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GWスペシャル『ゴスペル』前編

(★トラブルが発生して記事が閲覧できないというお声を多数頂きましたので、記事が長すぎたせいかと考え、前後編に分けてみました。)

次はウィリアム・トンプキンスの著書の第3巻を元にした記事を作成中しようとしていたのですが、今のところ期待していたような新しい情報が見つかっておらず、どうにもはかどりません。そこで箸休め的に、いつもとは違う趣向の記事をまとめておきたいと思います。(★特に後編では音を聞きながら読んで頂く記事になります。ヘッドフォン推奨です。)

0.「スピリチュアルな音楽=ニューエイジ・ミュージック」のステレオタイプ

前回のイーロン・マスクについての調査で出会ったローズマリーの証言には個人的に深く感動しました。生まれる前からイルミナティのコントロール下にあったローズマリーが、どうやって自由を手にしたのか、何が彼女を救ったのか、その謎が解けた時、そこに音楽の側面が関係していたことにも感動しました。

彼女が世界に警告を与える日が来ると預言したジョン・ウィンバー、おそらく彼女の救出に関与していたのではないかと思われるキース・グリーンは、どちらもクリスチャン・シンガーでした。その一方で、CIAのミッドナイト・クライマックス作戦やLSDによる集団マインド・コントロール実験(アシッド・テスト)は、ヒッピー・ムーブメントやサイケデリック・ロックと密接に結びついていました。

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私は昔から「好きな音楽」でその人の波動・波長がわかるという持論がありました。共鳴するヴァイブレーション、フリークエンシーがその人が気持ちよく感じる音、心を揺さぶられる音楽であるはずなので、これは科学的に根拠のある話だと思います。

最近の神人氏の指導霊のメッセージでも音楽に言及されていたのが印象に残っています:

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スピリチュアルな音楽というと、スピ系のコミュニティでは、瞑想用の音楽などにステレオタイプで使われるニューエイジ・ミュージックのことだと思われているふしがあります。別にそういった音楽が全て悪いとは思いませんが、ほとんどが退屈で無個性で面白みのない音楽だと思います。上っ面だけの美辞麗句を並べたチャネリング・メッセージと同じで、ある種の心地よさはあるのかもしれませんが、魂を揺さぶるような感動がありません。

ここで過去の記事から「ニューエイジ」「CIA」「ヒッピー文化」に関して言及があった部分を抜き出してみます:

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これは螺旋状の時間の中で周期的に繰り返されてきたことなのだと思います。スワルーとコーリーは、ニューエイジとヒッピー・ムーブメントがCIAにコントロールされており、それがイルミナティや「光の」銀河連邦、今ではトランスヒューマニズムにまで直接つながっていることを警告していました。ローズマリーの証言は、それら全てに内通者の立場から裏付けを与えた上で、イーロン・マスクの役割を明確にしてくれました。また、元KGBのユーリ・ベズメノフは、実際にヒッピー・ムーブメントの内部に潜入した経験から、これらが大衆文化を通じて大衆のスピリチュアリティ(霊性/精神性)にどのような影響を与えていたのかを教えてくれていました。

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ハリウッドや主流メデイアだけでなく、「アセンション」「スピリチュアル」「チャネリング」「愛国者」ブームも90%以上はCIAのマインドコントロールに汚染されていることが明らかとなった今、その源流であるニューエイジも、ヒッピー文化も、LSDによるサイケデリック・ロックも、ビートルズも、評価を更新するべき時が来ていると思います。

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NME:ポール・マッカートニーはイルミナティに所属しているのか?美術評論家に聞いてみた...
2018年6月14日
今週初め、ビートルズのアイコンであるポール・マッカートニーが自身のTwitterアカウントに神秘的な絵を投稿し、多くのファンを混乱させた。

球状に発光するオーブに囲まれた三角形のようなものが描かれており、謎に包まれた秘密組織「イルミナティ」がよく使うシンボル「プロビデンスの目」に酷似していると指摘するファンが何人もいた。

イルミナティという名称は、歴史上重要な政治的影響力を持ちながら存在した多くの秘密結社(架空と実在の両方)を指している。現在のいくつかの組織は、オリジナルのイルミナティと関係があると主張しており、多くの陰謀論者は、世界の出来事が秘密結社によってコントロールされていると主張している。ビヨンセ、ケイティ・ペリー、マドンナ、キム・カーダシアン、ジャスティン・ビーバーなどは、過去にイルミナティに属していると思われるとして非難されたセレブリティたちである。

ポール・マッカートニーが描いた絵が、近日発売のアルバムの予告編なのか、それとももっと複雑な何かで、彼が実は前例のない世界的影響力を持つ秘密結社に属していることを知らせる隠れたメッセージなのかは、まだ分からない。秘められた宗教的権力を持つ秘密結社に所属していれば、英国で開催されるあらゆる国家的イベントで必ずステージに招かれ、「Hey Jude」を演奏する理由も納得できるだろう。

そこで、現代美術評論家デュオ「The White Pube」の片割れである美術評論家ガブリエル・デ・ラ・プエンテに、彼の最新のアートワークが意味するものを教えてもらった。

ーどうも、ガブリエルさん。ポール・マッカートニーのアートワークには、創造性がいくらかでもあると思いますか?
私はとても楽観的で、その理由は神のみぞ知る、です。ミュージシャンは視覚的な芸術的アイデンティティを持つべきで、それが彼らの美的パッケージとしての意味を持たせてくれます。例えば、Lordeが短編小説を書いたり、Britneyが自宅のバルコニーに花を描いたりするようにね。私はそれが好きなんです。私はそれを奨励します。

