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ベンチャーキャピタルから個人破産申立されて4,000万円支払った話

事実は小説より奇なり。誰も恨まない生き方をするに至った過程をnoteにまとめ、たった1人でも役立てば良いと考え、ナレッジとして残すことにした。

経営は社長に責任がある。これは間違いない。起業家は出資者を恨むことをしない方が幸せになると思う。これもたぶん間違いない。厳密には違うけれども僕が心がけていることだ。

そんな僕が、金商法違反を平気で行うベンチャーキャピタル(VC)から個人破産申立をされた末に4,000万円支払った話をしようと思う。

しかし今でもVCを恨んでいない。そんな能天気な自分が明日を創ると信じている。起業家なら暴風雨でも前を向いて進みたいものだ。

さて、この話では普通は表に出てこないような失敗談や注意すべきポイントが多数出てくる。これから起業してエクイティによるファイナンスを検討している人にとって参考事例になることを願う。

未だに存在する昔ながらのベンチャーキャピタル

起業した一社目のスタートアップが始めての出資を受けたのは2014年10月末のことだった。約1億の調達。普通株式で買取条項アリ。これを資金調達シリーズAと呼ぼう。

それと同じくして、とある広告代理店の電子広告部門と業務提携を視野に入れた話を進めていたこともあって、出資の際にはVCがとても喜んでいた。

そのVCは独立系のキャピタルで、実質的に親子経営。代表が元官僚で、常務がBIG4出身の公認会計士であるご子息だ。常務の年齢は僕より一つ年上。一人っ子の僕にとって兄のように慕っていた。

常務にとっては、キャピタリストとして初めてフルコミットする案件だったそう。ディールをゼロからまとめることも初めてであったと後から聞く。だから朝から晩までとにかく付き合ってくれた。

今でも感謝しているし、常務から学んだことはとても多い。なんのしがらみもなければ今でも会ってフラットに業界のことを話したいと思うほどである。僕が良くても相手がダメだと思うと残念だ。一方通行の音信不通である。つまり良い別れ方ではない。

念の為に添えておくと、当該VCは第二種金融商品取引業の免許を持っている。PEファンドのような性質も持ち合わせており、東証一部上場企業の資産管理会社からもご資産を預かるようなところである。それでもトラブルは起こるのだ。

7億円を調達するために

シリーズAの調達を達成するまではオフィスに寝袋で泊り込んで3日に一度だけ銭湯に通った。それを一年間繰り返したのである。その当時では風変わりなコワーキングスペースであったが、寝泊まりを黙認してくれたことに感謝している。

蓑虫のような一年間を共に過ごした共同創設者である大切な戦友。だからシリーズAがクローズした事はとても嬉しかった。どのファイナンスの教科書にも載っているように、スタートアップはそこからが本番である。

ちなみに、戦友の彼とはまもなく16年来の付き合いになる。

事業計画では会社が採算ベースに乗り、IPO後の成長ストーリーも十分に描けるようになるまでの追加費用はバッファー込みで7億円であった。

シリーズAがクローズした2ヶ月後に決まった主幹事証券会社が繰り出すエクイティストーリーは、会社の事業と成長の柱を理路整然と記しており、とても美しく素晴らしいものであった。

横道に逸れるが、主幹事選定はコンペ形式。その時にコンペの痛みも知り、もしも次があるならばコンペ形式は辞めようと思った程だ。お断りをした担当者さんの声、トーン、言葉が今でも心に刺さっている。

閑話休題。2014年10月末のシリーズAの調達から休む間もなく、年明けから次のシリーズBの資金調達に向けて動き出した。今振り返ると、18ヶ月分のバーンレートといった事が当てはまらない事例はよくあるものだと思う。急成長するスタートアップであればあるほど、イレギュラーは付き物だ。

VCは僕にとって良い提案をしてきた。一見すると、である。

内容は、次のラウンドでも当該VCがリードを取る代わりに資金調達の窓口をエクスクルーシブにするように求めるものだ。つまり、VCが組成するファンド経由に限って他者からの出資を認めるというものであった。窓口の一本化といえば分かりやすい。

当時は知識も十分ではなかった僕にとって、ファイナンスに悩まなくて良いというのは事業開発の面でも好都合である。こうして、シリーズBの資金調達の道はVCに委ねられた。

異端な2つのサービス、異なる行く先

ここで僕たちが提供していたサービスを紹介しようと思う。そのサービスが対象とする顧客において、当時は「水と油だろう」と揶揄されるほど変わったものであった。

それは、人工知能を組み込んだコメントシステム(コメント欄)である。大手新聞社・地方新聞社・週刊誌・ネットメディアなどのありとあらゆるニュースサイトにそのコメントシステムを埋め込むというアイディアだ。コメント欄では広告も表示される仕組みで、そこに前述の広告代理店が手を挙げて下さったというわけである。最終的には、米国G社直々の広告に変貌するのであるが。

話を進めよう。そのコメントシステムは匿名かつユーザー登録無しで書き込むことができ、返信しあえるという2chのような特徴をもっていた。つまりコメント欄が炎上するリスクが極めて高い。当然ながらメディアはそういったものを嫌う。だから水と油なのである。

そこで人工知能で「場の空気」を数値化して解決を図ろうとしたのが僕たちのプロダクトだ。

さらに、そのコメント欄を横串で閲覧できるアプリも提供する。そうすることでコンテンツホルダー自体をコミュニティ化しつつ、当時の2ch・ニュー速板のような性質も持ち合わせることがてきるというものであった。

ニュース記事をただ読むだけではなく、多様な考え方をもった人々が議論をすることで知識や思考が磨かれ、後世に残る礎になると心の底から信じていた。ニュースの読み方を教えてくれる池上彰氏のような存在に無名の誰もがなることが出来る。そんな、秩序あるヤフコメを一時は構築できていた。

僕は、東日本大震災を出身地の茨城県で体験し、たまたま帰省していた実家は福島第一原発から100km圏内。基地局の非常用電源もあっという間に切れたため、自動車のラジオ以外に情報手段が無かったといっても過言ではない。数日間の停電の後にテレビに映ったのは驚くべき被災地の映像であった。

自らも食べるものに困っていたが、これから何をすれば良いか真剣に考えた。津波で人命も富も失う映像を見るうちに世界史で学んだとある国の話が思い浮かんだ。そこからの行動は早かった。

僕は「考える力」が人類最期の頼みの綱であると考え、それを子どもたちに残そうとした。今を生きる大人たちに養ってもらおうとした。これが起業のキッカケであり、この志は今でも正しいと確信している。

とはいえ事業は稼がなくてはならない。コメント欄の広告収入のみでは立ち行かなくなる。メディアと共同で事業開発を行なうなかで出てきたアイディアがデータプラットフォーム事業だ。今の会社もデータを扱う企業であるが使い方が正反対である。どちらかというと、人々に嫌われるデータの使い方をしてしまっていたかもしれない。

