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155 合理化


はじめに

合理化とは何なのかということについて今日の教育コラムでは考えてみたいと思います。この合理化の逆の言葉として非合理という言葉があります。を辞書で調べると次のように記されています。
「論理に合わないこと。理性によってとらえることができないこと。また、そのさま。たとえば、神秘的なもの、情緒的なもの、信念的なもののありさま。」(日本語大辞典より)

マックス・ヴェーバーに学ぶ

合理的な行為とは何かと問われた時、答えるのはとても難しいのです。
下の図は、社会学者のマックス・ヴェーバーが人間の行為についてその一部を分析しまとめた表として有名なものです。

合理性と非合理性

マックス・ヴェーバーは、ドイツの社会学者、政治学者、経済史・経済学者として有名な人物です。最も知られている主著は『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1920)という大変難しい本だと認識しています。
この人物の業績の一つが理解社会学という分野を切り開いたことと、近代における合理化が進んでいく様子を説明した点にあります。では、お話を合理性と非合理性の説明に戻し、マックス・ヴェーバーの言葉をかりながら説明していきたいと思います。
まずは、マックス・ヴェーバーの用いている言葉の説明からしていきます。「目的合理的行為」という言葉は、外の事物や他者の行動を予想して「自分の目的」のために働きかけ、条件や手段として利用することを意味します。
「価値合理的行為」という言葉は、結果を度外視して、ある絶対的価値観(倫理的、美的、宗教的)を信じることを意味します。
「伝統的行為」とは、過去の慣習に従った振る舞いをすることを指します。
「感情的行為」とは、個人の感性に従って意思決定をすることを指します。

合理化

  1. こうした言葉を確認した後で、先ほどの表を見てみると、合理化を簡単な言葉で説明することができます。「物事を予測できるもの、操作可能なものにする」という精神に基づいていることが見えてきます。

  2. つまり合理化するということは、再利用するために合理的な物や合理的な知性を保存しようとする行為になるわけです。難しく言えば、主意主義から主知主義にしていくことだとも言えます。主意主義とは自分の内面的な意志や感情で行動することで、主知主義とは過去の経験や科学的な知識に基づきこのような時はこうすればよいという知を用いて行動することです。これが進むと、地に頼って地によって縛られた行動が構築されていきます。つまり合理性に縛られるということです。マックス・ヴェーバーはこの縛られることを鉄の檻と表現しています。

  3. また、次第にこうした合理性に頼っていると内的な思考は停滞し、完全に頼りきりの状態になります。このように自分を見失い、予測可能なものや過去の成功体験に縛られているうちに自分を見失い、内面から沸き起こるものに突き動かされるような行動がとれなくなっていきます。このような状態をマックス・ヴェーバーは機械的化石化と表現しています。現代風に言えばマニュアル人間といったところでしょうか。

  4. また、こうした合理化の先には「精神なき専門人」「心情なき享楽人」が増え、それらが間違った思想の下に己惚れる世界が生じるともマックス・ヴェーバーは述べています。

合理化と思考停止

合理化が進む世界では、内発性が失われていきます。すると思考停止に陥る人間が増えていきます。わかりやすく言えば、合理的な思考に頼り切っている社会では、仕事でつまずいた時に自分で時間をかけて考えずに、ビジネス書やインターネットを駆使して似たような問題で悩んでいる人の成功例を参考にして解決を試みます。またそうした考えは、恋愛という人間らしい内面から沸き起こる感情に基づく非合理的な物にすら影響し、合理化を取り入れようとします。
中でも、教育という社会を形成する基本的な営みにまで、自分の内面的な意志や感情で行動することを妨げるような合理化が浸透している現代では、合理化の行く末がより心配にならざるを得ないのです。
合理的な生き方が必ずしも正しいとは言えない、そうした立場で物事を見ていかないとせっかく学んでも、つまらないことばかりになってしまうのではないでしょうか。



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