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勤労感謝の日に、ことしの柿採り終了!

今年の柿採りは、勤労感謝の日に終了した。


今年の柿採りは、実に長かった。

夜温が下がることで、日中の気温との寒暖差が大きくなり、色付きがよくなるのだが、なかなか色がこなかった。

どこの農家も「色がなかなかこない」とぼやいていたようだ。

色がこないせいで、最後の甘柿(富有柿)は、着色の具合をみながら3回まわってやっと採り終えた。


思った以上に豊作だったこともあり、作業はのびのびとなり、昨年より10日くらい遅れて、採り終えた。


だから、最後の畑で、終わった瞬間、ヤッタァ!と叫びたくなるくらいに嬉しくて、その場で座り込んで、アルバイトさんお二人と、しばしのおやつタイムとなった。


お二人は、ウチに来てくれているアルバイトさんの中でもベテランでいらして、私よりお年はうえ。


今回の柿採りもずっと手伝って下さったので、今年の柿採りを無事に終えた喜びを共に分かち合えるのは、この上ない幸せだ。


オッと忘れてはいけない。
今年ずっと一緒に柿採りをしていた息子も、ホットコーヒーを飲みながら、解放感に満ち溢れた表情だった。


「あとは、選果するだけやね。選果するのも、昔とくらべると随分と楽になったよね?!」


そう。柿を採っただけでは、終わらない。
あとは、家へ持ち帰った柿を、選果機にかけ、大きさ別に箱詰めする作業が待っている。

皆が黙ってコーヒーを飲んでいるなか、会話の口火を切ったのは、夫と同い年の女性のアルバイトさん。


「そうやで!昔は、夕方5時に家に帰ってそこから選果したもん。7時か8時ごろに終わって、そこから市場に自分たちで運んだで。」


「私が、子供を産んでからは、皆が柿採りをしている間に、ヒトリで選果して、箱詰めしたでぇ。」


「なぁ?!背中でお母さん見てたから知ってるでなぁ?!」


わざと、息子に話しを振ってみる。


「しらん」


「次の年にはさぁ、ベビーベッドを選果機の傍においてさぁ!乳母車で娘をあやしてさぁ。ベビーベッドのなかで、遊びながら見てたじゃん!」


「しらん」


そりゃ、そうや!

自分にツッコミを入れ、ニンマリ笑いながら、言葉を続けた。


「だけど、そっからちがうかぁ。固定観念をとっぱらって、明るいうちから、選果チームと柿採りチームに分かれて仕事をするようになったのは。随分と楽になったで。」


だなんて、柿採りに関して、一度「note」でも記事にしたことのあるような、エピソードしかでてこないと思っていた。

ちなみに、箱詰め作業も、日曜日に無事に終了した。


「note」の記事のネタがなくて、何かしら「柿採り」のエピソードが書けることが、私の強みじゃんだなんて思っていたけど、若い頃のそのことしか思いつかなかった。


だけど、脳から、ちょいネタ引っ張り出すことに成功!


そういえば、嫁いできた当時は、最後に採り終える富有柿は、秋になると、黒のビニールで数千もの柿の実を覆う作業をした。

底があいた黒のビニールを実に覆い、へた際の紐を引っ張って絞ると袋が固定される。

12月に入って、収穫日の数日前に袋を外しに回って、着色が付き次第、収穫の作業に入った。

お歳暮商戦と称して、着色を遅らせるための作業で、化粧箱に収め、高級感を持たせて売り込みに賭けたが、私が嫁いできて数年目で、柿の価格が暴落。

割に合わなくなったので、取りやめになった。

やっと柿採りが終わったと安心する間もなく、数千もの袋をたたんで、生も根も尽きる思いで片付けたっけ。

たたみ終わった袋を、義母が凝視していたので、ものぐさな私が、ピチーッとすみっこを揃えて、大量の袋をたたむのは神経をつかった。


あ、そうそう。

嫁いできてしばらくは、アルバイトとして働いてくださったのは、義母方の姉妹や親戚の方ばかりで、アウエィ感が半端なかった。

柿採りの時に、今も私の役割として任命されている、畑での選果を、義母と一緒にしていた。

皆が採りビクに貯めた柿を、良いものと悪いものに、別々のコンテナに仕分けて入れる作業。

皆が採る場所が変わるタイミングで、選果の場所も移さなければならない。


最初は、そのタイミングがつかめず、気が付くと、ひとりでポツンと取り残されることが多かった。


「kakiemonさん、つぎはこっちへ来て!」「そのコンテナが終わったら次、移動ね!」などと、優しく誘導してくれるのかと思っていたが、何も言わず、私を残して、ひとり移動していく。


それも、「そのタイミングで?!」と言いたくなるタイミングで。


こちらは、経験もしたことのない作業を、必死に追いつこうとしているものだから、余裕もなくて、当時は意地悪されている感が半端なかった。

夫も夫で、自分のことで精いっぱい。


何も教えてくれなかった。


年月が経ったから言えることだけど、それは、嫁イビリというより、気配り心配りがちょっと不器用なところから、きてた。(私も人のこと言えないけれど)

あとは、私に対するライバル心。

あとは、夫も義母も、人に教えるということに至っては、あまり上手ではないところかな。

だけど、そのお陰かな。

ボーッとしている私が、「自分で察して動かなきゃ」と危機感を覚えたのは。


そんな夫と義母のおかげで、仕事を通して、人間として成長できた部分は、大きかった。


そんな環境で、働くことができることに感謝!

手とり足取り教えてもらっていたら、たぶん、成長はなかっただろうな。


だてに30年ちかく、働いてきたわけではなかったんだな。


なんとか、「柿採り」に関するエピソード、発掘完了!


嫁姑がらみの愚痴になっちゃったけど、過去のことだからなんとも思っていない。
だけど、印象には残ってるってことかな(笑)

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