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映画レビュー四十五本目;「勝手にふるえてろ」

「女は、妄想でオ●ニーできるんですよ。」


と言い切ったのは、


松任谷由実。


どっかで昔聞いた話ですが。





三十五年以上前から仲良くさせて頂いているバンド「木魚」のギタリスト、


カイシュウさんから「同級生の娘が女優の松岡茉優って最近知って、オヤジから応援してよって言われたんだよね」という話を聞いたのを、


ブルーレイの束を見てて思い出して、ようやく観ました。


気になってる映画は山ほどあっても、いざ時間を割いて何か観ようと思ってもきっかけが無いとね。




初めて全話見通した朝ドラ「あまちゃん」での少々ヒールな役から


松岡茉優さん自身は見知っていていたけど、


バラエティ番組でのおぎやはぎとのギクシャクした司会ぶりとか


深夜番組で指原莉乃とモーニング娘。愛について鬱陶しいくらい喋りまくるのを観ていて


『この人の中身はヲタクだな』


と視てました。




当たりだわ。(笑)




というのも、今回はCS日本映画専門チャンネルでの放送「日曜邦画劇場」にて鑑賞しまして、ここでは司会の軽部真一アナの元、


放送される主演俳優がゲストとして招かれているんですが。



まぁ、この主演女優、スベろうがケムたかろうが喋る喋る喋る。



特に放映後の感想コーナー。



軽部アナどころかスタッフ全員の作り笑いの限界が画面から感じられて、


嗚呼だから最近バラエティ番組で観ないんだなー、とは思いました。




ここまでは、自分でも「そうだろうな」と覚悟してた流れ。




しかし。




本編。






本人の印象のまんま!!!


何?!当て書き?!


本人の母親が


「あれ、茉優ちゃんのまんまよね?」


と言ったのも解るぐらいの!!


やっぱり?!




全編、「そうだろうな」の倍増で進んで行く流れ。


中学の頃に片思いしてた男の子の思い出に縛られて、


二十代中盤になっても恋愛経験ゼロで妄想だけに身を投じて生きてく女。


行き交う人々の全てに


おのれの想いの全てをブチまけて生きてく。


「みんなはSNSで吐いてくんだろうけど、あたしは違うんだなー」


と選民意識。




ここで難しいのは、「女」と記すべきか、「女性」か、「女子」か。


私は「女」としたいけど、その差異は何なのだろう。




私には多分、女性性というものが無い。


女に生まれ変わりたいという願望も、女装癖のひとつも無いんだけど、


友人達からは「おかあさん」と言われることもある。


それは、


私の中にある性別的な部分では無く、


「誰かの面倒を看たい」という気持ちの現れなのかもとは、


薄々感じている。


そういう部分が、彼女の状況を一口に


「男には、わかんねぇよ。」


とは言いづらくさせている感じはする。





ま、それは置いといて。


茉優ちゃん演じるヨシカが毎晩ベッドでもんどり打つ感じって、


オッサン目線からは「夢は夢だぜ。次に行け。」って思っちゃいそうなんだけど。


違うんでしょう...ね。


幻想の矯正は困難。




今作は原作も監督も女性なので、


悪気無く言って、全編女性目線。


だからこそ、後半でガクンと現実を顕示させる、残酷であり超現実的な展開が描けたんだろうなぁ。


追う男が消えるカットとか、現実を描写したい男だったら入れないもの。


そこらへんが、男脳では追えない。


しかし、新しい発見として面白い所。




例えば、同僚に思い切って打ち明けた秘密が筒抜けであること。


女って、秘密を守らないよね?


で、すぐバラすよね?


なんで?


それが長年の疑問。


だから女の子には何も語らない男が殆どなんだよな。


だから隔たりが埋まらない。


そんな嫌な部分の描き方がキーポイントになるのも女性的。




閑話休題。


思い知ったけど、「名前で呼ぶ」って「好意」なんだな。


自分は逆に「シャム」とバンド時代からの通名で呼ばれる方が慣れてるんだけど、


実名で呼びたがる子の気持ちが解った気がする。




ほらね、こんな映画を観ると、こんな気持ち悪いレビューを書きたくなるんだよ。


茉優ちゃんだったら会って二度目で「よぅ、シャム先生!」とか背中を叩きながら言って来そう。


だけど、これを観たから慣れてる気はする。


それぐらい、等身大の彼女を全部観た気がする作品でした。


あ、でもね、初デートでクラブに行って、店に悪態をついてるシーンだけは頂けなかったかな。
いつまでもクラブを悪の巣窟扱いするのは止めて欲しいなぁ。
そこだけね、うん。

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