ー象徴的な意味ではどうでしょうか?
アートは意味を持つ必要はありませんし、もし象徴的な内容があるのなら、それを理解したり推測したりすることに夢中になるのは、見る人の勝手です。アーティストが鑑賞者に意味を負わせることはなく、鑑賞者としてどう解釈するかだけなのです。私にとっては、ポール・マッカートニーはイルミナティに加入している、以上、です。

ーなるほど!では、この作品は芸術規範全体の中でどのような位置づけにあると思いますか?
彼の作品は、「iPadの上できれいな指で何かを描いている有名でクリエイティブな白人男性」に非常にぴったりと当てはまります。デイヴィッド・ホックニーのような。

ーポール・マッカートニー氏が今後、自身の芸術活動を向上させるためにできることは何でしょうか?
もしポール・マッカートニーが私にスタジオ訪問と批評を望むなら、喜んで引き受けます。でも、タダでアドバイスするつもりはありません。同じリバプール人として、彼はペイ・フォワードするべきです。私の受信箱は開いています。

ーわかりました。では、この作品を展覧会で見ることを想像してみてください。あなたの批評は何と言うでしょう?
イルミナティ

ポール・マッカトニーがイルミナティだというのも今更な話ですが、NMEがそれを言うのは面白いと思いました。

1.音楽の調律と440ヘルツの標準化

個人的にはジョン・レノンのソロには良いと思える曲があっても、昔からビートルズは好きになれませんでした。胸のあたりに微妙な不快感が残る「ささくれ立った」音楽という印象です。ビーチ・ボーイズの方がハーモニーが美しくて好きでした(ペット・サウンズまで)。だからもちろん山下達郎ファンです。しかし、そもそも現代の音楽は調律が狂っているという有名な話があります:

音楽の調律は、なぜ世界が混乱しているのかを説明するものなのか?
ようこそ、親愛なる読者の皆様。いかがお過ごしでしょうか。良い一日をお過ごしですか?連休は楽しく過ごされましたか?おや、それは素晴らしい。あなたは明らかに、音楽理論の物理学と心理学を解読しようとしたり、なぜ調子外れの音楽が全世界を混乱に陥れたのかを説明しようとする陰謀論ブログのくだらないおしゃべりに付き合うために、あなたの時間を費やしていませんでした。

幸いなことに、Commonplace Fun Factsのリサーチスタッフは、友人や趣味、あるいは有意義な文化的探求といったものに邪魔されることはありません。あなたが思い出を作っている間、私たちはあなたの教養と人類の向上のために、この記事を提供しようと懸命に働いていたのです。

私たちの犠牲を評価していただければ幸いです。

さて、愚痴はここまで。ミドルA(イ)は440Hzと432Hzのどちらでチューニングすべきか?なんだそりゃ?そんなこと知らない?ちょっと待って。というのも、この問題は音楽的な好みだけでなく、人類の未来と自由がかかっていると考える人たちがたくさんいるからです。

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確かに、世の中には悪い音楽がたくさんあります。偶然にも、夜中に我が家の前を通る車から流れているようなものばかりです。ある人たちに言わせると、最近の音楽はほとんど全部ダメなんだそうです。ジャンルは関係なく、音楽のチューニングの仕方に問題があるのだそう。

まず、少しの説明と歴史からはじめましょう。

音符にはA~Gの文字が割り当てられています。楽器の調律は、A4という音に着目して行われるのが一般的です。現代の標準はA=440ヘルツ(Hz)、つまり1秒間に440回振動してその音が出るという意味です。

A=440Hzというのは、決まっているわけではありません。音楽の調律が標準化されたのは比較的最近のことです。1939年に英国規格協会が国際会議を開催し、コンサートピッチの基準をA=440Hzとする共同勧告を発表しました。

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このような勧告がなされたのは、これが初めてではありません。1834年のシュトゥットガルト物理学者会議でJohann Heinrich Scheiblerが同じ提案をしており、1917年にはアメリカ音楽家連盟がA=440Hzを「標準ピッチ」とすることに合意しています。そして国際標準化機構は、1955年にA=440Hzを勧告し、1975年に標準規格としました。

1939年以前は、規格などというものに目を向ける人はほとんどいませんでした。作曲家は、自分にとって一番良い音で作曲していました。音楽家は自分の好きなように演奏していました。イギリスの数学者アレクサンダー・エリスの研究によると、1880年当時の標準ピッチは374Hzから567Hzの範囲でした。

A=440Hzの標準化についてのより詳しい歴史的な説明は、こちらのリン・キャバナー氏による「国際標準ピッチA=440ヘルツの確立の歴史」をお読みください。

さて、ここまで来ると、「ずいぶん面白い話だけど、音楽が世界を悪くすることと、いったいどんな関係があるんだろう」と思われるかもしれません。その答えとして、レナード・ホロヴィッツを紹介しましょう。

レナード・ホロヴィッツは優秀な人物です。彼に聞いてみてください。彼のホームページには、彼が「世界で最も信頼され、最も多作で、最も明晰で、最も先駆的な自然医療の権威」であり、「今日の世界で最も刺激的で重要な情報を伝えるノーベル賞に値する人物」であることが、誰にでもわかるようになっています。

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彼は、「初めに神と『言葉』だけがあった」と宣言し、音響に関する卓越した知識を示しています。いわく、「言葉とは音であり、音とは電磁波の周波数である。創造主の言葉が水に作用したとき、つまり物理学と数学に基づいた音の周波数が水に適用されたとき、世界は始まったのだ。」

これは、はっきり言って画期的な思想です。もっとも、最初から最後まで、まったくのでたらめです。しかし、ホロヴィッツは、「『愛の528』と神聖なデザインの周波数で水を振動させる」装置であるウォーター・レゾネーター(共振器)を売り込む機会を得たのです。29.95ドルで購入可能