念の為に繰り返すけれども、今の会社は正反対のことをしている。片方に立ってみると、もう片方の良さを知ることがあるのかもしれない。

結局のところ、全て匿名化処理を行なう前提において、サードパーティーCookieを利用して読者が好む記事カテゴリー等を媒体を超えて把握しようとしたのだ。さらに投稿内容から性格を把握する試みも始めていた。

加えて、メディアはオフライン――現実世界のイベント・興業にも強い為、それらと結びつける試みも行っていたのである。収益化に苦しむメディア業界にとっては福音になると信じていたが、今思えば evil なものであった。恐ろしい。

斬新で冒険的なものに対する抵抗はどの業界でも同じだ。匿名コメント欄においては、その最右翼にある新聞社が自社のニュースサイトを2ch化するような事に応じてくれるはずもなく、勝手に記事を無断転載するニュースアプリの方が皮肉にも門戸は開いていたのである。

スマートニュースの戦略は結果的に成功した。まだゴクロという社名であった頃、ドルフィンブラウザの発表会で出会った浜本さんと六本木の幸楽苑でラーメンをすすりながら、ビールも片手に夢を語ったのが懐かしい。意外なところで繋がるものである。

メディア業界に対するソリューションという意味では、僭越かつ失礼ながらもスマートニュースと僕たちは「異端」であったように思う。それでも、世の中を楽しく・良くしたいという志は一緒だった。それがスタートアップというものなのだと思う。

報道と仕事をする、という意味を知る

過去に遡りすぎたが、シリーズAの投資を受けるまでに、大手を含む5社にサービス提供することが決まっていた。共同創設者の戦友と共にアウトバウンドの営業を地道に続けた結果だ。とはいえ、とある新聞の電子版に取り上げられたことがもっとも威力があった、ということはしっかりと残しておく。

プロダクトを本格開発する前から周囲を巻き込むには相当の力が必要となる。僕が飛行機好きということもあり、航空機業界では通例の「ローンチカスタマー」に似た制度を取り入れたことで長大企業における稟議のハードルを下げた。

傍から見ると僅かに見える歩みも僕たちにとっては大きな歩みであり、そんな僕たちに意気投合してくれた人物が "形式上の" 常勤取締役として加わったのもシリーズAの調達前のことだ。

その人物は僕たちと年齢が2倍ほど違う。メディア業界に強く、著名な専門誌の編集長を経ており、テック業界にも明るかった。広告代理店に親しい方がおり、その力もあって広告代理店の電子広告部門と業務提携を視野に入れたプロジェクトが動いていたのである。いつも人に助けられてばかりだ。

ようやく話を戻そう。シリーズAをクロージングした2014年末。前述の広告代理店と打ち合わせをしていると、広告代理店から要望があった。何でも、僕たちの会社体制がネックであるという。具体的には「報道の掟を知り、守って欲しい」というのだ。

その掟というのが、報道局から電話が鳴ったら遅くともツー・コール以内(2回以内)で対応できることだという。そして地震や有事の際にも会社とシステムが機能し続ける事が求められた。それは報道局と仕事する上で当たり前の礼儀であると教えてくださったのである。

こうして、BPOを鑑みたオフィスビルに移転する計画が動き出す。

六本木の著名なビルに入るも改装は一切せず

僕たちはオフィス仲介会社さんの助けを借りて、六本木にある著名なビルに入ることができた。その後ろ盾としてVCが後見人のような立場を取ってくれたことも大きい。

後日、兄のように慕っていたキャピタリストの常務に聞くと、ゼネコンの力まで借りて入居審査をパスできるように取り計らってくれたとのこと。本当になんでもしてくださるVCだ。言うならば神。

実際のところは、VCとしても広告代理店との協業は何としても続けるべきであるという意向であった。

常識で考えると、300坪弱の膨大な面積かつ日本で最も著名なビルといっても過言ではない場所に、設立して間もないベンチャー企業単体の信用力では入居できないことは明白だった。そういった点でもVCには感謝している。

ここで疑問に思う方が多いと思う。なぜ六本木のビルを選んだのかということだ。僕がそのビルに出勤する時の半分は、ユニクロで買った明らかにパジャマとわかる姿で出社していたと言っても過言ではなく、〜〜族的な華やかさとは程遠いのだ。

BCPの観点を踏まえたビル。つまり広告代理店の要求に応えられるビルを仲介会社さんに探して頂いたが中々存在しなかった。東日本大震災の発生に伴ってBCP対応ビルは枯渇しており、そもそも当時は対応ビル自体が少ない時代であった。たった5年で東京は著しく変わる。

結局のところ、選択肢は二つしかなかったのである。六本木か仙石山(麻布エリア)のどちらかである。どちらも坪数が大きく、貸室であるテナントに対して数日間も電気を供給できるビルは極めて珍しかったのだ。ありがとう、ゴールドマン・サックス。

仲介会社の担当者さんによると「とても審査が厳しくご希望に添えるかわかりませんが…」と、申し訳無さそうに六本木の物件資料を差し出してくれたことを覚えている。大手町にも存在したのだが、新築ということも相成って坪単価で2万円近く高かった。審査に落ちたらどうしようと、顔が真っ青になる。

そんなバックストーリーがありながらも無事に移転を果たしたのが2015年2月のこと。異例の一ヶ月間で契約完了まで漕ぎ着けたのだから助けて頂いた周囲の皆様に感謝するばかりである。

さてさて、これにて「良いビルに入居してイェーイ!」なんてことは全くなく、入居してから退去するまでの一年間で一度も内装を改築しなかった。つまり、名実ともにBCPのためだけに借りていた状況である。ビルの担当者さん曰く、社史を見ても過去には存在しないとのことであった。A工事・B工事を依頼せず、困った客であったに違いない。

タームシートのみで調達が進む

六本木にある有名ビル。敷金だけで1億円は超えるため、1回目の資金調達では当然に足りない。そこで2回目の資金調達を行うこととなった。先に触れた、7億円を調達するシリーズBだ。

VCからの提案で、独自のファンド(有責)を組成して7億円を調達するタームシートが結ばれた。窓口の一本化も忘れてはならない。

そんな中で、東証一部上場企業の社長様と資産管理会社から、有責ファンド経由で六本木ビルの費用を賜ることになった。約2.5億円である。

後に判ることであるが、その時点においてLLP及びLPSが組成されていなかったことが判明している。なお、この段階においても投資契約書は結ばれていない。VCの社長が元官僚だけあってエイヤーなところがあった。これはご子息である常務からの評でもある。

さて、投資契約書を結んでいなかったことの重大さに気づいたのは、半年後の2015年8月というのだから我ながらに反省すべきところは多い。その一方で、VCも危険な橋を渡りすぎていたように思う。いや、明らかに危険だ。

