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蜜柑と雑音

ノイズやアヴァンギャルドな音楽を熱心に聴いていた二十歳の頃、暇を見つけては大阪に遊びに行っていた。大阪の専門学校に通っていた友人宅に泊まり、レコード屋を巡り、ベアーズ(ライブハウス)にライブを観に行くのが恒例であった。
ノイズのライブを初めて体験した時のこと。ライブの開演時間に遅れそうになった。レコード屋巡りでへとへとになり、部屋でまったりしている間に僕も友人も爆睡してしまったのだ。ライブ前の夕方に目が覚めたのだが、しゃかりきに急げばなんとか間に合うという微妙な時間帯。どうせなら完全に寝過ごしたかった。寝起きで頭は冴えないし、全身が疲労で異常にだるい。ノイズの初体験に緊張気味であったが、億劫さの方が勝ってしまい、高揚していた気持ちは知らぬ間に沈んでいた。
ライブハウスに到着すると緊張はさらにほぐれる。僕の隣にいた客が、ライブ前にもそもそとみかんを食べていたのだ。入場した瞬間に感じた柑橘系の匂いは、みかんだった。ライブ前にみかん。ノイズの音楽性からは程遠いミスマッチな光景。
開演中も、ずーっと、みかんを食べている。アウターの右ポケットから手品のようにシズル感のあるみかんが溢れ、残骸は左ポケットに収められていった。暴力的な雑音と柑橘系の爽やかな匂い。ライブへの集中力は途切れ、もはや、みかんの行方とポケットの深さにしか興味がない。
ライブ終演後、友人とみかんを食べながら帰路に就く。パフォーマンスよりも、“とにかくみかんが食べたい”という衝動に駆られ、頭の中は新鮮なみかんで支配されていた。
「楽しかったな」
ライブの感想はその一言で片づけられた。
耳鳴りがするほどの爆音からようやく解放され、ふらふらと難波を歩く。あれだけ賑やかな街が果てたように静かに眠っていて、不思議な感覚に包まれた。
「なんや、えらい静かやな」
「さっきがやかましすぎただけちゃうの?」
違和感のある抑揚で関西弁を真似ながら、最後のみかんを口の中に放り込み、地下鉄に向かう。
電車に揺られながら、ぼんやりと路線図を眺めているうちに、僕たちは意識を失った。そして、また寝過ごした。

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