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幸せになるための、努力は惜しまない。だけど・・・。

わたしが、周囲の目を気にしなくなった瞬間をおぼえている。

あれは、まだ子供たちが小学生のころ。10年以上まえのことになる。

こちらに嫁いできて同世代のママ友さん達との出会いは、子供たちが保育園に入所してからだった。

お隣りの奥さんとの顔合わせでさえ、結婚して5年以上もたっていた、息子の保育園の入所時だった。

一緒に遊んだり、出かけたりといった付き合いはなかったので、「ママ友」とは言わないかもしれないけど、ここでは、あえて分かりやすく「ママ友」と呼ばせていただく。

田舎の小さな保育園で、園児の数は10人前後。
息子が3歳で入園に決まったとき、園児の数が、廃園になるかならないかの瀬戸際まで少なくなって、人数合わせに当時1歳の下の娘も、急遽入園することになった。

そこから、保護者として、保育園の行事に参加。

メンバーは、数少ない、同じ顔ぶれが毎回揃う。

いつも、ママ友グループに馴染もうと必死だったような気がする。

まだまだ大勢のグループ内で、話すのに慣れていなくて勇気がいったが、自分の言いたいことを思いついたときには、意を決して言葉にするよう努力した。
皆に置いていかれないように。


保護者は少人数だから、基本、皆でヒトツ。みたいなところがあったが、子供たちが小学校にあがると、目に見えて仲の良い人同士がいつも一緒に居て、小さなグループがいくつもできていた。

子供たちの習い事が同じだったり、子供同士が仲がよくて、毎回のように親も一緒に遊ぶ約束を取り付けたり、年が近かったり・・・とさまざまだったが、基本、気の合う人同士がかたまっているようにみえた。

私は決まった人と一緒に居るということはなかったし、時々子供の同級生ママと話すくらいで、深くお付き合いすることはなかったが、時々釈然としない思いが募ることもあった。

どこのグループに属することもできない私が、落ちこぼれのような気がして。


だけども、小人数がゆえに実は皆、乗り遅れないように必死なんじゃない?と、冷静に遠くからその様子を眺める自分も居て。


その様子がおかしく映ることもあって、とうとう腹を括った。


べつに誰に、嫌われてもいいやん。
無理して話しかけるくらいなら、ヒトリでいいじゃん。


「ヒトリ」の自分は他人にはどう映ってるんだろ・・・。


気になったのは一瞬だった。

「心が満たされない」から解放されて、清々しい気分だったのを覚えている。
身が軽くなり、返って周囲の人との会話が増えたのを覚えている。


自分の思い通りに動いていいんだと、背中を押してくれた初めての出来事だった。


それまでの自分は、随分と消極的だったが、自ら動いて、気持ちを満たすことがどんなに大事か分かった気がする。


だから、自分の気持ちを、満たすための努力は惜しまない。

不満を感じたら、まず自分で動こう。そう決めた。


たとえば、夫婦関係。

会話のない「仮面夫婦」だけは嫌だなと、自分から動いた。

当時、会話さえもなくなった夫婦関係を、自分にとっての、よりよい関係に保つにはどうしたらいいだろう。

考えて、「思いやり」をもつようにした。

今でも「思いやり」をもって夫に接することが、できているかどうかは微妙なところだが、そう感じるのは、もしかして、「思いやり」をもつことが、昔に比べると、特別なことではなく、意識しなくても「自然」とできるようになっているのかもしれない。(ということにしておく。)

今でも「会話」だけはある。


たとえば、嫁姑問題。

私がずっとできなかったこと。

義母の目を気にして、義母の動かしたものを何一つ動かすことができなかった。

最後に入浴する義母に、「お風呂の窓は開けておいてね」とお願いしても、開けてくれなくて、いつも朝方にはボトボト。

人が開けたものは閉めるし、閉めたものは開け、「他人の意向とは逆のことをする」とは夫も言っているが、一日の最後には、浴室は締め切るのが正解と思い込んでいる様子の義母。

意を決して、一日の終わりに窓を開けて換気をし続けることにした。


台所は数年前から、義母も使う頻度が多くなり、水回りの調理器具などを動かされたが、「台所の主導権は、20年皆のご飯を作った私」とばかりに、強気に出て、元通りにもどす。