僕に限らず、VCとスタートアップの距離はしばしば問題になる。昼夜問わず共に過ごしてくれたキャピタリスト。兄のように慕っていたことに加え、独立系の家族経営ということもあり「こんなものか」と話は進んでしまう。

資金調達の失敗と不信感

7億円を集めるべく奮起してくださったVCは、約3億5000万円を調達したところで宛がなくなったらしい。そんな話を聞いたのは2015年8月のことであった。

その時はやるせない気持ちになったものだ。というのも、六本木のビルに入居してからの半年間に2桁を超える投資家の方にお誘いを受けたものの、VCによる窓口の一本化の話を聞いた途端に「またの機会に」と居なくなってしまっていたからだ。

そんな背景もあったからか「7億円集めるの無理でした!ここからは窓口は一本化せずに直接投資でも構わない。とにかく集めて!」と焦る常務の姿を見ると、事態の深刻さをより一層に感じた。

常務・常務と連呼すると相当に歳上を想像してしまうかもしれないのでもう一度触れておくが、当時の僕は31歳であり、常務は1つ上の32歳である。

契約書とバックデイト

7億円のシリーズBでは投資契約書が結ばれていない状態であることは前述の通り。それも凄いことであるが、常務の窓口撤廃宣言と時を同じくして、常務から投資契約書のドラフト版が何事もないようにさらりとメールで送られてきた。IPO責任者の従業員はその内容を見て相当に困惑していたようだ。

というのも、当初タームシートや補助資料で決められていた内容とは乖離しており、圧倒的不利な内容の種類株式での調達に切り替わり、フルラチェットと買取条項アリと来たものだから慌てるのも頷ける。残余財産分配請求権と参加型の可否については触れるまでもない。

この頃、VCからの紹介を通じて、とある上場会社で財務・IRを担当していたCFOが招聘された。そのCFOはキャピタリストである常務の監査法人時代の先輩でもある。

そんなCFOは正義感に熱く、常務から突如送られてきた投資契約書についてNOを突き付けた。今では考えられないが、このCFOがいたからこそ投資契約書が結ばれていない異常事態の深刻さに気付くことができたのだ。お恥ずかしい限り。

おかわりと言わんばかりに、VCは投資契約書の署名捺印の日付をバックデイト(Back Date)して欲しいと求めてきた。過去の日付で契約していた事にして欲しいということを意味する。

これに対しては社内はもちろん、顧問である超大手法律事務所もNOの判断が下った。これを機に歯車は空回りを始めた。狂うだけらなら救いようがあったかもしれない。

机を叩かれ、罵声と怒号、そして押印

一向に投資契約書に署名捺印をしない僕たちに業を煮やし、ついに常務のお父様であるVCの社長が来訪する。

2時間近くに及んだ一方的な話し合いの中では机を拳で叩く場面もあり、全く改装をしていない300坪弱のオフィスには音が酷く響いた。それに加えて社長からの罵声と怒鳴り声。この時ばかりはせめて会議室だけは作っておけば…と後悔し、社員には申し訳ないと思ったものである。

結局のところ投資契約書を締結することになったのだが、締結日は真正な日付であり、フルラチェットと買取条項も外され、奇っ怪な内容の種類株式も消えていた。

それと同時にCFOから「このままこのVCと続けていくつもりですか?」と聞かれて年上の取締役も含めて僕たちは黙り込んだ。気分はすでにVシネマを見てるような状況であったのだから。

そこで、CFOが様々な方に聞いて周って下さり、好感触を得たこともあって僕たちはリードキャピタルの変更を模索するという、極めて難しいカードを切ることにした。

後日判明するのだが、偶然であるのか、この騒動と時を同じくして、VCは投資組合員(民法上の任意組合)に月次ですらほとんど報告をしなくなったことが判明している。常務が社外取締役に就任したことも伝えられていなかったほどには情報が伝えられていない。

いま思えば、バックデイトしていれば何か違った結末があったのかもしれないと邪推してしまうが、それは邪推でしかない。今でも、VCが投資組合員に対する説明を放棄した理由や虚偽の説明を行った理由も明らかになっていない。LPSが飛んでしまったことはどう説明したのであろう。謎は今でも残る。

リード変更の失敗

リードキャピタルの変更は結果的に失敗した。資金ショートする前までに認められた猶予期間では足りなかったし、勝算も誤っていた。

とある超大型企業の社長決裁まで行くも、「上場前のセンシティブなタイミングで、今回の資本提携に関する情報が漏洩した」という理由で断られたこともあった。

断り文句かもしれないが、この時ばかりはジェットコースターのような急展開に酷く落胆したものだ。交渉成立までの時間と資金ショートのタイムリミットが近く、僕は祖母から2,000万円を借り入れて支払いに充てていたことも大きい。

新しい投資家と交渉するにあたり「既に投資を受けた約3億8000万円の買取を含む」という部分が極めてネックであった。もちろん別の理由で断られた投資家も存在する。事前調査とは裏腹に、相談と交渉のフェーズでは感触が異なるということはしばしば起こるのだ。

かくして、常務と先輩後輩の仲であるCFOが間を取り持つ形で、リードキャピタルの変更中止という "復縁" にむけて動き出したのである。2015年12月のことであった。

その際、僕以外の取締役の皆が交渉内容を録音するように頼み込んだが、CFOの正義感で実現しなかった。VCの言うことが二転三転し、簡単に破棄される文書、虚偽の説明という五里霧中の相手に対して僕たちは疑心暗鬼になっていた。官僚出身は強い。

もちろん、結果は『録音しておけばよかった』ということになる。その代償を背負うのは社長なのだ。それも社長の仕事。

誠意をみせて欲しい(具体的)

2015年12月の最終週。世間は仕事納めの日。ついにCFOがまとめてくれた "復縁" の契約が締結される。それをもって追加の出資を行うというものであった…はずである。

ところが現実は異なり、転換比率が不明、契約書の途中に謎の第三者の名前が登場する「明らかに急場で流用してっぺよ!」という、お粗末な転換社債を通じて4,000万円を拠出するというものであった。なお償還期限は1ヶ月で毎月延長するという、もはや奴隷契約のような内容である。

タイトルの4,000万円という数字はここで合致する。なぜなら、連帯保証人として僕が記載されていたのだ。

さらに、CFOが行った事前の交渉では、VCの持ち分比率が51%を超えるように僕の持ち分から簿価で株式を譲渡するという内容であった。ところがそれも違った。

締結当日になって、VCの社長から唐突な提案がなされた。自分たちは応援団なのだから、再び応援するために「佐藤社長の誠意をみせて欲しい」というのだ。その証として、持ち分比率は67%を超えるように譲渡して欲しいというものであった。誠意の内容が具体的に示される交渉の場を体験したことがなかったから驚いた。

しかも、もし誠意が無いのであればこの交渉は決裂で「ハイ、さようなら。良いお年を!」というのである。またまたVシネマのワンシーンか池井戸潤氏の小説だろうかと、頭がクラクラしてしまう。