また、自称医療専門家の彼は、歯医者に行かなくても虫歯を治すことができる「リキッド・デンティスト」を提供しています。「歯は穴を開けずに自然に治ります。特に、砂糖の摂取を控えて、虫歯の原因となっている菌を飢えさせると、治ります。歯を保存するだけでなく、歯医者に行く費用も節約し、歯の病気や歯医者に引き起こされるすべての痛みとおさらばできます。」と、このサイトでは、すべてを大文字で書くことで、私たちに治療効果を推測させています。

音楽の話に戻りましょう。ホロヴィッツは、自分がいかに恵まれた環境にいるかを話したり、最先端の薬学的発見を売り込んだりすることに忙しくない時は、440Hzの音楽の危険性について警告しています。彼は、世界の自然周波数は444Hzであり、それに対して440Hzは、ほんの少しずれているのだと言います。私たちは、ホロヴィッツの「少しずれている」という分野での専門性を認めたいと思います。音楽のチューニングは自然の摂理から少しずれているので、不安感、攻撃性、不可解な怒りの発作、そして薬のコマーシャルが警告しているような副作用の数々を引き起こすのです。

ホロヴィッツによれば、音楽をA=440Hzに標準化することは、単なる悪い思いつきではなかったのだそうです。それはイルミナティ、ロックフェラー財団、ナチスが音楽を兵器化し、大衆を支配するために意図的に行ったことなのです。

彼はその研究成果を「音楽カルトコントロール:ロックフェラー財団によるA=440hz標準チューニングの押し付けによる意識への戦争」で説明しています。基本的に典型的なソブリン市民のマニフェストと同等の説明で、ホロヴィッツは語っています:

「音楽産業の独占は、この押し付けられた周波数が、人々をより攻撃的に、心理社会的な扇動や感情的な苦痛へと「群れ」させ、独占に携わる代理店・機関・企業が利益を得るための身体的疾患や金銭的負担の素因になっていることを特徴としている。」

ホロヴィッツはかなりの支持を得ています。彼の擁護者の一人であるL.C.ヴィンセントは、440Hzの問題点を、440は2で割り切れるという驚くべき結論に達することによって説明しています。この不吉な事実を最初に発見したのは自分ではないかもしれないと考えた彼は、ある極悪な影響力を持つ人物の立場になってこう考察します:

「あなたは、信じられないほど強力で、裕福で、影響力のある人物で、紛争、破壊、病気、死、戦争によって密かに裕福になっているのです。あなたは、ある種の音の周波数(2で割り切れるもの、対立を意味する)は、それを聞く人の心の中に対立、不和、不調和を生み出し、一方で3で割り切れるもの(バランス、三権分立、和解、調和を意味する)は、対称性と視覚的に調和した心地よい構造を生み出すことを発見しました。」

A=440Hzの陰謀論者は、音楽の標準化が決定され、その後世界が巻き込まれたあの騒動を説明するのに、これが最適だと考えています。

ホロヴィッツにとって、1939年以前の平和でストレスのない世界を取り戻すための最善の答えは、(彼の本や健康食品を買うことは別として)A=444Hzで音楽を調律することなのだそうです:

A=444Hz(C5=528Hz)の周波数は、植物学的に最も鮮やかに発揮されるのだが、抑制されてきた。つまり、植物界がその緑黄色表示で明らかに放っている「良い波動」は、感情的苦痛や社会的攻撃性などを改善するものだが、音楽的には検閲されてきたのである。それゆえに、世界の健康と平和を促進するためには音楽革命が必要であり、それはすでに音楽家が楽器を再調律して最適な演奏をし、聴衆に有益な影響を与え、舞台芸術と科学に誠実さを取り戻すことから始まっている。音楽家はこれらの事実を伝え、議論し、密かに行われてきた音楽の軍事化を非難し、楽器と声を最も持続的で癒し効果のある周波数に再調律することが求められている。」

悲しいかな、444が2で割り切れることも誰も指摘しなかったようです。もちろん、これはかなり高度な数学なので、テロリストがこれを発見しないことを祈るばかり。もう一つの方法は、古代エジプト人の時代以前から音楽が演奏されてきたA=432Hzに戻ることです。この周波数は、A=440Hzとは十分に異なるため、前述のような悪影響のほとんどを回避することができます。

A=432Hzにメリットがある理由は他にもあります。432という数字の特別な性質です。例えば、4つの連続した素数、103・107・109・113の和だということ。ちょうど3グロスであるということ。ちなみに1グロス=144というのは伝統的な単位です。

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面積と周囲の長さが等しい正三角形は、ちょうど432の平方根(12ルート3)の面積を持ちます。

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さらに、メルー山には432体の仏像があると言われています(※スメル山ボロブドゥール遺跡のことを言っている?)。

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そして、チャクラの座標とも何らかの関係があります。ゴルフボールには432個のくぼみ(ディンプル)がある、というナイキの科学者による驚くべき発見を指摘する人もいるでしょう。

これらはすべて、音楽、マインドコントロール、世界征服に関するこの議論にとって非常に重要なものです。

しかし、昔の調律方法に戻るだけでは十分ではありません。まず、A=440Hzの音楽が蔓延しているという大問題に取り組まなければなりません。すでにアメリカ海軍や大手メディア企業が、大衆をコントロールするために使っているのです。その証拠が欲しいなら、ロックコンサートを見ることだとホロヴィッツは言います。多くの女性が自制心を失い、叫び、ビートルズに身を投げたのは、強い感情を呼び起こすA=440Hzの音楽が原因です。

しかし、A=440Hzの陰謀の背後にいる人々は、悲鳴を上げ、制御不能になった10代の少女の世代を作り出すことだけに満足しているわけではありません。ホロヴィッツは、この陰謀は、イルミナティの創始者であるマイヤー・アムシェル・バウアー(ロスチャイルド)と手を結んだロックフェラー財団と、優生学と人口抑制のアジェンダを追求するナチスとの共同作業の一部として始まったと警告しています。この主張の証拠に、ヒトラーの宣伝大臣であったヨーゼフ・ゲッベルスは、1939年の英国規格協会の会合に参加していたことが明らかになっています。

