届け!15歳のわたしへ!今の孤独な中学生へ!
中学生の頃の私は、とても孤独だった。
いま思えば、どうしてあんなに孤独だったんだろうってな位に孤独だった。
自信のなさから友達ひとり作れず、自分がこの世の中でいちばん劣っているとばかりに思い込んで、殻に閉じこもっていた。
家では、常に私に当たり散らす母と、働くことで精いっぱいの家のことを顧みない父。
父が家庭のことに協力的でないことと、弟の派手な反抗期を介して常に機嫌を取り、顔色をうかがう母。
そのうえ、体調が常によくない状態で、うっぷんがたまっていたのだろう。
大して悪いことはしていないのに、常に私にあたっていた母。
日常を考えても、将来を考えても、明るい気がせず、閉塞感でいっぱいだった。
その時見ている世界観がずっと続くと思っていたし、それが世の中の全部だと思っていたし、それが変わるとも思わなかった。
また、自分自身もずっとそのままだと思っていた。
どこにも居場所はなかったが、与えられた四畳半の一間だけが自分の拠り所。
心が唯一落ち着く場所だったが、楽しいことを思い浮かべ笑った記憶はない。
どちらかというと、心置きなく泣ける場所。
テレビも何もない環境が、より一層寂しさを増幅させたのかもしれない。
学校へ行っても教室で、自分の殻に頑なに閉じこもり、誰とも喋らなかった。
その時の心境を、そのまま歌詞にのせて流れてきた歌が、たまたまNHKから流れてきたとき、涙があふれた。
続けて、ヒトリ悩んでいた私へ、大人の私から、呼びかける歌詞が続く。
ヒトリ思いつめながらも、その時の自分に出来る精いっぱいのこと。
少し勉強をがんばり、学校へ行き、部活を続け、煮え切れない気持ちを抱えながら部屋へ閉じこもり。
なにより、生き続けた。
死ぬ勇気がなかったといえば、それまでかもしれないけど、歯を食いしばりながら生き続けた。
そのときの私へ、このメッセージが届いていたならば、どれだけ心強かっただろう。
ひとり路頭に迷いながら、誰にも相談することもできずに、それでも、生き続けることしかできなくて・・・。
私が先日、「どれヒトツとっても、試練に無駄なものはない。」と、記事にしたように、「人生の全てに意味がある」とあるが、「大人の自分」から「十五の自分」へ送る手紙だからこそ言えることなのだ。
「十五の自分」には、まだ分からないことがいっぱいだった。
小さな胸で思い悩むのが精一杯のその時分に、そう力強く言ってくれる人が傍にいたら、心強かったのかもしれない。
歌を聴きながら、部屋の片隅で泣いてたあの頃の自分がみえた気がして、「よく頑張ったね」と語りかけたい衝動にかられた。
最後は、今現在のじぶんへも語り掛けているような歌詞で締めくくられている。
この歌が、「中学生の合唱コンクールの課題曲」と聞いて拍子抜けした。
まさか、自分が「中学生」の課題曲で泣くとは思わなかった。
いつの年代も、「自分の声を信じ歩けばいいの」に尽きるのかもしれない。
あの小さなちいさな空間で生きているあいだは、そのあと、少しずつ世界が広がっていくことを想像できなかった。
高校になれば、他校の中学生との出会いもあるし、大学ともなればさらに生徒数は多いし、サークルだってたくさんある。
就職は、家を出るきっかけになったし、まさか自分が結婚するとは思わなかし、子供を授かることも想像できなかった。
決して今のまま、人生終わることなんてない。
今のままの自分で、終わることもない。
いま見ている世界が、全てではない。
何もできずに、ただただ歩き続けることしかできなかったら、それでもいい。
ただただ生き続けるのも、「自分の声」。
きっとそこまでの「孤独」に耐えることにも、意味があるということ、その先の人生で分かる。
それが分からないまま、命を落とすのはもったいない。
悩んだら悩んだ分、苦しかったら苦しい分、楽しいことが返ってくるってのは、定番の言葉かもしれないけど、どん底が深ければ深いほど、そのあと、分かることはたくさんある。
人生は、まだまだ長い。
「自分の声を信じ歩き続ける」ことの連続が、人生。
その過程で、分かることがたくさんある。
それを分からずして、人生おしまいにするのは、もったいない。
置かれた環境も、性格も感性も人それぞれだから、軽々しくは言えないけど、先日も、中学生が自ら命を落としたニュースを聞いて、心が痛んだ。
ただ、私がひとりで、時間を過ごすのがそんなに憂鬱でなかったり、ひとりで、なんでもやろうとして疲労困憊していまうのは、あの頃からかもしれない。
年をとって、人を頼ることを覚えて、無理をすることもなくなったけど、それでも、頑張り屋の自分ものこる。(自分で言うのもなんだけど)
それでも、そんな自分が好きよ。
あのとき、想像もできなかったこと言える日が、来るだなんて思いもしなかった。
届け!あの日の自分へ!十五の孤独な中学生へ!
アンジェラ・アキさんも、同じような思春期を過ごされたのかと、ふと思う。
「ひとつしかないこの胸が何度もばらばらに割れて」の、悩んでいる15歳の心のうちの描写が、そのままだと思ったから。
そして、同じように、そのことさえも意味があったんだと、大人になって感じられたのだろうか。
少し、ほっとする。
私だけではなく、多くの方に共感されているというから、この歌詞に間違いはない。
自分の声を信じ歩けばいいの
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