4,000万円の連帯保証人に加えて拒否権が発動できない状況になる。ここまでくると拒否権など言っている場合ではないのだが、VCが繰り出してくる次の一手が容易に予想できてしまう程には成長していた。

リードキャピタル変更の道を選んでからの僅か数カ月で、これまで以上にファイナンスについて学び、会社法や民法、内容証明の書き方なども習得していた。スタートアップとして間違った時間の使い方である。

判断能力を失いつつも、臨時株主総会が開催された体で物事は進んでいく。いや、正しくは自らが進めているのだが、人間は極限に近い状態におかれるとこうなるのか…ということを体験できたのは大きな習得であった。諦めとは違う、何か悟りを開いたような気分になるのだ。

怒涛の如く誠意を連発した為か、茨城の実家に年末で帰省する気にもなれず、ただ明日が良くなること願っていた。祖母から電話越しに2,000万円を借りたにも関わらず。

正義の定義とクーデター(前編)

失意の中で新年を迎え、もはや服従の意思が生まれていたのかもしれない。ストックホルム症候群に近いものであったように思う。

ところで、年末に行われた『仁義ある話し合い』の結果、取締役会もVCがコントロールするために、前述の年配取締役と別の取締役(※後述)が解任されている。

それと同時にVCの社長とその従業員のキャピタリスト、CFOの3名が常勤取締役(責任限定契約無し)で就任している。ここも注目ポイントである。

ちなみに、監査役は何度も辞めたがっていて「倒産寸前の会社の監査役は嫌だ」という理由で、それを聞いたCFOも絶句していたらしい。しかし、後任を探すも見つからず、権利義務承継監査役として権利義務が残る形が続いていた。つまり監査役となんら変わりがない。

前年の秋、監査役からの辞任届を僕が黙って受け入れたことを感謝されたのだが、こんなにも優しい監査役がいるのかと不思議に思った。後から辞任の理由を聞いて納得したものである。なんてバカなお人好しだろう。

さて、年末に解任されたはずの年配取締役。その取締役が一斉メールで「年明けに東証一部上場企業の社長に対して解任されたご報告をする」と言い出してから事態は急展開を迎える。

まず、VCが当該取締役の解任を撤回するという。取締役会や株主総会どこいった…。ここでも思ってしまうステレオタイプ。さすがは元官僚の社長。霞が関の日常であるのかもしれない。

前述の通り、後に判明した事として、2015年8月頃からVCは投資組合員に対する説明義務を放棄しているに等しい状況であった。つまり、解任された年配取締役が洗いざらい喋ってしまうことで、現在のVCの所業を知られてしまうというわけである。繰り返すが、それは後から分かった事である。

ちなみに、上記は僕自身が投資組合員からヒアリングを受け、逆にヒアリングした結果でもある。つまり、後述する騒動が起こるまでVC以外は目が点の状態であった。答え合わせの結果を受け入れるのに投資家も僕も半年はかかった。

さて、年が明けた2016年からは毎週土曜日に経営会議が開催されることになった。VCが開いてくださる土曜会議だ。こう書くと皮肉のように聞こえるかもしれないが、土曜の時間を使って下さることは本当に感謝すべきことである。ストックホルム症候群であるのか定かではないが、感謝していたのだ。

ある土曜会議の日。僕は前日に発症したインフルエンザに罹患した為に土曜会議を欠席することにした。おおよそ発症から二日目のピークである。

会社は非常事態。万が一でも他の取締役に伝染させてしまったら大変なことであると心の底から思い、休んだ方が会社のためになると考えたからだ。既にオチがわかると思われるが、そこは戦前の日本だった。

論理的な思考よりも根性が優先され、VCの社長は「佐藤社長は我々に歯向かっている反逆者だ」といった趣旨のことを述べたと、後に他の取締役から聞いている。いつも疑問に思っていたがとにかく発言が壮大なのだ。

冗談はさておき、反逆者などとんでもない。病院に駆け込む前日の "27時" まで事業計画書作成に没頭していたほどだ。VCへの忠誠を尽くしていた。それを疑う読者もいらっしゃるかもしれないが、そもそも4,000万円の連帯保証と祖母への2,000万円があると言えば納得して頂けると期待している。

とはいえ、インフルエンザで休んだことに激昂した社長から小一時間説教をうけることになった戦友とCFOには申し訳なく思う。

ちなみに年配の取締役は「私なら佐藤が寝てるところを叩き起こしてでも連れてきます!」という趣旨のことを声高々の述べたそうだ。いつも宣言だけはビシッとしているのは見習わなくてはならないと思う。ただし、実行・実現させないことについては反面教師として見習わなくてはならないと思う。

ちなみに、体調を崩しながら "27時" まで残って作った事業計画書は、なぜか年配取締役が作ったことにされており、僕が会社を去る時になってから常務に「あれって佐藤君が作ったの!?」と驚かれたのだから笑えない。

正義の定義とクーデター(後編)

ここからは、前後が分かりにくいために後日判明したことを踏まえて付記した上で綴ろうと思う。

ところで、年配取締役が復帰して重宝された裏にはもう一つの隠された理由があった。

社用のクラウドサービスに使っていた Google の G Suite Enterprise はとても便利で、日本においては適切なタイミングで Vault という監査機能を利用できる。そして、投資組合員の方からヒアリングを受けたときに Vault を使った事で驚愕の事実が判明することになった。こんなドラマチックなことが度々起こるスタートアップはやっぱり凄いと思う。起業家バンザイ。

Vault を利用すれば社用メールの送受信内容だけでなく、メールを書いている最中に途中で消した文字列を含めて透明性を持って監査できる。もはやNetflixのドラマのようだ。

判明した驚くべき事案は、年配取締役のクーデター策だ。年配取締役はVCに対してクーデターを仕向ける内容を送信していたことが判明した。その概要は以下の通り。

・今後は自らがリーダーシップを取って事業を進めること
・広告代理店やテレビ局から出資を取り付けてくること
・大手経済誌から受託開発を取り付けてくること
・佐藤には別の用事を装って印鑑を持ってこさせ、クーデター当日に辞任届を出させるように仕組むこと
・戦友とCFOに対しては、佐藤のようになりたいのか?と迫り服従させること

こんなことが具体的に書かれているのだから唖然である。仮に小説を書いたら胡散臭くて編集部からリジェクトされるレベルだろう。しかしVCはリジェクトしなかった。

そもそも資金ショートの心配をする中で、開発リソースを受託開発に向けるリスクを誰も知らなかったのか?と問い質したい。超大規模でもない受託開発の検収と入金は一体いつになるのだろう。受託開発の仕組みも理解していないVCは大丈夫であろうか…と心配になった。

そして、追い打ちをかけるように悪魔のようなメールが送られてくる。僕が欠席した土曜会議の翌週に、VCの社長直々に「支援の中止と取締役2名就任の撤回」というメールが送られてきたのだ。

