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「社会人として…」の言葉の強さと鋭さ

身近な人へ注意するときや自身を律するとき、「社会人として…」という言葉を使いませんか。「社会人なのだからこうした方が良い。」、「社会人なのだから今の言動は相応しくない。」「社会人としてこう振舞った方が良い。」と言った具合です。

身近な人へ注意するときの「社会人として…」。


私は、何度もこの言葉を使っていました。しかし、なぜかこの言葉を使うと相手は否定されたように受け取ったり、明らかに沈んだような表情になったりしていました。私は正論を言っているにも関わらず、なぜ相手は素直に受け止めないのかが不思議でした。
今日話していた利用者の方は、

注意するときに「社会人として…」という言葉を使うと、ネガティブ思考の人は「自分は社会人失格だ」と受け取るかもしれないね。ネガティブ思考の人には、「社会人として…」という言葉は鋭いかもしれない。

と教えてくれました。
確かに私が逆の立場だったら、「社会人として…」という言葉を使って注意されると、正論であったとしても言葉の強さに圧倒されてしまうかも、と感じました。


自分を律するときの「社会人として…」


私の社会人の理想像は何なのだろうと考えてみました。私の考えは、「人と信頼関係を築くために約束を守り、求められたことややるべきことをやり通すこと」が社会人の理想です。確かに正論なのですが、私自身が書いていて息苦しいなと感じてしまいました。もう少し緩やかさがあっても良いのかもしれません。例えば、「一人でやり通せないときは助けを求める。」や、「地球上の全員と良好な関係を築けないという考えを前提に、可能な範囲で。」と言った感じでしょうか。


今回の記事を投稿するにあたって、「社会人として…」は時には自分や身近な人の首を絞めてしまう言葉にもなりかねないな、と感じました。言葉の表現方法、考えの緩やかさ、学ぶことはまだまだ多いなと思います。