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義母を助けてあげたいけど、揺れるヨメの心の内

今年88歳を迎える、義母がとうとう正月を皮切りに料理をしなくなった。


もともとは、料理をしない人だった。

私が嫁いで来るまでのあいだも、冷蔵庫の有り合わせのもので、簡単な料理で済ませていたようだが、作ったり作らなかったりで、あてにならずレトルトのもので済ませることも多かったようだ。

スーパーへの買い出しは、専ら義父がしていたよう。


私が嫁いできたとき、遠慮もあって、よそから嫁いできた傍観者として眺めていたが、ご飯が炊けていたり炊けていなかったり。

おかずを作るのも、どこかぎこちなく見えた。

夕ご飯を簡単な料理で、済ませることに関しては、大いに構わないとおもう。私も手抜き料理のオンパレードだ。


だけど、あてに出来ないことは、こちらの立場としては困る。

一応、義理とはいえ家族になったのだから、家族皆で食卓を囲むことは当たり前だと思っていたので、誰かしらがおかずを作らねばならないと思った。


かといって、料理などしたことのない私が夕食作りに手を挙げたところで、大したものは作れない。

だけど、あてに出来るといった点では、私の方が正確だと思い、ご飯を炊くことと、夕食作りに名乗りを上げた。

朝食、昼食は、時間がないため、銘々が有り合わせのものを食べるというのが慣わしだったので、子供の分を用意するだけで良かった。


私が名乗りを上げたことを皮切りに、義母はほとんど料理をすることがなかった。


そんな義母が料理を再開するようになったのは、義母が80歳前後になった頃からだ。


「認知症予防にきっと良いから、畑仕事を引退することだし、料理だけは自分たちの分を用意してね」と、勧めたことがきっかけだった。

それから、相変わらず「必ず」というわけではなかったが、自分たちの分は自分たちでという、使命感が少なからず湧いてきたようで、自分で料理をして、義父母の分を賄っていた。


昨年春に、義父の容態が悪くなってからは、一層使命感に掻き立てられたようで、それまでと比べると信じられないくらい、マメに料理をするようになった。

義父が外出することも少なくなって、かなりの割合で、お昼ご飯まで作るようになった。


そのリズムが崩れたのは、やはり正月だろうか。

私も正月くらいは楽をしようと、惣菜もので間に合わせることにしたが、義父の外出に合わせて買い出しにでかける義母は、なかなか買い物ができることができずにいるので、義父母の分も用意してあげようよと仕向けたのは私。

正月の間は、自分たちの惣菜を買うついでに、義父母のものも用意して「食べてね」と。

あと、カップ麺の補充も最近私たちがしている。(私たちは滅多に食べないけど)


いよいよ正月が過ぎて、仕事も再開。
私たちの食卓も、日常に戻ったいま。


義母は全く料理をしようとしない。

期限切れのものが、義父母専用の冷蔵庫に、ちらほらと。

レトルトのカレーを温めて食べたり、昨年の残り物を食べたり、ついには義母が手を出さなかったカップ麺に手を出し始めたり。


私たちの買い出しの時には、いよいよ夫が義父母用に惣菜なんぞをかごの中に入れ始めた。


私は、自分が作ったおかずを取り分けて、義父母の食卓に並べることも考えたが、それはチガウだろと芽生える思いを抑える。


昔のことを思えば、それなりに料理は出来るようになったし、義父母に食べてもらっても構わない。

昔のように、作った料理を義父が食べてくれないからといって、怒り心頭になるほど若くもない。


私が用意するのは簡単。


ただ、義母は運転ができないでいるのなら、自らこちらの都合を見計らって、「買い出しに連れて行ってほしい」旨を伝えたり、頻繁にタクシーで出歩く義父に乗り合わせて買い出しに行くべきだろうというのが、私の見解だ。

「買い出し」の段階から、少なからず脳を使うから、自分で行くべきだと思う。


昨年末に、仕事日和の天気の良い日に、息子を買い出しの付き添いに連れ出すことが幾度かあったため、夫に窘められて、もう人に頼むのも面倒なのかもしれないけど、そこから脳を使えばよい。