メールが送信される前の日曜には、年配取締役が秘密裏にVCと面会していることも Vault を使ったレポートから判明している。それがあっての週明け早朝の支援中止メール。

支援中止の理由はもはやコントかと思うものであり「佐藤社長がインフルエンザで欠席したことは自覚が足りない」という趣旨の内容であった。

いやいやいや…無理矢理すぎる。VCの求めに応じ、僕も必要性を感じたから27時までかけて事業計画を刷新したのに犬死である。そんな事業計画書も、年配取締役が刷新した事にされていたと知り、後から落胆した。

インフルエンザに罹患したのも仕組まれたのだろうか。こんなことを書くと、僕自身の書く内容が "アレ" なのではないかと疑われる恐れがあるので、冗談であることをしっかりと表明しておく。

なお、就任撤回という行為が意味不明なのだから社内でもザワついた。VCの社長が登記と会社法を混同しているのだ。

つまり、会社法に基づき決定したことは既に法的効力を持つことはコンメンタールを参照せずとも周知であり、その決定事項を対外的に示す行為が登記であり、その原本を複写したものが「履歴事項全部証明書」いわゆる登記簿である。

ところが、登記しなければ取締役に就任したことにはならないと主張するから困ったものだ。VCとの契約ではバスケット条項として、適法運営が求められている。それなのに登記するなと言うのだから困惑する。よほど都合が悪(略)

さて、年配取締役のメール送信以後はCFOも疑念の対象となった為に、年配取締役が取って代わる形でVCとの連絡役になった。僕たちがメールを送信してもVCから無視されるのだから仕方がない。システム障害を疑って郵便を送っても無視された。Facebookメッセンジャーは既読になる。GAFAは優秀だ。

そしてここから頓智合戦が始まる。

年配取締役を通じ、VCの意向として「僕と父親、戦友が持つ株式をすべて総額1円で売り渡すこと」「僕が代表取締役および取締役を辞任すること」の二点が要求された。僕はまたこの手法か…と落胆する。

というのも、実は昨年末の『仁義ある話し合い』によって、株式価値は簿価(厳密には発起時の価額)で67%を超える分まで大量に奪われてしまった。取引当時それしか価値がないというし、受け入れなければ交渉は打ち切りと言われたのだ。

ところが、年が明けた2016年1月中旬には1株1,500円という価額をVCが決め、そして、VCに対して第三者割当増資を実施してVCが総数を引き受けている。

自分が買いたい時にはあえて債務超過に陥れて株式価値を減少させ、増資するときは将来価値で算出する手法だ。まさに兵糧攻めである。だから今回も同じ方法か…と霹靂した。僕は再び騙されるのか?という気分になる。

ちなみに、財務会計は上記の解釈でもなんとか凌げる余地はあるかもしれない。しかし税務会計上は完全にアウトであると考える。値付けする張本人が自由に価格を決め、たった半月で価額が150倍に跳ね上がったのだ。半年ではない。半月だ。

税務当局(課税当局)の判断は分からないが、VCが行った行為は非公開株式の有利取得を行ったと外形的に判断される可能性が極めて高い(※有利発行ではない)。つまり、受贈益が発生する。

考えてみても値段推移が普通ではない。そもそも非公開会社において、年末年始休業を含めた半月の期間に、相場に左右されず、特に何の動きもない状況で株式価額が1,500円に跳ね上がるというのは税務当局も納得しがたいところであると思う。

改めて振り返る。2015年12月末、僕の株式は1株10円で買われた。それがわずか数営業日後には1,500円になった。有利取得そのものであると言わざるを得ない。ざっと計算するだけでもその益は5億円弱になるため、VCはそれを申告する必要があるのだけれども申告しているかは定かではない(※これが後々の邪推のポイントになる)。

そんなこんなで「株式を0円で渡せ!1円で渡せ!」と、毎回のように0と1が変わるという不毛なやり取りを年配取締役とやりあうことになる。これもスタートアップがすべき時間の使い方ではない。

とはいえ、約8割を持つ大株主から辞任を求められた僕は、2016年2月3日に代表取締役および取締役を辞任する意思を全ての役員に表明して辞任した。

VCへの辞任報告には戦友に付いて来てもらった。戦うべき相手はVCではなく市場であるのに、VCと戦って負けたのだ。

これら全て、組織内のコミュニケーションが足りなかったと評されるであろう。一度は辞任させられた年配取締役の気持ちを十分に組み取れなかったのかもしれない。それらが恐れや憎悪を生み出した可能性もある。

辞任を伝える席上で、かつては兄のように慕っていた常務に泣きながら想いを伝えた。

そんな常務からは「年配取締役は一時的に社長のハンコを押してくれる存在だから、今後もアドバイザーなどの形でコミットして欲しい」と返され、感極まる気持ちも吹き飛ぶというカオスっぷりである。社長の椅子は軽く、責任は重い。

辞任報告の帰り道。周囲は既に暗くなり、勝どき橋から流れてくる冷たい潮風が耳を痛くした。逃げ込むように駆け込んだのは家系のラーメン屋。戦友とともに涙ながらに麺をすすったことは今でも鮮明に覚えている。スマニューの浜本さんと六本木ですすった時とは大分違う。できれば家系以外のラーメンがよかった。

七転び八起き

僕は、自らの会社を去る際に従業員の前で経緯を説明し、とにかく謝罪した。未熟ながら当時はそうすることしか出来なかったのである。

しんみりとした空気が流れ、従業員から年配取締役に対しては「年配取締役が社長になるって大丈夫かよ!!」という声が直接浴びせられ、この空気どうするんだ?という程の社内ムード。ここまでくると、何も起こらない訳がない。橋田壽賀子氏も驚くほどの騒動の連続である。

しばらくして、VCの会議室で開かれた謎の集いに呼ばれた僕は、年配取締役と久しぶりに顔を合わせた。そして、年配取締役が強烈な事を言い放つ。

「ぼくは社長になるなんて言っていません。代表取締役なんて考えたこともない。株式を1円で売り渡せということはあくまでもプランであって●●(※VCの名前)からの指示でもない。佐藤さんが社長をやめるというのも一つのプランです」

一瞬、怒りが込み上げてくる。年配取締役とVCは、従業員、会社という組織、チーム、そして、投資家のことをなんだと思っているのか。僕は古い人間だから、その場に相応しい、様々な2chのアスキーアート(AA)が頭をよぎった。

終いには、VCとはやり取りをしていないと主張しはじめた。なんなら、VCも年配取締役とやり取りしていないと言い出す。もう訳が分からない。

おーい!常務が仰った「年配取締役は一時的に社長のハンコを押す係」発言はどこに消えたのですか。年配取締役が言うには「全てドラマのような一つのプランであった」という。今の状況がドラマだよ…と思いながら閉口。

