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大人になんてなりたくないというか、そもそも大人になれる日はくるのかな…?

数日前、また一つ歳をとってしまった。自分が30代半ばになるなんて信じられない…  この年齢になってくると年齢が外見にも表れてくるわけで… もう年齢のことなんて考えたくもない…

私は歳をとるという、誰の身にも起こる当たり前のことがどうやらすんなり受け入れられないようだ。30歳になった頃から誕生日がくるのが恐怖で、年を取ることを忘れるがのごとく誕生日の前の日に暴飲。なぜそんなにお酒を飲む?と自分でもつっこみを入れたいくらいとことん飲み、次の日にやってくる誕生日はもちろん二日酔い。気分が悪過ぎて肝心の誕生日にお酒を飲む気にもならないということを何年も繰り返している(今年も日本酒とテキーラでもちろん二日酔い…)。さらに大好きなお酒が年々弱くなっているのも、加齢を証明しているみたいでさらに落ち込む。もう、年齢に抗いたくてしょうがない。

エリザベス・ギルバートの「食べて、祈って、恋をして」を買ったのは何歳の時だっただろう。持ってる文庫本の出版年が2010年だからその時にはもう持ってたのかな。さすがに頻繁にではないけれども、今でも折に触れてこの本を開く。

社会人になってから海外に住んでみたくなった。アイルランドへの一年留学を達成するまでは、離婚して辛い目に遭った作者がひたすら自分を甘やかすために移住したイタリアの章を、海外への憧れを抱きながら、そして私も絶対海外に住むんだと夢を膨らませながら読んでいた。仕事が嫌で嫌で心がかさついた時、なんでもコントロールしたくなってしまいがちな私が流れに身を任せることを学びたい時、作者が信心を探求しに行ったインドの章を読んで心を落ち着けた。

で、現在。ここ何年間か毎日悩んでいることがある。それは、子どもを産むか産まないかの選択。家族が多かったら楽しいだろうなというのはある。でも正直、私は今の自由な生活を手放すのが怖い。やりたいことだって行きたところだっていっぱいある。仕事以外の時間は自分の好きなようになんでもできる。子どもが産まれて自分の中の主役が自分でなくなってしまうなんて。だからと言って、だったら産まなければいいとも簡単に割り切れない。女性が出産できる期間は限られている。しかも、そのタイムリミットにどんどん近づいていっている。焦るばかり。後で子どもが欲しくなって後悔したくもない。時限爆弾を抱えているみたいな気持ちだ。こんな堂々巡りのループから抜け出せない。

私には人間としての大切な何か(母性本能?)が欠落しているのではないかと不安にもなる。エリザベス女史は、子どもを望んでいない自分に愕然としたと書いている。でも後になって子どもがいないことを後悔したくないから今のうちに子どもを産もうというのも違うと書いている。さすが「女が直面するあらゆること探求の書」。私の人生を通していつも参考にさせていただいています。とても参考になるし勇気づけられはするんだけれど、私の正解を見つけなければいけない。

私の妹は今、二人目の子どもをお腹の中に抱えている。とても幸せな安定した家庭を築いている。そういう普通のことができない自分のことが悲しくなる時もある。周りからは(独身)貴族だねと、なかば皮肉を言われることもある。なんでいわゆる「普通」のことが私にはできないのだろう?既に普通からはみ出したからとことんはみ出してやる!みたいな拗ねた気持ちももしかしたらあるのかもしれない。そういえば、そもそもパートナーと両親との関係も放置したままだ。私の両親は超がつく厳しさで保守的な親だが、そんな親にアメリカ人と結婚したいと言ったら、そりゃもう想像通りに怒り狂いましたとも。結局パートナーと両親を会わせることもできていない。

私、なんでこんなに抗う人生を送っているんだろう?

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