしいです。
叶う、叶わないよりも、追いかけた経緯が人生を豊かにするものだと信じています。私がそうでしたので。

先輩に勇気を与える事ができたというキッカケがまた落ちてきました。
もちろん拾い、できれば同じパーティーで戦いたい。笑



長くなりましたが、学生ないし様々な方に少しでも勇気と希望を
与えてあげられる存在に私もないたいと思っています。


今日も最後まで見てくださりありがとうございました。




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