「倒産寸前にある会社の監査はしたくない」という理由で辞任した監査役に目を配ると、はぐらかす。なにそれ、大人の世界怖い。

こうして、代表取締役不在の会社が出来上がった。

今もなお、社長交代騒動の茶番劇の真相は明らかになっていない。状況証拠から推察するに、年配取締役のジャストアイディアなプランが頓挫したのだと考えている。テレビ局からの出資、回収サイトが長い受託開発、従業員も慄く代表交代。どれもハードすぎる。

この会議から程なく、一ヶ月という、極めて短期の償還期限を迎えた4,000万円の社債について返済を催促する内容証明郵便が届く。2016年春の事だ。

こうして多くの人々に迷惑をかけ、地獄のスタートアップ顛末記は幕を閉じのであった…となれば、まだ救いようがあった。いや、幕を閉じずに闇に光が当たってよかった。つまり、クライマックスはこれからなのだ。

答え合わせで判明するVCの嘘

1年後の2017年春。見知らぬ番号からの着信があった。恐る恐る出てみると、過去にご挨拶したことのある投資組合員の方からだった。その方は前述の東証一部上場企業とも関係が深い。

その方いわく「VCの説明はどうも納得がいかない。データビジネスが核であるから投資したのになぜ無くしたのか?」と。ここで冒頭の主幹事証券会社の素晴らしいエクイティストーリーが関わってくる。伏線回収。少なくとも、僕がお会いした大口の投資組合員の方々は、エクイティストーリーをしっかり理解して、それに期待して投資したのである。

ちなみに当該VC。先行投資型のソフトウェア系テック企業に出資するのはウチが実質的に初めてだったそう(※過去に少額で一社あるとかないとか)。したがって、エクイティストーリーに書いてあることを理解できなくても仕方がないということになった。そのようなことについて、投資組合員の皆様にはご理解賜り、頭が下がるばかりである。

話を戻す。電話口で僕は当然ながら言葉を失う。

なぜなら、2015年夏頃からVC社長だけでなく、キャピタリストである常務も、具体的な投資組合員の名前を挙げて「●●さん(※投資家のお名前)に説明がつかない、●●さんに要求されているから」と、様々な経営介入の根拠にされてきたからだ。そのような事実が無かったというのだから酷く混乱した。

VC独断による投資組合員が望まない経営介入の結果、データ事業は終息され、コメントシステムを提供するための人員と資金も立ち消えた。社長交代騒動でチームも空中分解している。

ところが、投資家の皆様は(※リストが無いため全員にはお会いできてない)赤字であっても先を見据えた事業展開を望んでいたというから、あってはならないボタンのかけ違いである。なぜ、VCは説明できなかった(しなかった)のだろう。

電話では埒が明かないということで、東証一部上場企業の社長室で最初のヒアリングが行われ、VCの説明責任の放棄や虚偽の説明が明らかになる。その後も同社の監査役からのヒアリングに幾度も協力し、僕は真相解明に努めた。

その途中で判明したのはVCの作為的とも思える行為の数々。その中には、いわゆるプロ投資家(特定投資家)の要件を満たす必要があるという名目で、当該企業等にプロ投資家になるように仕向けていたのだ。その結果、訴訟の余地がかなり減ってしまったといい、頭を抱えておられた。

その後、VCと一部上場企業の間で会談が開かれることとなる。年配取締役、僕、戦友やCFOも呼ばれた。約一年越しで一同再会。2017年夏前のことであった。

もちろん、その際にVCから提出された釈明資料が酷い。

例えば「六本木の有名ビルは、佐藤社長一人が勝手に契約を取り付けてきた」といった内容を含む、虚偽回答まみれの内容であり、投資家側も「馬鹿にしてるのですか」と、怒りを穏やかに表していたことが記憶に残っている。

あろうことか、年配取締役は「代表取締役になるとは言ってない。VCとの株のやり取りも全てドラマ」と言い放った発言もあっさりと撤回した。やり取りは存在したと述べている。この時はVCも苦い顔をしていた。仮に百歩譲って、年配取締役がなんらかの正義のために行ったと解しても許される行為ではない。超えてはならない一線を超えている。

その会が終わってからも何度かヒアリングがあり、しばらくして、同社がVCを訴える事はやめると伝えられた。

残る4,000万円の転換社債。連帯保証人の請求は1年以上前の2016年が最後。さすがにVCにも人の心があったか、と思ったら甘かった。長い、長すぎる。

突然の破産申立と手打ち式

2018年春。既に現在の会社が成長している頃。こういう時に限って悪い話はやってくる。自宅のドア前で身構えて茶封筒を持つ郵便配達員さん。嫌な予感がする。案の定、裁判所からの封筒であった。

休眠状態であった当時の会社(僕の起業一社目)の破産申立をVCが行ったのだ。

ちなみに、裁判所からの訴訟などの事件(※一律に事件と表現される)に関する郵便は「特別送達」という特別な郵便で送られてくる。

仮にその場で受取拒否をしても、民事訴訟法に基づいて受取拒否をすることができず、郵便局員は定形の文言を宣誓して外形的に受け取ったことにできるスーパー郵便物なのだ。身構えた配達員さんは、恐らくそういう場面に何度も遭遇しているのではないかと考えてしまった。

さて、VCが破産申立を行ったことは当時の僕の弁護士もアドバイザーも驚いていた。なぜなら、ファンドの償還期限は7年も残っていたからだ。通常であれば、償還期限前に精算することは独立系VCは避ける傾向にあるという。さらに、当該VCの投資先がExitしたという情報も投資家界隈から聞こえてこなかった。

理由が分からない。例の、有利に安く株式を買い取った、VCにおける税務申告の件も頭をよぎる。なぜだ。考えても答えは出てこないし、今も明らかではない。

ところで、気がかりであろうことは「破産会社が代表取締役不在の会社である」ということだ。結果はどうなるのかというと、極めて単純であり、破産裁判の場合は破産状態(債務超過・返済および再生の余地なし)にあるか否かのみを争点とするため、登記通りに行うとのこと。つまり、この裁判における代表取締役は僕なのだ。

また騙された…と、勝手に騙された気になっていたが、それが嫌なら、僕は会社に対して後任代表取締役の選任を求める訴訟をすればよかったのである。しかし、当時の顧問弁護士との話し合いを経た結果、こちらから訴訟すれば、4,000万円の社債に関する連帯保証を求められる可能性が高いと判断した。藪蛇になることはしなかったのである。

しかし、リスクマネジメントをしないわけにはいかない。弁護士のアドバイスに従って「代表取締役ではない」という立場を表明し、出廷の名簿にも記載せず、それでいて破産会社の代表取締役の席に座るのである。流石に初回は堪えた。テレビで見る法廷そのままではないか。開廷を告げる裁判長の言葉、なぜか傍聴席に何事もなかったかのように座っている年配取締役。この時ばかりは、どうしてそのようなことができようか、と思ったものだ。

