偏った思考はおやすみなさいのサイン
私の中には2種類の人間がいる。
論理的な私と
感覚的な私だ。
普段は論理的な私が
感覚的な私を覆っている。
疲れていない私は
論理的だし、
疲れしまえば
感覚的な私が顔を出す。
失敗した
って思うと
自分はダメな人間だ
って思う。
この文を読んで、
論理的な私は飛躍していると
気が付く。
そもそも人生に
成功も失敗もないだろうと。
良いもダメもないだろうと。
しかし
疲れている時の私
感覚的な私は
そうはいかない。
失敗=自己否定になる。
偏った思考になる。
出来事を客観的に観る力が
もう残っていないからだ。
じゃあ感覚的な私は
悪者なのか。
それも違う。
時には
自分をダメな人間だと
思ってしまうことも、
失敗してしまったと
過剰に反省してしまうことも、
それも全て私なのである。
論理的な私で居続けることこそ、
不自然なことなのではないかと思う。
感覚的な私が顔を出したなら、
疲れているのだと
休ませて癒してあげれば良い。
おやすみなさいと言ってくれている。
たったそれだけのこと。
自分を認めるとは
そういうことなのではないかと思う。