部室の中の大論争!
「ベターな答えが欲しいって? おいおい、僕はそういうのは趣味じゃないんだ。普遍的で絶対的な答えだけを欲してきたし、これからもそれは変わらない。まぁ確かに、倫理的問題なんて言うふわっふわな問題にはそういう答え、つまり君の言うところの『ベターな答え』しかないだろうが、そもそも僕はそんなものに興味がないんだ。わかるだろ?」
東堂は言った。中性的で整った顔には彼特有の薄気味悪い笑みが浮かび、それから視線をさっと腕時計に移す。
「まるで俺に付き合っている時間はない、と言いたげだな」
「察しはよくて助かるよ、哲学者くん」
「これだから数学徒は……」
やれやれ、と俺は心の中でつぶやく。なぜ俺はこんな男に相談をしてしまったのだろうか。わからない。過去の自分は言ってしまえばまったくの他人であり、その思考は現在の自分から見たらあきれるほど非合理的な場合もあるのだ。
俺は何から始めるべきかを考える。何事も始まりは肝心だ。
俺と東堂、その性質は対極にある。原則として建設的な議論と言うものはある程度前提を共有している人間の間でのみ成立するものであり、もはや共通点が「人間である」ということしかないように思われる我々に、実りある議論が可能であるのか。まずはそこから始めるべきなのだろうか?
否。そんなメタ的な議論をしている余裕はないし、必要もない。我々はいわば光と闇。その境界線上の混沌の中に、我々がよって立つ場所がある。
「俺とお前が対話をする際、はじまりはいつもここからだった」
「やれやれ……またその話かい?」
「ああ、何度でも! 数を愛でるお前と、知を愛する俺の唯一にして最大の共通項……『論理』から始めよう。きっとその先に、事実と価値の問題の終着点、すなわち、世界の事実がつまびらかになったとき、『世界=我』の価値がまた明らかになるのかという問いの答えがあるはずだ」
「言葉にできないというのはまさにこのことを言うのだね。佐倉。まぁいい、良い機会だと僕も思う。君たち哲学徒が追い求めるのはすべて幻想にすぎないということを、僕がここで証明して差し上げよう。もっとも君たちの場合は、その幻想の中で永遠に踊り続けることを望むのかもしれないが」
「ふっ……おもし
「たっだいまー!!」
俺の台詞を完全にぶった切りながら、星野が部室に入ってきた。
「なんかね、私が食べたかったスイカバー売り切れてて、仕方なくメロンバーにしたんだけど、これもこれで美味しいよね!」
相変わらず賑やかな女である。ちなみに俺はメロンバー派だ。
「ん、ってか、佐倉っち! 今日生徒会じゃなかったっけ?」
「ふむ。そうだったのだが、ちょっとしたトラブルがあってな」
「その『トラブル』の解決策のアイディアを、こともあろうに僕に聞きに来たってわけさ」
「やっぱ仲良いんだ!」
「良くない!!」
……つい東堂とハモってしまったのはご愛敬と言っておこう。実はこれ、結構恥ずかしい。星野、なかなか油断のならない奴である。
「でもさーこれで文芸部一年生勢ぞろいだよね! 先輩は今日いないけど、書こう書こう! なんかさ、三人で一つの作品書いてみるのも良くなくなくない?」
「どっちだよ! ……悪くはないが、俺は哲学的文学、星野はエンタメ、東堂はミステリ……まったく相容れない気が」
「まぁ実験的企画としては僕は悪くないとは思うけれどね。でもいいのかい佐倉、議論の続きをしなくても?」
「ハッ! そうだった!!」
星野の出現により完全にペースを乱されてしまっていた。今回は完全に東堂が正しい。伊達にクールを気取っているわけではないようだ。
「ふむふむふむ。で、そもそもどんな話をしてたん?」
「いやはや、説明するまでもないことだよ。非常に個別具体的な、はっきり言って程度の低い倫理的問題さ。あいにく僕と佐倉は共有できる前提が限られているからね。お互いが唯一共有している大前提……『論理』から話を始めようとしていたところ」
「一見矮小な問題に深く踏み込んでこそ、世界の深層は明らかになるものだ。もっとも冷静に考えると我々は『より根本的な知識を追い求める』という共通点もあるように思う。その観点から考えても『論理』を議論のスタート地点とするのは存外わるい話でもあるまい」
「なんか……仲良すぎて若干引く」
「そのリアクションはやめろ!!」
またハモってしまった。俺と東堂は軽く視線を交わす。今日はそういう星回りなのかもしれない。
「でもさー」
星野はメロンバーをかじりながら、もはや明らかに興味を失った様子で問う。
「なんか二人の言ってること難しすぎてよくわからないんだけど、結局その『トラブル』っていうのはどういうものだったの?」
「ん、ああ。言ってなかったか? 生徒会で意見が割れたんだよ」
俺はできるだけわかりやすい表現を心掛けて説明する。
「修学旅行のお土産代を制限すべきか? するとしたらいくらまでか? 学年によって額を変える必要はあるか? という一連の問題について、意見が割れてしまったんだ」
ポカンとした星野。
しばしの沈黙。
その沈黙はある種の心地よさを湛えていたが、それを破ったのもまた彼女であった。
「ってことは、バナナはおやつに入らないの?!」
「知るか!!」
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