二回目からはネジが外れ、レアな体験が出来て糧になったのではないか?と、失礼ながらもプラスに捉えられるようになっていた。「起業家はこの位ぶっ飛んでるのが丁度いい」と、強がってこの長文noteを書いている。でも案外間違っていないと思う。

そんなケロリとした顔をみてか、裁判が進む中でVCはさらに次の一手を繰り出してきた。そう、4,000万円の社債に関する連帯保証人としての、返済不履行による個人破産申立てである。これには、弁護士もアドバイザーである師も驚いた。「えっ、今って1998年だっけ?笑」という言葉が今も忘れられない。

そもそも当該社債については、前述のとおり締結された経緯も不服である。しかし、それを争ってる場合ではないし時間もない。

VC側は2016年春頃に行った最後の請求、および、2016年当時の僕の状況について、VC側から見える範囲で勝手に判断して破産申立を行ったのである。杜撰な財産調査には弁護士も珍しく怒っていたほどだ。

弁護士と協議した結果、ついに、和解の道を選ぶことにした。14.6%の遅延損害金を無くすことも加えて。

とはいえ、すぐさま現金4,000万円を用意するのは骨が折れる。何かを取り崩したとしても3ヶ月位かかるものばかりだ。「現金もたない主義」はこういう時に損をすると学んだ。経営者は様々なカードを繰り出せるように準備しておくべきなのである。

この時に助けて下さった方とアドバイザー(師)には、10倍返し…いや、それ以上で恩返しをする。数々の係争や疑心にまみれた事柄を通じて、僕は知らぬ間に深く怪我を負っていた。しかし、高く、空高くジャンプすることを期待してくれている。

(終わり)起業家は前を見ることを諦めない

期待してくれる人がいるから頑張ることができるものだ。もちろんスタートアップの経営者…いや、一人の経営者なのだから、僕の師の教えのとおり『志高く。』ビジョンを描いて今日も前に進む。

ここで触れている以外にも2017年〜2018年には様々なことがあった。事業売却に成功して2社目(厳密には3社目)を起業した。今は投資する立場でもあり、スタートアップを支援・投資する立場でもある。ちなみに、このドラマチックな一連の出来事は、イベント登壇で喋る以外では初めて文字として遺す。

こんな長文を書いたことは初めての事かもしれない。清算されてしまった1社目は、素人ながらもテック系の記者になることから始まったが、記者時代でもここまでの長さはなかった。むしろ記事は短くなる。

直接的な言及を避けるために冗長的な表現も多く、ここまでお付き合いして下さった読者の皆様には感謝するばかりだ。

いずれ "フィクションとして" 出版できたら良いなぁと思うことがある。ここに書いた内容はこれでも極一部であり、あまりにもドラマチックであるから。

シリコンバレーでなくともスタートアップを舞台にした物語は存在する。ただし、僕が体験したような、山崎豊子(※あえて敬称略)の小説に出てくるドロドロとした人間模様が表に出てくることは稀である。

日本の場合、立ち上がれない程までに打ちのめされてしまう事が多いからではないか。そういった推察をすることがある。僕の場合も打ちのめされて影の人になる可能性も十分にあったのだ。

しかし、幸運にも僕の場合は違った。ありがたいことに妻と家族が極限のところで止めてくれる。1社目の共同創設者である戦友は、今の会社でも共同創設者として僕には存在しない視点と思考で船を確かな方向に進めてくれる。流石は16年来の付き合いである。

そして、今の会社に出資してくださる皆様の存在が大きい。株式で苦労したのに懲りないと思われるかもしれない。しかしそれは違う。

胸を張って綺麗事を並べ、海を超えるようなビジョンを実現するために、株式という資金調達の手段が存在するだけである。だから、株ではなくて人を見ることを僕は覚えた。もちろん、間違うことはあるけれども。

今の会社に出資して下さった、僕の師を含む大切な方々(株主ともいう)に支えられ、やり甲斐を感じて今日も帆を上げて進んでいる。航海は時に荒れることがあるだろう。しかし、長期的にストーリーを見ることができれば結果は変わってくる。そのことは、今の会社が入居している WeWork からも学ぶことができている。日々勉強だ。

過去とは痛いものだ。
しかしお前は過去から逃げることもできるし、
過去から学ぶこともできる。
(ライオン・キング / ラフィキ, 日本, 1994年)

元ディズニーランドのキャストとしては、ラフィキのこのセリフを外すことはできまい。だから僕も振り返ることにした。そして発信することにしたのである。なぜなら自分以外の起業家にも学んで欲しいからだ。

誰かを批判する目的は全くない。ふざけた表現もあるが緩急のためである。そんな『誰も恨まない』という、僕の経営哲学であり生き方そのものは、イベントに登壇する時の十八番になっている。今の僕がいるのは過去があるお陰だ。

最後にあらためて感謝する。数多ある起業家の物語の中で、こんなにも長い物語を読んで下さった読者の方に。サクセスストーリーでなくて申し訳ない。スッキリせず涙もない。しかも、一見すると無情な物語だ。

そして、あたらしい起業家に伝える。困ったときは僕に連絡して欲しい。様々な観点からフォローすることができる。それが僕の役目の一つだと勝手に自認している。僕の師が「マスターヨーダ」と呼ばれることがあるが、僕はライオンキングのラフィキで良い。なにしろ、プライドロックで未来の王様を持ち上げるオイシイ役なのだから。

(おしまい。航海は続く)

後日譚・あとがき

長い、長かった。noteを書き始めて二日目。実はこの物語の全てをスマートフォンで書き上げました。総文字数は2万2530文字。

note のアプリ経由では自動保存されないからヒヤヒヤしましたが、キーボードで打つよりもサクサク進んだので、そのまま書き進めました。記者時代には考えられなかった書き方です。校正はMacを利用しています。

最後に、イベントに登壇した際のQAセッションでよく聞かれる質問と回答をメモ書きを見ながら記しておきます。順不同ですみません!