皆さんも、1939年、第二次世界大戦に突入する数週間前に、イギリスとナチスの指導者がいかに親密で仲が良かったかは、もちろん覚えていることでしょう。

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当然、世界をいかにコントロールするかということを共謀するために、ナチスの最高指導者がロンドンに歓迎されたことでしょう。「それは何だ?そんな話、読んだ覚えはない?」それはおそらく、そんなことは起こらなかったからかもしれません。そのようなことが初めて公表されたのは、1988年のリンドン・ラルーシュの雑誌の記事です。

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ラルーシュはレフ・トロツキーの信奉者として出発しましたが、マルクス主義は彼の好みには少しぬるくファジーすぎることに気付きました。彼は、英国王室が麻薬密売に手を染めていること、H・G・ウェルズが論理の再定義によって世界を支配しようとしたこと、エイズの真の感染経路は虫刺されであることなどを世界に警告している人です。皮肉屋と呼んで頂いて構いませんが、私たちはもう少し信憑性のある情報源の方がいいです。

しかし、良い陰謀論の前では事実は邪魔にならないようです。検索エンジンでA=440Hzと入力すると、ジョン・レノン、プリンス、ジミ・ヘンドリックスがA=432Hzで音楽を演奏したとする記事やミームが大量にヒットします。また、メロディーの自然な調律を妨げるべきではないというプラトンの言葉も目にすることでしょう。古代エジプトやギリシャの楽器はすべてA=432Hzにチューニングされていたとする記事もたくさん目にすることでしょう。

その全てを信じ込む前に、心に留めておいてほしいことがあります。地球は平らで、レプティリアンが世界政府を支配しており、パイナップルはピザに乗せるとおいしいと言うようなことは、インターネット上でいくらでも見つけることができるのです。

クールエイドを飲む前に(あるいはパイナップルピザを食べる前に)、いくつかの事実を見てみましょう。

まず、地球の「自然周波数(固有周波数)」についてですが、地球の自転が一定でないことは1940年代からわかっています。例えば、中国のダムが1日を0.06マイクロ秒長くしたように、様々なものがその動きに影響を与えます。そのような中で、不変の「固有振動数」を導き出すのは至難の業です。

さらに、古代エジプトでも1939年以前でも、音楽の調律にA=432Hzが良いとされていたことを示す証拠はありません。また、1秒の計測方法は、20世紀まで普遍的とは言い難いものでした。1分を60に分割する習慣は、16世紀まで現れませんでした。しかもその当時は時計の進み具合がまちまちで、近距離ですら時計を同期させることが不可能でした。秒を正確に計測できる時計が初めて登場したのは、18世紀になってからです。秒を正確に計測する以前の時代に、秒速432振動と秒速440振動の違いについて語ることは、誰にとっても優先順位の高いことではありませんでした。

しかし、もしあなたがこの問題を推し進めたいのであれば、数字について考えてみてください。私たちは、数字がすべてを意味すると言われています。1秒の定義は、セシウム133の原子の基底状態の二つの超微細準位の間の遷移に対応する放射の周期の9,192,631,770倍に等しい時間です。つまりA=432Hzは、希少化学元素の放射線の21,279,240.2083周期に1回の振動という、大きな意味を持つ特別な治療的数字なのです。数秘術の研究者たちよ、思う存分どうぞ。

それからこんな事実も......。ああ、もうたくさんです!何の意味があるでしょう?ソヴリン市民を相手に学んだことがあるとすれば、いくら事実を並べ立てたところで違いはないということです。あなたがこの音楽的陰謀を信じたいのなら、インターネットをやめて、実際の音楽を聴いたほうがいいかもしれませんね。そうすれば、あなたのか弱い神経も落ち着くかもしれません。

皮肉っぽい口調が少し鼻につく記事だったかもしれません。しかし、一理ある言い分だとも思いました。私自身、C5=528Hz(A=444Hz)に凝っていた時期(8年くらい前)があり、わざわざお気に入りの音楽の周波数を変換して聞いたり、水に528Hzの音を共振させて飲んだりしていたこともあるのですが、面倒くさくなって全てやめてしまいました。今では良い音楽は周波数を気にせず楽しんでいますし、水も水道水をBerkeyに通しただけのものをおいしく飲んでいます。

だからといって決して528Hzの良さを否定する立場になったわけではなく、記事中で太字にして強調した部分には基本的に納得しています。ただ、少々「悪い」周波数でも良い音楽であれば克服できると感じていて、あまり神経質になっても仕方がないと思うようになっただけです。

Amazonのホロヴィッツ博士の本のレビューに寄せられた音楽家の方の意見は参考になります:

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※純正律と平均律についての参考動画

また別の音楽家の方も同様の見解を示した上で、さらに興味深い話をされています:

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アドルノについてはこちらの記事で取り上げたことがあります:

簡単に言えば、アメリカにコロンビア大学を通じてマルクス主義を持ち込んだフランクフルト学派の中心人物の一人であり、音楽評論家・作曲家でもあり、ナチスの機関誌で音楽評を書いていた人であり、黒人のジャズを「ひとかけらの悪しき芸術品」と言い放った人です。(参照※立命館大学 井上純一『拒否されたアイデンティティ─ 「ハルプユーデ」としてのアドルノ ─』)

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2.ビートルズとマンソンとビーチボーイズ

このアドルノがビートルズの曲を書いていたと主張しているのは、『300人委員会』の著作で有名なジョン・コールマン博士です。博士の著書を引用しているブログがあったので、一部抜粋させてもらいます:

