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僕の死生観(1)

小学生の頃


僕が死を怖いものと実感したのは小学4年生の頃だった気がする。
当時は死んだらどうなるかよく分からかった(今もいまいち分からないけど)
デジモン(デジタルモンスター)というポータブルゲーム機があり、それで遊ぶのが好きだった。
ただ父に勝手に操作されて(プロテインを多量に与えた)そのせいか、次に弟と対戦したら、負けてデジモンが死んでしまった。
デジモンの死に方もすごくむごい感じで、悲しい音楽と共に、お墓が表示された。

中学《いじめ》

中学に入り、いじめにあい、周囲のクラスメート(もとより僕は友人とは思わなかったが)との付き合い方を考えて生きずらさを感じるようになった。
小学生の頃の付き合い方では通用しなくなったというか。
その頃障がい者として認定されて生きた方が楽なのではと、頭の中でぼんやりと考えていた。


高校《発症》

高校にあがり、クラスメート(友人とはいいたくない)に対して僕が「キモイ」と言った事が発端となり、いじめがエスカレートした。
母もその頃からPTAに行かなくなってしまい、僕は孤立した。
孤立し、誰も味方になってくれない。
周囲の目が気になり、夜も眠れない。
もう辛すぎて死にたい気持ちになってしまう。
夜眠れないし、何やら僕の様子がおかしいと感じた両親は心療内科に僕を連れて行った。
何が不自然な現象なのかよくわかっていなかった僕は連れてかれただけで、自分の身に何が起きているのか分からなかった。
後に統合失調症だと母から聞かされた。
病気であることがわかり、自分が『普通』じゃないんだと分かったら、なぜかほっとした。
高校も保健室で過ごす事を許されて楽になった。
優遇措置がとられたことと、クラスメートとの距離感がたもてた事により気持ちが楽になった。

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