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震災ボランティアをしたときの話

東日本大震災後の4月中旬から2ヵ月くらいの間、がれき撤去のボランティアをした。
平日は都内で派遣社員として働いていたので、金曜の夜出発し土曜の朝現地入りして活動する「弾丸ボランティアバス」を利用した。
うろ覚えだが、費用は5000円前後だったと思う。
もちろん車中泊。
「お金を払ってまで…”私っていいコトしてる!”って自己満足じゃないの?」「お金で寄付するほうがいいだろう!」という辛口意見、ええ、たくさんいただきましたとも!

日本は言論の自由が守られている国。だから意見するのは勝手だけど「一緒に行こう!」って誘われているわけでも無いのにと、とても不思議だった。
みんな、そんなに私の行動に関心あるのか?!ひょっとしてヒマ?
私はすべての辛口コメントを「にこやかにスルー」した。
だって、本当に必要かどうかは行ってみなくちゃ分からないし。
もし役に立ってないなら、続けなければいいだけのシンプルな話。

結論としては、かなり役に立てた。
必要とされていると一番感じたのが「ドブさらい」。
大量の土砂が流れ込んで詰まった側溝の泥を掻き出す作業。
それをやらないと、雨が降ると周囲が水浸しになってしまうのだ。
しかも高齢者が多い集落では、担い手があまりに少なくて全く手付かずの場所がたくさんあった。 
それは「大量の人手」でなければ解決できない問題だった。

汚泥を掻き出して土嚢袋に入れていく作業は、なかなかのハードワーク。
側溝の蓋、重い!
スコップに乗った汚泥、重い!!
汚泥の入った土嚢袋、超重いっ!!!

そんなトリプル重い作業を午後3-4時くらいまでやってから帰路につく。
途中バスは栃木あたりの公衆浴場に寄って、風呂にはいってから夜中に東京に戻った。
風呂は汗を流すためもあるが、海水を含んだ汚泥が放つ腐敗した魚のような臭いを落とすという理由もあったと思う。
はっきりいって、相当な悪臭。
でも、だれも文句は言わなかった。なぜなら我々にとっては今日だけのこと。
しかし、そこに住む人々は震災以来ずっとこの臭いのなかで生活していることを、みんな理解していたからだ。

そうやって2ヵ月ほど続けた私の週末弾丸ボランティアは、現地の需要が「長期滞在して生活支援をするボランティア」へ移行したころに終わった。

ボランティアバスには毎回30-40人が乗車していた。
全員お金を払ってボランティアに行こうと決めた人だ。
7割くらいが学生。しかも、ひとり参加の若者がそのうち3-4割いたのがとても頼もしかった。
いっぽう「ゆとり」だ「さとり」だと彼らを批判していた中年の参加者は、全体の1割にも満たなかった。
(ちなみに、私に辛口コメントしてきたのも全員中年…これは偶然じゃないよね?)
ある時ひとりの若い女性参加者と話していたら「実は、このボランティアのことは友達や会社の人には内緒なんです…いろいろ言われそうだから」と、ちょっと悲しそうな顔をしていた。
そこで私は彼女を元気づけようと、自分がさかんにディスられた話をした。すると「私だったらそんなこと言われたら傷つく…」と、余計に慎重にさせてしまった。
やはり変人枠で生きてきた人間の体験は、まったく参考にならなかったようだ。

そんな彼女も、帰り道には「興味もってくれそうな友達ひとりいるから、声かけてみようかな…」と言っていた。
その後、私が再び彼女と一緒のバスになることはなかったが、きっとひとりでもふたりでも同じ気持ちの仲間ができたと、本気で私は信じている。
 


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