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255 あげ餅


はじめに

食べ物の保存方法が進歩し、保存食としてのお正月料理の役割が薄らいだ現代において、鏡餅(かがみもち)を割って食べるという風習は少しずつなくなってきているように思います。
今日1月11日は、鏡開きの日として知られています。この日は、神棚や仏様にお供えしていた鏡餅を調理していただく日として知られています。今日の教育コラムは、そんな鏡餅にまつわる思い出話を少ししたいと思います。

歴史的な意味合い

鏡餅をお供えから下げて、割って食べるといった日を「鏡開きの日」と言いますが、この儀式には日本人らしい考え方が見て取れます。
この儀礼では、神仏に感謝し、また無病息災などを祈って、汁粉や雑煮などで食します。その際に、武士の家、つまり武家では鏡餅を刃物で切ることは切腹を連想させるため縁起が悪いとされてきました。そこで、手で割り、さらに木の棒や木槌で割る風習が生まれました。
そうした理由から、「切る」や「割る」という言葉を用いず、「開く」という言葉でこの儀礼を名付けたのです。日本語の難しさがこうした日本人らしい言葉のセンスからもうかがえる逸話です。
また、この開くという言葉はさらに町人、中でも商人の間で定着し、新年の初めに蔵を開いて商売繁盛を祈る行事を「蔵開き」と呼んで鏡餅で作った汁粉や雑煮をふるまうなど新しい一年のスタートを飾る行事としました。
因みになぜ、鏡開きの「鏡」は円満を、「開く」は末広がりを意味しているとも言われています。
また、鏡餅の割れ方で占いをする地域もあり、「鏡餅の割れが多ければ豊作」と言われています。この点も日本人らしい文化の姿と言えます。

再会と特訓

もうかれこれ12年前ですが、2012年の1月の中旬に金土日の三連休を利用して、宮城県での復興ボランティアに参加した時のことです。その年は、まだまだ仮設住宅が多く大変な状況が続いていました。それでも災害発生の年の混乱はなく、力強い東北地方の人々の力が結集し、復旧作業も前に前に向かっている様子が道々の工事の様子からもうかがえました。
私は、3日間の予定でボランティア活動を行うため、宮城県のある図書館の駐車場に向かいました。ボランティア活動と言っても災害発生当初から自分が面倒を見れる人数など知れていました。たった4人ですが、大学を卒業するまでは支援し続けたのがこの時に待ち合わせた子たちでした。
久々に実際に再会した4人は少しニキビが増えていました。この4人に、センター試験と前期・後期の大学受験直前の指導をそれぞれの進路に合わせて行うことが私のミッションでした。
車に彼らをのせ、近くに予約していた少し広めのマンスリーのアパートに向かいました。長机とパイプ椅子に電気スタンドと中型のホワイトボードを車から降ろし、最低限の家具だけそろっているその一軒家に搬入しました。
寝袋を何もない畳の部屋に広げ、そこが寝室と分かるようにセットし、何もない冷蔵庫に買い込んできたお茶と水、スポドリを満タンに入れ、長机を何もないリビングに4つ並べて椅子を置けば完成です。
昼飯は、近くのコンビニでそばを買い、なぜかみんなで簡単な引っ越しそばということで食べました。さっそく、それぞれの教材を段ボールに入れたものを車から降ろし、彼らに1箱ずつ渡しました。全教科、最終確認用の教材をチョイスし、それぞれの学校に合わせて説明を書いたものを目にした彼らは、その瞬間、私の気合を理解したようで最後の踏ん張りに必要な闘志を高めたようでした。

やり方と一人になった時の勉強方法

内容を教えるというよりも、目の前の箱の中身をどのように用いてこの3日間が終了した後、最後の局面までどのように学習するかを教えることに時間がかかったのは言うまでもありません。
気づけば、午後一番から始めた学習も深夜の2時まで休み時間なしに過ぎていました。腹が減れば、準備しておいたレトルト食品を食べ、そしてまた学習する。72時間という共に学べる限りある時間をいかに大切にするかという共通の思いで、最大限の集中力を燃やしていたように感じます。
寝袋で睡眠をとり、朝になれば松屋で朝ご飯定食を5人で食べ、昼になればカップラーメンを食べ、そして夜はがっつり焼き肉を食べ、残りの時間は全て学習に当て、深夜に寝るといった予定で72時間を終え、ひとしきり全教材に目を通し終わった最終日、4人の高校生の保護者の方々が、夕方に迎えに来ました。
私は、試験当日の朝に読むようにと手紙をそれぞれに、そして、お守りとおそろいの手袋にマフラーを手渡しました。被災し、ご両親がおられない子もいましたが、3日間を終えて目の下にクマがくっきり見えはしてもみんなたくましいいい顔になっていました。

玉紙

保護者の方のなかにだいぶご年配の方がおられ、別れ際、せんべいの空き缶を頂きました。少しまだ温かい感じがしたその缶のふたを空けてみると、中には鏡餅を砕いて香ばしくあげたおかきのようなあげ餅が入っていました。とてもおいしそうな香りが、澄んだ空気と共に疲れを一気に癒してくれました。荷物を車に皆さんの手を借りて積み込み出発する帰り道、手作りのあげ餅がどうしても食べたくなり、鶴巣というサービスエリアで車を停め一息つくことにしました。無料の熱いほうじ茶をカップに注ぎ、車内に戻るといただいたあげ餅をつまみました。
あまじょっぱい場所や塩のきいた場所があり、香ばしくとても懐かしい味がしました。そこそこ食べていくと下に和紙のような紙が敷いてあるのが見えました。赤い玉のような絵とエビの絵、寿と言う文字が描かれた紙でした。そういえば、3日間の滞在の中でスーパーに行った時に同じような紙を見かけたことを思い出しました。私は、少し油じみが残るその紙を小さく折りたたんでお守り代わりに手帳に挟み込むことにしました。

門出

それから2カ月が過ぎ、4人とも大学に合格した知らせを受け、もう一度、宮城を訪れた時のことです。お祝いに、4人で食べ放題のお店に行き今度は、1日中遊びました。青山でそれぞれにスーツを贈り、すっかり財布も空になりいつもの図書館の駐車場で解散しようと車を走らせていると、ふとあの紙のことを思い出しました。
私は、手帳にはさんであった紙を見せて彼らに聞くと正月に飾る縁起物の紙だというのです。名前は玉紙と言い、書かれていたのは「宝珠」「伊勢海老」「松」「昆布」など願いが叶うようにと言う意味が込められたものであるということでした。
私は、その玉紙をもう一度きれいにたたんで手帳に挟み込み4人の合格を心中で神様に伝え、感謝しました。それ以来、私は入試に関わる仕事を長くし続けてきましたがいつもこの時もらった玉紙に教え子たちの合格を願うようにしています。

さて、入試本番、いよいよ結果の出る時期となりました。常に感謝と誠実さ、謙虚さを忘れずに前を向いて歩むことが大切です。

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