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●入念に仕組まれた陰謀「ビートルズ現象」の汚い共犯者エド・サリバン
タヴィストック研究所がビートルズを合衆国に連れてきたとき、ビートルズのあとに続くことになる文化災害を誰も想像できなかった。ビートルズは『水瓶座の陰謀』の絶対不可欠の一部分であった。この陰謀は生命をもった 有機体で『人間イメージの変革』から発生したものである。

ビートルズ現象は若者の旧社会制度に対する自発的な反抗ではない。そうではなくて、それは高度に破壊的で巧妙な要素を、むりやり変化させる目標とされた大きな個体群のなかに、正体不明の陰謀団によってもちこむという、入念に仕組まれた陰謀だったのである。

新しい単語や言いまわし----タヴィストック研究所によってつくられた----が、ビートルズと一緒にアメリカに紹介された。音楽用語としての「ロック」や「ティーンエージャー」「クール」「ディスカバード(発見された)」それに「ポップミュージック」といった単語は麻薬の仲間入りを意味して、ビートルズのおもむくところどこでも付いてまわり、「ティーンエージャー」によって「発見される」ことになる偽装された暗号用語だった。

ちなみに「ティーンエージャー」という言葉は、ビートルズがタヴィストック研究所のおかげで登場する直前まで使われたことはない。つまりこの現象も、ストリート・ギャング抗争の場合と同じく、マスコミ、とりわけテレビ・ラジオの協力なしでは何もなしとげられなかっただろう。とくに、口汚いエド・サリバンの協力は不可欠だった。彼は自分の果たすべき役割について謀略家どもにまえもってコーチを受けていた。あふれかえるほど報道に登場することがなければ、リバプール出身のガラクタ連中と、そのあとに続く12音無調様式シェーンベルクが調的拘束性をたち切るために創案した無調音楽の一種]の”音楽”に大して注意を払う者はなかっただろう。12音無調様式は強勢の反復音からなり、テオドール・アドルノ[1903~1969、フランクフルト学派の泰斗で、「否定弁証法」の思想家。ユダヤ系]によってディオニソス密儀およびバール神官の音楽から借用され、英国女王ということはつまり三百人委員会のこの特別の友人アドルノによって「現代的」風味を添えられたものであった。

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タヴィストック研究所とスタンフォード研究所は、「ロック音楽」とそのファンの周辺でその後広く使われるようになる誘発語をつくった。誘発語が主として若い個体群にまぎれもない新たな離脱をひき起こした。彼らは、社会工学と社会的調節剤によって、ビートルズこそほんとうに自分たちの大好きなグループなのだと言いくるめられたのである。

「ロック音楽」との関連で考案された誘発語はすべて、新たに目標にされた群、アメリカの若者たちを集団支配するために構想されたものなのである。

ビートルズは完璧な仕事をした。というよりおそらく、タヴィストック研究所とスタンフォード研究所は完璧な仕事をしたと言うほうが、もっと正確だろう。ビートルズはただ「友人たちからちょっとした手助けを借りて」----麻薬を使用し「クール」にやるための暗号用語----訓練されたロボットのように反応しただけである。ビートルズは大いに目立つ「ニュータイプ」----別のタヴィストック用語----となり、かくしてほどなくこのグループは新しいスタイル(衣服や髪型や言葉づかいの流行)をつくった。これには年上の世代が狼狽した。まさしくもくろみどおりであった。これはウィリス・ハーマンとその社会科学者および遺伝子工学の鋳掛け屋どものチームによって練り上げられ実行に移された「乖離-不適応」過程の一部だったのである。

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われわれの社会でマスコミが果たした役割は、大きな個体群の洗脳を成功させるために決定的であった。1966年にロサンゼルスでストリート・ギャング抗争が終息したのは、マスコミが取り上げなくなったからである。ロサンゼルスでいま進行中のストリート・ギャング抗争の波にも同じことが起こるはずだ。マスコミの集中報道がトーンダウンし、それから完全に取り上げなくなると、ストリートー・ギャングどもは実を結ばずにしぼむだろう。1966年のときのように、事件は「燃えつきて」しまうことになっている。ストリート・ギャング予備群は騒動を起こし、不安を醸成する目的に役立ったことになるだろう。厳密に同じパターンが「ロック音楽」の場合にも起こるだろう。マスコミの関心を失って、結局は歴史に記載されるだけになるであろう。

「音楽界のマルクス」アドルノの「無調12音技法ビートルズ音楽」
音楽がヨーロッパの衰退に果たした役割も大きい。アリストテレスは、音楽が政治に与える影響を次のように説いている。

旋律と律動によってあらゆる感情が生み出される。したがって人間は、音楽によってその場にふさわしい感情が生まれることに慣らされる。また、音楽には性格を形づくる力がある。そこで、さまざまな様式にもとづく色々な種類の音楽を、性格に与える影響別に分類することができる。たとえば憂鬱にさせるもの、優柔不断にするもの、あきらめやすくするもの、自制心を高めるもの、陽気にするものなどだ。

私は研究を進めるうちに、あることに気づいた。タヴィストック人間関係研究所は、社会科学者にプラトンの理論とディオニュソス・カルトの音楽を研究させ、現代の「新しい」音楽に応用したのだ。

ドイツの哲学者・音楽批評家テオドール・アドルノは、祖国にいたころからタヴィストック研究所に注目されていたそのためドイツを追われてイギリスにやってくると、すぐさまタヴィストックに庇護された。そしてスコットランドのゴードンスタン校に研究施設を与えられ、そこで自由に研究をつづけることができた。なぜドイツを追われたかというと、プラトンの理論を実践し、音楽を使って子供たちの精神をいじくりまわしているのを当局に見つかってしまったからだ。アドルノは「音楽界のカール・マルクス」として知られる。その作曲手法は、もう一人の「音楽急進主義者」、従来の伝統的な音楽を破壊し無調音楽を研究したオーストリア人作曲家、アルバン・ベルクの手法を取り込んだものだ。