その他にも、動かしてほしくない、調味料のストックが入ったかご。
その当時、幾度となしに、動かされた。


今ではもちろん、何もなんともないけど、義母が動かしたものを、元通りにするというという、ただそれだけのその行動に、小心者だったわたしは、ものすごく気を遣い、勇気がいった。


動かされるたびに、ヒトリ不満を抱え、ストレスはたまる一方。
たったそれだけのことを、夫に愚痴としてこぼしたこともあった。


なーんだ、動かされるたびに、元通りに戻せばいいんだ。
結果、私の粘り勝ち。


たとえば、仕事。

私にとって仕事は人生そのもの。

一生涯、この仕事を離れることはないと、気付いたその時から、仕事を好きになる努力をした。

どうすれば、仕事を好きになることができるだろうか。

仕事を「運動」と思えばいいんだ。
仕事に「興味」をもつのもいいかも!


ひとつひとつ、不満が不満でなくなるための努力をしていくうちに、心が満たされていくのを感じた。


そして、余裕ができた。


70を過ぎる歌手の小柳ルミ子さんは、毎日ストレッチをすることが、自分を大事にすることにつながると仰っていた。


自分を大事にすることにつながる「何か」を、持っている人は、多少満たされないことがあっても、「ま、いいか」と、良い意味での諦めだったり、妥協できたりするのではないかと、最近思うようになった。


もっと言えば、それが、「大人」の生き方なのかな。と。


若い頃は、必要以上に粘着質で、思い通りにいかないことや、気に入らないことがあると、異様にそのことばかりにこだわったり、夫にも幾度となしに同じことを責め立て、喧嘩の原因にもなったことが多かった。


女性って、思っている以上に、しつこいのかもしれない。


自分が悪いのに、「女性特有」のせいにして、意識して夫に同じことを繰り返して言わないよう気をつけた。


だけども、最近の私は、そんなに粘着質ではない。しつこくない。
意識しなくても、どうでもよくなっている。


もちろん、腹が立つこともあるし、落ち込むこともあるし、夫や義母のすることなすことが目に余ることもある。


夫とのことだって、ホントいえば、物足りないところもある。


だけど、ま、いいか。
お互いさまだしね。

細木数子さんによると、夫とは、仕事のパートナーとしては相性がよくて、結婚相手としては、相性が悪いらしいし。

その通りかもしれないとは、夫もいう。
それに、「会話」だけはあるしね。


「一生涯、コイツとは喋らない!」と思わせることがあっても、どこ吹く風でいつの間にか喋って笑ったりもするのが、不思議。
それだけは、出会ったときから変わらない。
夫とは会話が弾む。そこに惹かれて結婚したから、それで十分かな。


義母のことも、目に余ることはある。

だけど、もう、どうでもいいかな。

一瞬、火山が噴火するくらいに、腹ただしいことがあっても、いつの間にか、忘れている。


他にも、自分の思い通りにいかないことや、気に入らないことがあっても、良い意味での諦めや、妥協ができるようになってきている気がする。

それは、老化で面倒なことを考えるのが嫌になった可能性もあるけど、「自分を大事にすることにつながること」が、若い頃に比べれば多くなったからかな


「腸活」もそうだし、「筋トレ」もそうだし、「note」を書くこともそうだし、「仕事」をするのもそう。

夢中になれる「何か」を持っていると、気持ちの切り替えも上手になって、良い意味での諦めがついたり、妥協できたりして、結果それが幸せにつながるのかもしれない。


「note」でも、「ヨガ」に邁進されている方や、素敵な「絵や詩」を書いていらっしゃる方もいるし、楽しそうに「推し活」をしていらっしゃる方も、「華道」に心を捧げていらっしゃる方もいる。

その方たちも、きっと・・・!


今の生活に何かしら不満があったら、幸せを掴むための努力は惜しまない。自ら動くことがだいじ。

だけど、昔のように、コテンパに自分を痛めつけてまで努力はしない。
努力してどうにもならなかったら、気持ちを切り替える努力をする。
それ以上は、追及しないし、執着しない。


ま、いいか・・・と。


だからかな。
たいていのことは、「ま、いいか」と思えるようになってきた。

気持を切り替えるのが上手になったのは、そういったところからくる気がする。



唯一、娘との程よい距離感がまだ掴めてないので、私なりに出来ることを精いっぱいしている。

少なくとも、相手が動いてくれるのを待つのではなく、自ら先に動けることを見つけて。

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