少なくとも、私はタイミングを見計らって、夫に頼んで買い出しに連れ出してもらう。

こちらは、バス一本走っていない交通難民の地にある。


ヨメの私から見て、義母は、計画的に物事をたて、順序だてて物事を進めて行くことが苦手だ。認知症になる前から。


自分が運転できない身となった今、嘆いてばかりいないで、もっと賢く立ち回ってほしい。

つぎの瞬間にはケロッとしているが、自分に都合の悪いことがあれば、今の状態を涙を流して嘆いて、夫に訴える。(時にはわたしにも)

正月には「わしらの分もこうして用意してくれてるんで、そりゃ嬉しいよ」と、感極まるように言っていた義母は、夫が買ってきたおかずを、何も言わずに食べている。


もともと、自分が必要となれば、人のものでも目に見えるところにあると、「人のものもわしのモノ」的なところがあって、「自分のモノ」にしてしまうので、もしかして無意識に食べているのかもしれないが、料理をするのが面倒なところが本音ではなかろうかと、勘ぐるわたし。

ちなみに、朝夕飲まなければならない数種類の薬をお薬カレンダーを使っても、同じくなかなか薬を飲む習慣がつかなかった義父の場合は、曜日に沿って、律儀にちゃんと減っていくのに、義母の場合は、減らない。

ケアマネさんがいろいろ試して下さったが、私たちが一回一回差し出して飲むよう管理することになった。


「これじゃあ、アカンで。」とそれとなしに言うと、「じゃ、お前が買い出しに行く時に一緒に行けば・・・」と言い出した夫にブチキレそうになりながら、「買い出しの時間は、夫婦の会話の時間でしょ💕」と返し、タイミングを同じくして息子に連れ出してもらうことに話しを持って行きつつ、「今日、冷蔵庫の中ちょうど空っぽやし、行ってきてあげてよ」と話しはまとまったのが、一昨日のこと。


「よっしゃ、今日は仕事が休みやし、冷蔵庫見て残ってなかったら、買い出しに連れったろ!」と答えた夫。

しかし、一向に動こうとしない夫。

聞いてみると、何やらゴニョゴニョ煮え切らないかんじ。


夫の様子から、乗り気ではないのは分かる。

「冷蔵庫、だいじょうぶやった。いけるやろ」と言い出す夫には、期待できないと思い、息子に言い寄ると快諾してくれ、義母を連れ出してくれた。


その後、天気が回復してきたので、畑へと出向いた私たちが、夕方帰ってきたころ、時を同じくして、息子たちが帰ってきた。


「このリンゴはサラダに使おうかしら」だなんて、上機嫌の義母。

久しぶりに、仏壇に供えるお花も買えたようだ。

私たちが夕ご飯を食べ終える頃、義母は年末以来、久しぶりに料理をした。

台所に立ったのは、今年はじめてだ。


わぁっ!料理してるやん!


思わず口にしそうになったが、そんなことは言えるはずもない。

だけど、正直驚いた。


私がおかずに使った、義母が野菜畑で作ってくれた大きな大根と白菜を、目につくところに置いたことも功をきたしたようだ。


「買い出し」と「料理すること」は、脳をフルに使うと思う。
私が若い頃、慣れない間は大変で面倒だった。

仕事を引退し、家事といえば、やってもやらなくてもよい草取りと、掃き掃除を、気の向いたときにしかしない義母には、まだまだ出来ることは自分でやってもらわなきゃ。


と、ここまで書き記して思う。

私って、義母の事、よく分かっているのに、ちょっと期待しすぎの根性が悪いヨメなのかもしれない。

せめて、お膳立てしてあげなきゃ、元の木阿弥状態に戻るってことだ。


今度は、お薬の在庫が切れるタイミングの、天気が悪くて仕事がお休みの日に息子に連れ出してもらおうかしら。


ね、義母さん💕


夫は提案すれば考えてくれるが、自ら考えようとはしない。
息子には、それとなしに話しはしておいた。

それに、買い出しといえば、自分の食べたい分だけを考え、まだ買い物が終わらない私を急かし、料理をしない夫には、その重要性や大変さは分からない。

仕方がない。
私が考えていくしかないかな。

うまく、夫と息子をのせなきゃ。

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