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352 古代中国文明2


はじめに

昨日のコラムでは、司馬遷の編纂した史記についてお話をしてみました。動画の中でも子どもたちにも読みやすい史記を手に取ってみてくださいというお話をしましたが、たくさんの質問を再度頂きましたので、まずは、読んでみたら参考になる読みやすい「史記」に関する本を紹介しながら、今日は古代中国の時代区分について少しお話してみたいと思います。

おすすめの書籍

知識ゼロからの史記入門
いっきに読める史記 (PHP文庫)

中国史というと私も三国志が大好きですが、漫画やアニメ、映画でも現在人気なのが秦の始皇帝の建国の時代を描いた「キングダム」かと思います。
横山光輝先生の「三国志」を読破している方も多いかと思いますが、原泰久先生の「キングダム」で久々に三国志よりもさらにさかのぼった古代中国の戦国時代に関心をもった方も多いかと思います。
こうした、作品の歴史的な背景を描くことができているのは、「史記」の存在が大きいのは間違いないはずです。
中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書「史記」この重要な歴史書は、全130巻に及ぶ大作です。上に紹介している2冊はこの壮大な世界観を理解する上でも楽しむうえでもとても読みやすく理解しやすいものとなっています。
また、地図や故事成語になっている場面などもわかりやすく書かれているので、「史記」で描かれている英雄たちの難局を突破していく様子を知ることができます。戦における駆け引きや将としての決断のありかたやありえないような裏切りなど中国史は心躍るドラマの宝庫です。また、映画やドラマなどもこうしたストーリーをもとにしているものが増えていますので、読んでおくことでそうした作品を見た時につながる可能性もあります。

時代区分で見ていく

紀元前1600年代の中国は主に伝説と先史時代だと言われていますが、幻の王朝、夏王朝は、現在の中国の考古学などの中では実在した説も有力となっています。因みに古代中国といった場合、一般的には紀元前1600年から紀元前221年あたりまでのことを指します。
先程紹介した、島崎先生の「いっきに読める史記」では、神話から殷・周の時代、春秋時代、戦国時代、秦の始皇帝の時代、項羽・劉邦の時代、文帝・景帝の時代、武帝の時代という7章構成でまとめられています。
どの時代区分から読んでも、知りたい時代について史記で書かれていることが分かるようになっています。調べ学習などにも使いやすいかもしれません。

3つの時代区分で見てみよう

夏(紀元前2070年~1600年)
夏王朝は古代中国で最初の王朝でした。この時代には東夷人が出現し、「史記」や「竹書紀年」の記載によると夏王朝は夏禹によって始まり十四代にわたる17人の王により500年間続きました。

商(紀元前1600年~1046年)
商王朝は歴史的な記録の残る最初の王朝です。 紀元前1600年まで遡った多くの青銅器やがこれらの時代の考古学的な記録の裏付けになっています。
中国最古の文字である甲骨文字とは動物の骨に刻まれた象形文字のことです。商王朝の首都は安陽に位置し、領土は黄河と長江下流の間にあったとされています。

周(紀元前1046年~256年)
周王朝は商王朝に続く中国史第3番目の王朝です。春秋・戦国時代なども含みます。この時代には主な哲学や宗教が出現し、特に儒教や道教などは後の中国の信仰の礎となりました。

故事成語で見てみよう

「百発百中」巻4・周本紀
「中」は当たる意で、「百中」は百すべてがことごとく命中することを意味します。 楚の養由基(ようゆうき)は弓の名人で、百歩離れた所から柳の葉を射たが、百本射たところ、百本ともことごとく命中させたという故事に由来しています。

「怨み骨髄に入る」巻5・秦本紀
春秋時代に晋と秦の二国が戦って晋が勝利しました。秦の三人の将軍がつかまり、処刑されることになった時、秦の出身の后が秦の将軍たちを助けるために秦の君主がこの3人を大変恨んでいるという嘘をついた際に用いた言葉です。晋の君主は、その言葉を信じ、将軍たちを秦に返しました。もちろん、秦の君主は、将軍たちの帰りを喜び迎えました。

「鹿を馬となす」 巻6・秦始皇本紀
秦の始皇帝の死後、野心的な政治家が鹿を馬と言い張ることで人々にそれを馬だと思い込ませ、「それは鹿だ」と真実を言った者を処刑して反対意見を封じ込めようとした、または、忠誠心を試したなどと言われています。

「先んずれば人を制す」 巻7・項羽本紀
江西の人びとが、秦に対して反乱を起こしたのを聞いた会稽郡(かいけいぐん)の長官殷通は、項羽に対して、「先んずれば人を制し、遅れれば人に制せられる」という言葉があるとして、早急に都へ攻め上ることをすすめたとされています。

「雌雄を決す」 巻7・項羽本紀
長年の戦いに辟易していた項羽が、漢王との一騎打ちを望んで「願わくは漢王との戦いを挑み、雌雄を決せん」と放った言葉として有名です。

このように、故事成語と合わせてどのような場面で用いられた言葉であるのかを見ていくと魅力的なストーリーに出会える可能性があります。現代にまで残る言葉の由来は、それだけ価値のある歴史的な場面であったということなのかもしれません。


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