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インプットよりもアウトプットよりもダイアローグ

インプットとアウトプットのバランスと幸福度

最近コロナウイルスの感染防止と節約を兼ねて家にいる時間が増えている。家にいるとついついスマホでTwitterやネットニュースをずーっとながめてしまう。

情報の摂取だけを続けているとなんとなく幸福度が下がる気がする。インプットに偏りすぎると自分で思考する能力が削がれていくような感覚に陥る。

逆に去年の後半は働くことに人生の時間のほとんどを使っていて情報を受信する機会が極端に減ることで幸福度が下がっていた。アウトプットに偏って過ごしていると、自分が更新さらず古いままで停滞しているような感覚に陥る。

幸福度が高い状態でいるために、適切なインプットとアウトプットのバランスが取れていることが大切だと痛感する。

アウトプットの場としてのnote

自分の調子がなんだか悪いと感じるときは意図的に自分のインプットとアウトプットのバランスを見直すようにしていきたい。考えたことを整理してアウトプットする場としてnoteはぴったりな場所だからインプットばかりだなーって感じた時はnoteを書いていきたい。

noteのエディターのUIが好きだ。このエディターを目の前にタイピングをしていると自然と言葉がするする出てくる。このエディターは「聞き上手さん」のような存在で最高の壁打ち相手。

それからnoteには人のnoteを読むと自分も書きたくなる思議な魔法があって、自分が書いたら誰かも書いてくれるかもしれない可能性も同時に感じさせてくれる。何かに似てる感覚だと思ったら「対話」だった。

インプットとアウトプットのバランスが1番良いのは「対話」かもしれない

自分が幸福度の高いときを思い返すと、対話のリズムがお互いに心地のいい相手を対話を重ねている時だった。対話をしていると自然と「インプット」と「アウトプット」が同時にできてしまう。これってもしかしたらすごいのでは?

手ぶらで人と人が命だけ持ちよって顔を突き合わせれば対話をはじめることができる。最も原始的だけど最も密度の濃い時間。

インプットとアウトプットのバランスを取ることで幸福度を上げたいと考えていたけれど自分が1番欲していたのは実は対話なのかもしれない。

なぜネットサーフィンより読書が好きなのか?
なぜTwitterよりnoteが好きなのか?

それは一見、一方向でありながらより対話に近い質感や温度感があるからだ。丁寧に時間をかけて人を知りながら自分を振り返っていく感覚。じんわり自分の中に広がる幸福度と相手への感謝。

対話を意識しながら生きる

インプットとアウトプットのバランスを心がけるnoteを書こうと思ったんだけど着地は「対話を意識しながら生きること」だった。どうやら僕は対話の魔力に取り憑かれているようだ。どんな人やコトと向き合っていても対話ができる人であり続けたいし、対話ができる心の状態を保ち続けられる自分でありたい。

しばらくばたばたしていましたが、最近少しずつ心に余裕ができてきて、久しぶりにいろんな人に会いたくなりました。遠くにいる人も近くにいる人も気軽に電話やオンライン飲みでもしましょうね。

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