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ロードショーの起源とタランティーノの遊び心

突然ですが…この金曜ロードショーのオープニング、めちゃくちゃ懐かしくないですか?今にも切なげなトランペットの音が聴こえてきそうです。

物心ついた時の「金ロー」のOPと言えばこれ

この「フライデー・ナイト・ファンタジー」という金曜ロードショーにぴったりな曲名のトランペットを吹いているのが数原晋さんという方。パズーの「ハトと少年」という曲も数原さんの演奏です。

(C)1986 Studio Ghibli

あとは「北の国から」のテーマとか「必殺シリーズ」もなんですが…
すみません、いきなり、しかも自らだいぶ脱線したんですが、今回ご紹介したいのは数原さんの素晴らしい演奏についてではなく、「ロードショー」という単語についてなんです。

そして、その歴史について知っておくと、『デス・プルーフ in グラインドハウス』におけるタランティーノ監督の隠された遊び心に気付く事ができちゃうぜっていう話なんです。

「ロードショー」の意味の変遷

懐かしのおじさん

「ロードショー」という単語。これは元々、演劇業界で使われていた単語で、歴史と共にその意味と使われ方が変わってきたという点が興味深いんです。

昔のアメリカの演劇界では、いきなり本場ブロードウェイなどで公演をするのは興行的にもハードルが高いので、まずは地方公演で実績を積んで、評判も高められたら最終的に大都市での公演を目指すというのが慣例でした。

で、その地方公演の多くが、まさかの路上。道路で披露する劇なので「ROAD SHOW」という訳です。そんな背景から、最初は”大きい舞台を踏む前の地方での路上公演”という意味で使われていました。

「ロードショー」がその後、映画界でも使われるようになると、元々持っていた意味と順序が逆になります。映画はまず大都市で公開され、その評判を見て地方での上映に回っていく(=フィルムが物理的に移動していく)という流れを組むのが一般的でしたので、都市部での先行上映の際に「ロードショー」と言われていました。

演劇では… 地方(ロードショー!) → 都市
映画では… 都市(ロードショー!) → 地方

そして1970年代後半くらいから、特に予算を潤沢に使った大作映画は、全国の映画館で同時に公開するという手法を取るようになり、公開時に「全国一斉ロードショー」といった宣伝文句での使われ方へと変化していきました。こうなると、意味的には「公開」と同義ですね。

バック・トゥ・ザ・フューチャー(1985)の
ポスターに「全国一斉ロードショー」

現代の日本においても、「ロードショー」は「公開」という意味で使われているケースがほとんどだと思います。というか金曜ロードショーとか午後のロードショー以外ではあんまり見ませんね…

タランティーノ監督の遊び心

ここまで「ロードショー」の変遷についてご紹介しましたが、タランティーノ監督の遊び心を解説するにあたり、重要なのは、沢山の映画館で作品を上映するために、フィルムが物理的に移動していたという点です。

みなさんは『デス・プルーフ in グラインドハウス』をご覧になったことはありますか?この映画は「グラインドハウス」というテーマを基に製作されていることで、様々な遊びの効いている作品です。

『デス・プルーフ in グラインドハウス』
(C) 2007 The Weinstein Company

「グラインドハウス」というのは、低予算のエクスプロイテーション映画やB級映画などを2,3本立てで上映していた映画館の総称です。「デス・プルーフ」も「プラネット・テラー」という映画とセットで、グラインドハウスで2本立てで上映されているというコンセプトの元に製作されました。

なのでこれらの映画は、わざとフィルムが劣化して画質が悪くなったようなエフェクトが施されていたり、架空のB級映画の予告編があったり、いきなり場面が飛んで「このシーンはフィルムが焼失してしまいました」という案内の演出があったりします。

フィルムが移動していたという点に話を戻します。当時は、映画を上映して人気が出なかった場合、中身は全く同じままに、タイトルだけ変えて次の都市で再上映するといった事が場合によっては行われていたそうです。グラインドハウスで上映されていたようなB級低予算映画は特に。

そうなると当然、劇中にドンと出てくる映画のタイトルも編集で変える必要があります。当時の編集はフィルムの切り貼りなので、明らかに前後のシーンとの繋がりが悪い感じでタイトルが出てくる、なんて事になる訳です。

そして更に質が悪いケースだと、編集作業が雑に行われた結果、新タイトルが出る前に旧タイトルが一瞬だけ出てしまうという様な事もあったそうです。

(C) 2007 The Weinstein Company
このシーンの直後に一瞬、旧タイトルが映ります

タランティーノ監督は、グラインドハウス・B級映画・低予算映画の文化/背景を忠実に再現することを突き詰め、

「『デス・プルーフ』は旧タイトルから名前が変わった結果、新タイトルでデス・プルーフになった」

という裏設定をし、粗悪な編集のせいで旧タイトルが一瞬出ちゃった…という現象をこの作品で再現しています。ホントに一瞬なので、映画冒頭、注意してご覧あれ。

『グラインドハウス』は3本ある

(C)2007 The Weinstein Company
2本立て『グラインドハウス』としてのポスター

2本立てというコンセプトで1本の映画として公開された『グラインドハウス』と、その2本が単独公開版としても存在するので、合計で3本の映画があることになります。もしまだどれも観たことないよという方がいらっしゃいましたら、個人的には”単独公開版”の方からの鑑賞がオススメです。

『グラインドハウス』3時間11分
『デス・プルーフ in グラインドハウス』1時間53分
『プラネット・テラー in グラインドハウス』1時間45分
それぞれの上映時間

「デス・プルーフ」も「プラネット・テラー」も、『グラインドハウス』という2本立て形式に落とし込む過程で、ある程度のシーンをカットしています。タランティーノ監督自身も、カットした事をとても嫌だったとインタビューで告白しているので、まずは単独公開版でそれぞれ楽しんだ後に、当時の雰囲気を楽しむのに『グラインドハウス』を観るのが良さそうです。

『デス・プルーフ in グラインドハウス』だけでも27分カットされています。

おわりに

以上、知識なんぞ蓄えんでも手放しでオモれぇって観られる映画こそ至高、とも思ったりはするんですが、知ってないと気付けない遊びを見つけることもまた良しです。

これからも勉強し続けていきたいですね。ではまた次回!

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