とある23歳の現状。(201217)


最近よく使っている「集中」というアプリ。

家で勉強することで、わたしは外に出ないことを正当化し避け続けてきた約1年間という長い期間がある。

自分の話をしてみようと思う。

わたしは現在23歳。週4.5で5時間程度の早朝のアルバイトをしている。そんな生活が約2年。この1年間はコロナウイルスのために勤務時間が減り、月8万あるかないかほどの収入を得る生活を送っていた。実家で母と2人暮らしです。

高卒で務めた会社は1年半。今思うと短い期間だったと振り返ることができるけど、当時のわたしにとっては永遠にも思えた一年半だった。最後の方は毎朝掃除のトイレで泣いて、昼休みもトイレにこもっていた。最後には職場で痙攣じみたことを起こして泣きっ面のまま退場しました。

その後の半年はまともに外に出ることすらありませんでした。会社を辞めたという人生はじめての挫折。ひたすらに己のことを呪った。初めて〝社会レールの上〟から外れたという絶望がわたしを襲い、風呂にも入れず歯も磨けず、誰もいない家の中で泣き叫び、布団の中で泣くことしかできなかった。母には「あの時はわたしの方が気が狂いそうだった。」と2年後くらいに話をされました。

半年後、徐々に貯金も減り始め、急な危機感に襲われて映画館でアルバイトを始めたが、これは3日でやめた。研修が終わり、実際に店頭に立つ緊張感と周囲の人間の視線に耐えきる自信がなかった。近所の公園で泣きながら「行かない」と電話したけど、「他の人に迷惑がかかるのだからそういうことはやめて」と言われながらぶつっと電話を切られ、その後また泣いた。ごもっともだ。と泣いた。

また3ヶ月くらい外に出られなくなった。職安に行くくらいで、その他はよく覚えてないのだけど、一度だけセカオワのコンサートには行った。映画館に採用が決まった時に決めていたから行っても大丈夫だと思っていた。中学時代からの友達に誘われて行ったのだけど、端々に出る「会社大変?」という大学生の彼の話には、「大変だよ。」という壮大な嘘をついて必死に1日を取り繕った。貯金から出したチケット代は、初めて「高い」と思った。だけど、相手には誘ってもらったお礼と、送迎のお礼も兼ねて、2倍のお金を渡した。見栄を張った。「社会人だ」という見栄。それで嘘を許して欲しいと心の中で願っていたのかもしれない。大好きなセカオワの存在さえその時は憎みそうだったことを、誰かに許してもらいたかった。なぜこんなにも同じ人間が立つ世界が違うのだろうと。無駄にプライドだけは立派だった。捨てる方法も、プライドに取り憑かれていることも当時は気が付かなかったけれど。 

お蕎麦屋に勤め始めた。近所でオープンした小さなお蕎麦屋さん。不動産会社を経営してたおじさんが趣味でやっていた蕎麦が評判で、やってみようと思い開いたお店だと言っていた。ここなら変な人間関係がないから大丈夫かもしれない。と思って3日かけて応募の電話をかけた。出たのは若い女性の人。お店のオープンの手伝いをしていた人。とても優しく、無職期間を過ごしたわたしのことを受け入れて、あれこれ教えてくれた。その人はわたしが入って人手が足りてくるといなくなった。店主の人も優しかった。いつもまかないを出してくれて、仕事の話も何度か聞かせてくれて、わたしが張り切って仕事をしていることを褒めてくれた。役に立ちたいと思って、お店の宣伝方法を考えたり、そばについての勉強もした。だけど、そのお店は3ヶ月で無くなった。違う場所で知り合いがやっている居酒屋と合同でお店をすることにしようかと思っている。と話していた。もしかしたら人手が欲しいからその時は手伝ってくれたら嬉しいと話していたが、その話は叶わなかった。

2ヶ月間また外に出られない。毎日母の代わりに買い物に行くぐらいで、何もしない。何かをはじめて、何かがなくなる恐怖に耐えられる自信がなかった。目の当たりにすれば、次こそ自分が周りを殺しそうなだという自覚はあったから。

誰にも話せない。家では母の顔色を伺うばかりで、唯一安心できる場所を無くす恐怖に耐えられない。友達もいない。恥ずかしくて話せない。仕事で「できない自分」を直視してしまうのも耐えられない。

