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孤独と一緒に付き合っていく

一人=孤独ではない。一人で居たいときもある。一人で過ごすことを選ぶ人もいる。と語る人がいます。

私も、物理的に一人でいることと孤独は必ずしも一致しないと考えています。

実際、私にとって一人で自分の部屋に籠って過ごす時間も大切な時間です。他人からの刺激を遮断し、ひたすら趣味に没頭したり、ゆっくり寝て過ごしたり…。この時間があるから、私は再びストレスの多い外の世界へ出ていくことができるのです。

一方、私の抑うつ症状が最もひどかったとき。確かに家族がいて、離れていても友人がいて、私がいなくなれば悲しむ人がいるとわかっていたにも関わらず、孤独で苦しんでいました。

では、私が感じる孤独って何なのでしょうか。

それは主観的なものだと考えています。自身の価値観を共有できない、自身の想いや存在を認知してもらえない、自身を大切に思ってもらえない。そういった風に感じたときに孤独が芽生えるのだと思います。

私の場合は、

「もう何もかも終わりにしたい。でも死ぬのも怖い。」という本音を誰かに受け止めてほしかった。「何事もなかったように振舞っているけど、本当はとてもとても苦しいのだ。」と誰かにわかってほしかった。私が過去から歩んできた道のりを自分ひとりでは受け入れられないから、誰かに手伝ってほしかった。

こんな重苦しいことを家族や友人には言えないと。でも、他に言える人がいない。故に孤独となって私を蝕んでいたのだと思うのです。

では今は…。孤独が全くなくなったわけではありません。集団に馴染めていないな、と感じたときにやはり孤独が顔を出してきます。

そんなときは、自分の時間に没頭したり、楽しい出来事を思い出してみたり、といったことをしますが、やはり一番有効なのは「語る」ことです。私は寂しくて、辛いのだと。私なりに考えた孤独の原因ただ聞いてもらう。それだけで私は救われるのです。

私は孤独を本能のようなものだと考えています。古来人が行きていく上で集団を選んできたからです。

孤独を排除するのではなく。どう付き合うか。
「語る」以外のレパートリーを増やすことが私の課題かもしれません。