アドルノが作る作品はショッキングで理解しがたかった。しかし自身に言わせると、それは彼が「高い次元の悟り」を開いているからであった。アドルノはディオニュソス・カルト音楽の無調・12音技法を適用し、「新しい形式と音」を生み出した。そしてこれを「心をむしばむ受け入れがたい音」と呼んだ。彼は次のように語っている。「新しい芸術が既存の支配的文化に打ち勝つには、商業主義に影響されやすい中産階級の感覚を、心を破壊する受け入れがたい音楽に浸すしかない

アドルノは自分の音楽がスターリン主義的、ファシズム的だと認めている。さらに、自分の音楽が「正しく響き、データと一致するかを確かめるために偉大な構想を使った」と述べている。この発言から、なぜ彼がタヴィストックに雇われたのかがうかがえる。タヴィストックはアドルノに、「正しく響き」「データと一致する」12音技法にもとづいた無調音楽を作曲させたのだ。「データと一致する」とは、要するにふさわしい歌詞をつける作業だ。かくしてアドルノが作成した18枚の音楽アルバムは、ビートルズに提供されたのである。したがってビートルズ音楽の根底には、アドルノが長年抱いてきた信念、資本主義は悪であるとの考えが横たわっている。なぜ資本主義が悪かというと、「人々を文化産業の産物に浸すことでひたすら満足感を与え、政治的に無関心にするからだ」という。かくして、アドルノが編み出した「無調・12音技法ビートルズ音楽」は、世界最大の資本主義国家アメリカをぶち壊すことになる。

アドルノは音楽のなかにマルクスの言葉や思想を埋め込んだ。ただし彼はマルクスのように経済に重点をおくのではなく、政治的無関心を維持する装置として文化に注目したのだ。そしてアドルノの12音技法による無調音楽は、欧米の資本主義に対し、マルクスの経済学をはるかに超える破壊力を発揮した。

そんなアドルノは、新しいタイプの音楽だけでなくクラシック音楽にも当然精通していた。学生時代は古典音楽をまじめに学び、作曲・演奏もお手のものであった。ともすれば彼は、”新天地”を切り開いた音楽の哲学者、偉大な現代音楽のインテリであったのかもしれない。彼はドイツのフランクフルト大学に通っていたころ、前述のオーストリア人作曲家アルバン・ベルクと親しくなり、1924年からベルクのもとで作曲を学んでいる。そこでゲオルク・ヘーゲルの「弁証法」を学び、作品に応用するようになった。のちにアドルノはフランクフルト大学の哲学教授になっている。

アドルノの「ビートルズ音楽」を理解するには、なぜ彼が「ニュー・ミュージック」を支持したのかを知る必要がある。ます最初に、彼は「資本主義社会の大衆は、感覚的に受け入れがたい音楽を嫌う」と考えていた。そこでタヴィストックのニューサイエンス科学者らに、大衆が参加できるような、「サッカーボールのように気軽に扱える新しい音楽が必要だ」と指摘したのだ。これは、音楽経験の浅い何百万もの大衆を巻き込む急進的な革命だ。かくして無調・12音技法にもとづく一連の「不快な音楽」がビートルズのために生み出された。このサウンドは、音楽体験の少ない若い聴衆には受けるが、上の世代には嫌悪されるものであった。

ここであらかじめ断っておくが、次に私が述べる内容は激しい議論を呼ぶだろう。私はそのことをよく理解している。すでに本書の初版から論争の的となっているからだ。私の意見が物議をかもすのは、音楽家を含めてあまりにも多くの人々が、不協和音の音楽(ロック・ミュージック)と300人委員会の目的が結びついていることに気づいていないからだ。そのため彼らは、深く考えずに私の情報に背を向けてしまう。とはいえ、善し悪しは別として、音楽が人の幸福あるいは不幸、人々に自制心を失わせたり持たせたりするうえで決定的な役割を果たすことができるのは間違いない。要するに、音楽は実際に人々の行動に深い影響を与えることができるのだ。これは紀元前から今日にいたるまで、中世のころもルネッサンス時代も、ずっと明らかにされてきた事実だ。

音楽には「獰猛な野獣」をなだめ、性格に大きな影響を与える力がある。この考えは、人類の歴史および音楽史のなかでしっかりと確立されている。

アリストテレスやプラトンといった古代の偉大な哲学者たちは、音楽には強い影響力があり、人間の性格や行動に大きく作用すると指摘した。まったくその通りだ。近年ではアドルノとタビィストックの科学者がこの心理的・社会的影響力を用いて、人々をさまざまな音や音楽にさらすことで、本人が気づかぬうちに考え方や行動を左右できることを実証してみせた。

タビィストックの研究者たちは、これを理論以上のものとしてとらえていた。彼らはまた、人間生活のなかのあらゆるものには振動周期があり、個人あるいは集団を強い振動源とすることができると考えた。アドルノはこの考えにもとづき、「ロックンロール」と「ヘヴィーメタル」といった12音技法の無調音楽を編み出したモレク信仰アフリカのヴードゥー教で使われるような、精神を麻痺させる複雑なドラム音、「激しいドラムビートの繰り返し」だ。

そしてとうとう、タヴィストックはアドルノの音楽を演奏させるターゲットを見つけ出した。ストリップ小屋やうす汚いナイトクラブが立ち並ぶ、ハンブルクの悪名高い赤線地帯レーパーバーンで細々と活動するみすぼらしいバンドだ。そして当時はまだ「すばらしい三人組」だったバンドは、音楽スタジオでレコーディングを行なった。スタジオといっても声を収めるのがやっとできる小さな録音ブースだ。グループはそこで「サマータイム」を収録した。