変なプライドにがんじがらめになって、身動きが完全に取れなくなっていた。

そんな時にであったものがあります。Radiotalkという音声配信アプリでした。知ったきっかけはたまたまでしたが、見つけた瞬間「これだ」という気がしました。仕事以外で考えることができて、またこれが仕事になればいいなんて淡い期待もあった。

その後今いる勤務先でアルバイトも初めて、だんだんと一貫した生活ができるようになりました。Radiotalkを通して出会った人もいて、自分の思いを時々配信にのせて。楽だった。毎日楽で、悩み事がわたしから離れていって、もう永遠に苦しまなくていいのかもしれないと夢もみた。

だけど、その後はRadiotalkがうまくいかなかった。聞いてもらえないとか、仕事にならない、とかそんなことじゃなくて、自分という存在がいつまでも確立しなかった。最初こそRadiotalkは人口も少なくて、楽しくやっている人が多い印象だったけれど、だんだんと、人気の人や話が上手い人、仕事で既に実績のある人、芸能人、本職の人、色んな人が出てきた。比べるなという方がわたしには難しい話。負けないように、必死だった。どんどんどんどん迷走していき、また安心できる場所が一つなくなった気分になっていた。

どうしたら聞いてもらえるか、何がウケるのか、わたしは勉強し始めた。ノートを毎日書き溜めるようになって、Radiotalkには様々な機能が追加された。課金機能もついて、ライブ配信、ギフト機能、お便りフォームにランキング、賞金付きの企画や地上波ラジオへの出演をかけた企画、たくさん出てきた。わたしはどちらかといえば出てくるさまざまな機能に期待の方が大きかった。わたしもこの軌道にのれれば、楽しく生活していける未来を想像できたから。どこかですぐそこにそれはあるような気がしてたから。

毎日空いた時間で空いたノートを埋めることで、その生活を目指す自分を正当化するのに必死だった。

だけど、そうしようとすればするほど自分が望む結果とは反する結果と過程ばかりが生まれていく。

わたしより後にアプリを始めた人たちがどんどん注目を浴びていくのに、自分は崩れていく一方で、次第に人のせいしていく自分にも気がついていたけど、自分の暴走を止める手段も思いつかなかった。

また悩み事が生まれていく。また苦しい。なぜ自分がこんなに何もできない人間なのか、人のせいばかりにするのか、必死に考えた。そのためにノートとスマホを片手にとにかく書いて、1人で考えた。そうすると、ある結果が自分な中で生まれた。「応援されたいのに、応援されないのが怖い」「必死になる姿を見られるのが恥ずかしい」ということだった。相反している。分かったけど認めたくなかった。幼い頃の記憶が蘇って、また苦しい。

誰かに見つけて欲しいのに、自己主張のできない日々。

今日初めて企業面接というものに挑戦するはずだった。初めてだった。コロナの影響で自分の不安定な身の上を実感し始めたから。面接対策というものも、企業分析というものもしたことがなかった。誰にも相談できなかった。誰に相談すればいいのかもよくわからなかった。だけど頑張ろうと思っていたから、初めて人に頼った。Radiotalkerの皆さんに。優しく教えてくれて、たとえ他人事だとしても嬉しかった。だけど面接の結果は、会ってもらえなかった。

たった一つの企業でそうだったからって...という人がいそうなことはよく理解できる..のでそこには何も言わないで欲しい。


初めて悔しいという気持ちを抱いたけれど、なぜだろう。なぜ誰も分かってくれないのだろう。わたしの人生の大半はそんな気持ちを抱えて生きてきた。

でもそれももう疲れた。やめる。

と、言うこともできない。

それしか生き方を知らない、捨てる方法も思いつかない、何を捨てたらいいかわからない、それしか自分中で生きる意味が生まれてこないし、ただ怖いから、自分が「いらない」って言われるのが。

だけど、辞めたい、と思うからこのnoteを書いた。

このnoteも結局誰にも見つけてもらえなかったら、辞められるかわからない。

本気で自分は何かおかしいんじゃないか、と思い病院に行って専門家の人に頼る方法も考えた。だけど、それに依存してしまう恐怖と、「あなたに異常はありませんよ。」と言われてしまった時のことを考えると怖くて行けない。それと人に相談するのにはお金がかかる。お金はない。お金がない自分が悪いのは本当だから仕方がないけど。



また眠れない。寝ると明日が来る。






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