―― 今は何の会社をしてるの?
個人の職に関するあらゆる履歴を持ち運べるサービスを国外で提供中です。身分証明書型の物理カードも発行しており、それを通じて職歴などを提示することができます。毎月おおよそ6万人の方が利用中です。
主に新興国が対象で、ムンバイ、ホーチミンシティ、クアラルンプールに拠点があります。日本ではWeWork東急四谷に一般入居しています。

―― 自ら命を…しようとしたことはある?
当然あります。ハッキリ答えます。未遂まではいかないですが、ギリキリで助けてくれた人が居たから生きてます。いろんなことがあったけど、僕は元気です。お世話になった人やご迷惑をおかけした人に恩返しをしたい。そもそも死ぬまでに成し遂げるべきことが山ほどあります。ジャンプはもうすぐです。

―― 恨まない生き方はどうやって実現した?なぜそうしてる?
恨んでも仕方がない。それに尽きます。相手も何か理由があって行動を起こしたものであり、相手にも様々な事情があります。因果のようなものがなければ物事は止まったままだと思うのです。
人間は皆違っていて良くて、僕の場合は「見返してやる」という人生は嫌だと思いました。それに縛られて生きるなんて、、僕は僕らしくありたい。でも、生きるということは他者から影響を受けることなんです。呪縛から逃れることはできない。そんな矛盾があるからこそ、きっと新しいものを生み出そうとする素敵な起業家が現れるのではないでしょうか。

ーー 尊敬する人や会いたい人は?
岩田聡さん。あえて「さん」と呼ばせてください。糸井重里さん。きっとウチ(現在の会社)のサービスを気に入ってくれると勝手に思っています。今の時代に必要な社会的意義のあるプロダクトですから。
よりビジネスに寄ると佐山展生さん。大好き。歴史上の偉人はよくあるのでパスします。

―― オススメの書籍は?
すぐ挙げるなら「Team Geek」と「岩田さん」。チームについて大切なことはこの二冊に詰まっています。人間としてどうあると良いのか、考えが違う者同士がどのようにチームとなるのか。そういったことが綴られています。岩田さんは僕にとってのスーパースターなんです。僕も開発者であり経営者だから。

ーー CFOや他の取締役は何してる?
16年来の戦友は一緒に今の会社を起業しました。今の戦いでは、VCではなく "市場" と闘っています。
CFOさんは正義感ある方で、今は新しい事業創出に奮起してるとのこと。共同創設者は僕を含めて4人居ます。戦友はその一人。
他の2人のうち一人はシリーズAの調達前に道を別けました。当時は大学生ながらも協力してくれた尊敬する人物です。今はフリーのエンジニアさん。
そしてもう1人は…2015年12月末に解任されて以降、音信不通となりました。でもTwitterを通じて彼らしく発信している姿を見て安堵しています。
ちなみに、年配取締役は山本太郎さんを応援している日々という事を又聞きしています。年配取締役という失礼な表現が好きではないですが、諸々の事情でご堪忍ください…。

ーー 騒動のベンチャーキャピタルの現在は?
それは言わないお約束。出資先の企業ともども隆盛することを願っています(本気でそう思う)。

ーー 4,000万円払って全ておわり?
それは僕とVCの間での話です。他に投資組合員の方がいらっしゃります。僕が考える責任は重いのです。VCの嘘と暴挙を見抜けず、初期のうちから連絡先リストを貰っていればよかったと思います。個人情報なので難しいと思われますが。

ーー VCとの関わりは無くなった?
和解して無くなったはずなのに、違う形でブーメランが飛んできたことがあります。それは2018年秋頃。他者からのリファラルに対し、VCが虚偽の説明を行った事が明らかになっています。まさに、投資家に虚偽の説明をしたことと同様の内容でした。
流石にアンフェアです。しかし、世の中はそんなものです。この体験談も僕視点の一方的ですからアンフェアです。ただ、どちらが真実か?ということは、自然になるものだと思うのです。

ーー 現在の会社もVCから調達してるの?
自己資金ではじめつつ、今ラウンドまではエンジェル投資家や起業家などからお受けしています。本当の意味での応援団として、株主と起業家の良き関係を模索しています。もちろん、常にVCの選択肢はあります。選ばれるかは別ですが、起業家も選ぶ視点を持ちましょう。

ーー 一部上場企業ってどこ?
それは言わないお約束(※実際にしたわけではない)。礼儀です。いまでも様々なことが忘れられません。僕の血肉になっています。

―― 年配取締役やVCを民事で訴えるつもりはないの?
真実を明らかにする目的ならば。知らない方が良いことも多々ありますが、様々な方のご意見をお聞きしたいという姿勢はあります。
一方で僕は起業家です。過去からは学び、常に前を向くことに時間を使いたいものです。そりゃぁ目の前で散り散りになった5億円とか4,000万円とか、年配取締役の所業とか。お金はあってこまるものではないので無視するのは経営者として良くないことです。とはいえ、僕はスタートアップの経営者なのです。

ーー 良い投資家の見分け方を教えて
良いの定義から始めなくてはならないですし、イベントでもないので note に記して行くので読んでくださいね!

ーー なぜWeWorkに入居したの?
よく聞かれます。質問に困ったときの質問。
それは WeWork の楽しみ方(使い倒し方)を知った上で価値があると判断したからです。起業にキレイなオフィスはいりません。現在の会社は2年以上1Rマンションでした。もちろん、マスターヨーダのアドバイスも大きいですが。

ーー 海外で事業をしているのは1社目の影響?
破産会社云々の悪影響的な意味なら違います。平気な顔をしているとまたドラマチックなことが起きそうなのでドキドキします。何か起きたらその時は報告しますね!
今の会社は、騒動以前から国外を対象にしていました。『いつかは海外よりも最初から国外にしたかった』という『野心』が大きいかもしれません。そもそも国境を意識しておらず、ローカライズする時には文化を意識します。それは大切なことです。

ーー 出資したいと思いましたがどうすれば良いですか?
ありがとうございます!失礼ながらKYCの後に弊社の事業をご理解頂ける場合にお受けしています。気持ちは常にアーリー、経営と胆力はステージに合わせることを意識しています。

ーー 現在の会社のサービスが順調に見える。営業凄い。どうやったの?
順調なのでしょうか。順調を信じない楽観主義者になりました。神経質ではなく、常にハングリーという感じです。
望まれている回答をすると、Face to Face のクチコミの効果が物凄いです。インタビューをすると「アンタも使いなよ!」という感じで広がっているようです。現在は出稼ぎ労働のユーザーが多いので国を超えて勝手に広がっていく素敵な状況に感謝!Pay を連携させたら面白いことが起きそうと考えています。

ーー 1社目の evil と表現した事業。今はどう思う?
成功させる自信があったか?という質問ならば、ありました。社会的インパクトについては、今の会社は絶対に触れない領域です。正反対のことをしている。テクノロジーはヒトのために使いたいものです。

ーー 次の進出国はどこ?言えない場合はどこに注目してる?どうやって決める?
言えます。アフリカに行きます。待ってる人たちがいるし、とてもチャンスがある。迷うより国境など気にせず行っちゃうのが一番です。行けば肌感覚で分かることが多い。
著名な観光地は程々に。でも、観光地だから分かることもあります。怪しいお土産売りなどから感じられることは多数あるはず。幅広く様々なことを学んで、気づく力を養ってください。すみません、偉そうなことを言いました。

ーー その他
ご質問やご要望などはメール、Twitter の DM や note などでもお受けいたします。FBの場合は一言メッセージを頂けると幸いです。

全ての起業家に幸あれ。

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メタモ株式会社の代表取締役です。事業売却Exitさせた起業家・経営者であり、�現役のエンジニア。過去の経歴は「JAXA→1社事業売却→BCGでコンサル」ベンチャー支援&投資も行っています。WeWork東急四谷に入居中。