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一人旅は止まらない

昨日スケジュール帳を新調し、ちょうどよかったから退役した手帳をぱらぱら見返してみた。

思い返せば、去年から最近までは見事なまでにインドアな生活を送っていた。特に下半期、アルバイトを辞めて磨きがかかったインドア生活は手帳に表れていて、大学の講義のある期間はとっても白かった。

だけれども去年、というか前年度は、ありきたりなことを言うけれど内面的に変化した深い1年だった気がする。

どうしてかは色々でまとまらないが、1つ明らかなのが、旅かと思う。夏休みや連休中にも少し行ったが、年度末の試験を終えてからは長めの一人旅を何度かした。


そのほとんどはノープラン。これ食べたいな、これ見てみたいなってのが2つ3つあってそれ以外は行ってから考える。宿でさえも明後日の宿ぐらいまでしか取ってない。(これについては何度か失敗してるから要改善)

行ってから考えるっていうのは結構自分にとって重要な気がする。駅の改札を出てまず匂いを嗅ぎ、人を眺め、街を歩き回って、そんで次の日そこで何食べて何しようかなと考える。居心地の良い海岸とか喫茶店を見つければそこで本を読みふける。

旅先では、所謂観光地的なところにはあんまり行かない。古着屋、古本屋、はマストであとは美術館とか博物館、喫茶店。あとパルコも好きで行く。

そんな感じで旅をするのだけど、一人旅というのは気付くことがホントに多いし、考えることが止まない。

まず、幾度となく初対面の人と話すことになる。これは話が下手くそな自分にとって訓練みたいなものだと思っていて、とにかく頑張る。以前よりはコミュニケーション能力が向上した気がする。

そして全てが自分の裁量で決まるから、やってることとか話すこととかに自分の全てがもろに表れる。だから自分がどういう人間なのかが自分の目の前で露呈する。就活の自己分析とやらをアクティビティ的に体感してるのかも。

だけど一番大きいのは、世界のでかさに気付くこと。見たことも無い食べ物とか、不便な交通機関とか、聞き取れない訛りを話す人とか、そこに来なければ真に体感できない世界線の出来事ばかりを目にする。これがとにかく面白い。自分の知ってる事って運動場の石ころぐらいのサイズ感で、想像の域を超えるものや人が腐るほど存在する。日本は狭いと言う人がいるが、全く以てそうは思わない。

無知にさらされて、自分の矮小さに気付く。そこでは少しの恐怖と胸の高鳴りを感じる。無知の多さに気付くことは、自分の他者との関わり方とか、思いやりみたいなものを育ててくれると思う。自分は知らない、自分の経験では理解できない事象や他人の考えが存在することを胸に刻んでおけば、それを目の前にしたときにほんの少しでも相手のことを思いやることが出来るんじゃないかな、とか思う。


今年ももっと旅をしたいし、居心地の良い場所に短期間住んでみるのもいい。あと海外にも行きたい。こないだ友人がロシアに一ヶ月ぐらい旅行してたから、よく調べて検査を受ければ行けないことは無いかも。なんて。




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