タヴィストックがどうやってこのバンドを見つけたのかは定かではない。とにかくこの無名グループは1961年4月から7月にかけてトップテン・クラブで演奏した。ジョージ・ハリソンはここでメンバーに加わっている。バンドは他にもカイザーケラー、インドラ、スタークラブ、バンビ・キノで演奏した。当時彼らは、ストリップクラブの二階の物置部屋でむさ苦しい共同生活をしていたようだ。

このころのバンド名は「ザ・クオリーメン」であった。一年後には「ジョニー&ザ・ムーンドッグス」となる。レパートリーは、チャック・ベリー、リトル・リチャード、エルヴィス・プレスリー。当時はまだのちのビートルズのメンバーではなく、メンバーも三人だった。

アドルノとタヴィストックは、グループを磨き直してアメリカに送り出す予定だったが、その前に正式なバンド名をつけ、アドルノの音楽を演奏できるように仕込まなければならなかった。そこでまず、アドルノはグループ名を[ビートルズ]とした。この名前は、古代エジプトの神話や芸術に登場するスカラベに由来する。スカラベとはタマオシコガネ(黄金虫)のことで、英語の甲虫(ビートル)(Beetle)にかけたのだ。スカラベは古代エジプトの王や聖職者から崇拝された、善悪双方に通じる魔力をもつ強力なシンボルだ。

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ところで「ビートルズ」のメンバーは楽譜を読むことができなかった。したがって最初のころは耳で聞いて覚えるしかなかった。その後は練習を積み、アドルノの改革を実現するべく、世界の若者、とりわけアメリカの若者たちを征服しに旅立つことになる。

麻薬、ヒッピー、フラワーチルドレンとテオドール・アドルノ
タヴィストック研究所とスタンフォード研究所は、三百人委員会に委託された作業の第二段階に乗りだした。この新段階はアメリカに社会変化の熱をかき立てた。

ビートルズがアメリカという舞台に登場したときと同じように、急速に「ビート世代」が登場した。それは社会を分離・分裂させるために構想された誘発語である。マスコミは今度は「ビート世代」に関心を集中した。やはり、タヴィストック研究所が新造した単語がどこからともなく出てきた。「ビートニク」「ヒッピー」「フラワーチルドレン」がアメリカ語彙の一部となった。「ドロップアウト」して、汚いジーンズを着け、洗わない長髪で歩きまわることがはやった。かくて「ビート世代」はアメリカの本流から独立した。彼らは、先行のまだ清潔だったビートルズと同じくらい悪名高くなったのである。

新たにつくられたグループとその「ライフスタイル」が、何百万人というアメリカの若者を流行へと押し流した。アメリカの若者は気づきさえしないで過激な変革を経験した。その間、年上の世代はなすすべもなく傍観した。危機の原因を割りだすことができず、そのために危機のあらわれに対して適応不良の態度で反応したのだ。

危機のあらわれとは、あらゆる種類の麻薬、マリファナ、そしてのちには、リゼルグ酸つまり「LSD」であった。LSDはスイスの製薬会社サントスによって手軽に供給された。それは同社の化学者のひとりアルバート・ホフマンが強力な精神変化薬である合成エルゴタミンの製法を発見した結果だった。三百人委員会は、彼らの銀行のひとつSGウォーバーグを通じて同社のプロジェクトに融資した。そして薬は、哲学者オルダス・ハクスリー[1894~1963、英国の小説家・批評家]によってアメリカにもちこまれた。この新しい「特効薬」はただちに「サンプル」大の包みで配布され、合衆国中の大学のキャンパスやロックコンサートで無料でばらまかれた。ロックコンサートは薬の使用を激増させるための主要な手段となった。

答えを求めて大声で質(ただ)される人がいるかもしれない。「麻薬取締局(DEA)は当時何をしていたのか?」と。だがDEAは、進行していることを知りながら何もするなと命令されていたことを示す有力な状況証拠がある。

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非常に多くの新しい英国ロックバンドが合衆国にやってくるようになると、ロックコンサートはアメリカの若者の社交予定表で恒例行事と化した。これらのコンサートと連携して若者のあいだでの麻薬使用は比例的に高まった。

呪わしい狂気沙汰である調子外れの強勢ビートサウンドが聴く者の精神を麻痺させるので、彼らはやすやすとその気になって新薬を試した。「みんなやっている」という理由をつけて。

仲間集団の圧力は非常に強力な武器である。「新しい文化」はお先棒かつぎのマスコミに最大限に取り上げられた。それには謀略家どものふところはただの一銭も痛まなかった。

大勢の市民指導者や教会関係者の大いなる怒りが、この新しい熱狂に向けられた。しかし彼らのエネルギーは、進行する事態の結果に誤って振り向けられ、その原因には立ち向かわなかった。ロック熱を批判する者たちも禁酒法時代[1920~1933]に犯されたと同じ過ちを繰り返した。彼らは法執行機関や教師、両親、誰でも彼でも非難したのだ----ただし謀略家どもを除いて

タヴィストック計画に公然と反旗でジョン・レノン殺害さる
この「ビートルズ計画」によって新しいタイプの無秩序が生まれようとは、当時はまだ誰も思いもよらなかった。アドルノは人間の精神を堕落させる音楽を作りあげていた。

歴史を見ればわかることだが、エジプト、中国、インドの古代文明が音楽の衰退とともに廃れていったことは明らかだ。古代ギリシャと古代ローマにも同じことが言える。いずれも、音楽が汚染されるまでは高い文明水準を誇っていた。古代ギリシャの衰退は、紀元前444年から429年(ペリクレス時代)に始まっている。これはちょうど、芸術と音楽が最低の水準に落ちていた時期と重なる。当時のギリシャでは、音楽の退廃がほかの芸術にも波及し、文明にも悪影響をおよぼしたことは明らかだ。アドルノはもちろんこの事実を知っており、それを念頭において、低俗な即興演奏と調子外れの音に過剰なリズム変化を加え、12音技法を使った無調音楽という形式を作りあげたのだ。

これを文字で表現すると、こうなる。音程が上にいったり下にいったりする歌手が、いつまでも狂った音程で歌い、その歌声をかき消すように激しいドラムビートが執拗に響いてくる。要するに、非常に不快で破壊的なのである。タヴィストックの社会科学者たちに課せられた任務は、この醜悪な音楽を何百万人ものティーンエージャーに受け入れさせ、しかも熱狂させることであった。

「ニュー・サウンド」は確かに心地よくはなかったが、モレク信仰やアフリカのヴードゥー教のリズムと組み合わせると覚えやすいものになった。

ここでまた、古代ギリシャを引き合いに出す。新たに登場した俗悪な音楽はアテネ人の心をつかみ、ギリシャの象徴ともいえる洗練されて統制のとれた古典音楽は追いやられてしまった。新しい音楽が、それまでの秩序立った社会を混乱に陥れてしまったのだ。そしてこの紀元前404年に起きた音楽革命が、人々を激しい行動に駆りたて、暴力的な革命へと向かわせた。

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ビートルズの誕生について調べるうちに、私はビートルズ音楽はディオニュソス・カルトやモレク信仰の音楽とドラムビートを混ぜ合わせたものに近いと気づいた。この音楽形式では、複雑かつ過剰なドラム音に耳障りな歌を合わせる。ディオニュソス・カルトの音楽はアフリカのヴードゥー教のドラムパターンにもとづいている。そしてヴードゥー教のドラム音は、おそらくモレク信仰の強い反復ビートを真似たものだ。

ヴードゥーのドラム音は単純ではない。非常に複雑なパターンで構成され、精神に影響を及ぼす。「ビートルズ音楽」は始めのころこそ若者たちにヴードゥー音楽並みの影響をおよぼすことはできなかったが、次第に精神を麻痺させる音になっていった。よほど訓練されていなければ、ヴードゥー音楽の微妙なリズムの変化をとらえることはできない。ヴードゥーではこうした変化を神秘的な力や霊を呼び出すために使う。このように反復ビートを使って「超自然的な力を呼び起こす」現象は、1960年代、70年代、80年代、90年代、そして21世紀に入った現在でも、集団ヒステリーを引き起こすロック音楽に見て取れる。

ロック音楽は暴力的な音楽だ。精神を痛めつけ、感受性を鈍らせる。ロックの絶え間なくつづくずれた拍子と次第に加速する反復ビートは、精神や身体器官に病的な作用をおよぼすと専門的な研究でもはっきりと裏づけられている。

ロックと現代音楽が危険なのは、まさにこうした理由からだ。人が幸せを感じ、調和の取れた精神状態を保ちつづけるには、体の自然なリズムと調和しないリズムに身をさらし過ぎてはいけないのだ。

最近公開された資料によって、アドルノは音楽とジャズを使ってさらなる退廃化を進めようとしていたことがわかった。タヴィストック研究所はこのように音楽を通じて人を堕落させる方法を、脳に対する「ロックンロール効果」と呼んだ。これで、アドルノがまず最初に音楽をつくり、そのあとに演奏者を探したのも説明がつく。

「ロックンロール」という言葉はタヴィストックの造語だ。「ニュー・ミュージック」に長時間にさらされた人間の乱れた脳波(揺れて転がる)にちなんで、この表現が選ばれた。問題は、ビートルズのメンバーが誰一人として楽譜を読めないことと、ギターのコードも四種しか使えないことだった。したがって彼らは演奏技術を叩き込まれ、アドルノの楽曲を「耳で覚え」なければならなかった。

この事実は重要だ。なぜなら、ビートルズが自分たちで作詞作曲をしていたという伝説が真っ赤な嘘であり、タヴィストックが捏造した話であることを証明しているからだ。バンドのリーダー、ジョン・レノンは一つも音符がわからなかったし、楽譜も読めなかったのだ。

ビートルズの初期の曲と歌詞を作ったのはアドルノだ。ポール・マッカートニーとジョン・レノンが実際に歌詞を書き始めたのは、ビートルズの活動が終わりに近づいたころだ。

ちなみにジョン・レノンが殺されたのは、アドルノとタヴィストックの計画に公然と反旗をひるがえし、別の路線に進もうとしたからだ。

ビートルズがアドルノとタヴィストックの産物であるとわかれば、彼らがペスト菌のごとくアメリカに上陸する前はまったくヒットに恵まれなかった理由の説明がつく。事実、ハンブルクの薄汚い地下室やストリップクラブで演奏していた時期に、彼らの「音楽」を聴いた記憶がある人はいない。アドルノが18枚のアルバムに収めた楽曲を歌いだして初めて、彼らは人気爆発したのだ。この18枚に収録された音楽とビートルズのメンバーが作ったとされるアルバムの違いは明らかだ。前者にはしっかりとしたリズムと洗練されたハーモニー が感じられるが、後者はだらしない音だけが目立つ。それでもビートルズは人気司会者エド・サリヴァン、テレビや報道の惜しみない支援を受けて、あるレポーターの言葉を借りれば突如として登場することができたのだ。私は、アメリカの熱狂する若者たちに仕掛けられたこの罠に、エド・サリヴアンも一枚かんでいたと確信している。

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個人的には、もう少しエビデンスを提示しながら話を進めて欲しかったという不満もありますが、大筋では納得できる話でした。原著ではもっと詳細なデータが示されているのかもしれません。『THE STORY OF THE COMMITTEE OF 300』はCIAのライブラリーから無料で手に入るので、興味がある方はより掘り下げて調査してみると良いでしょう。

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「ビートルズがタヴィストックに作られた」というのは、コールマン博士だけが唱えている突飛な説ではありません。むしろ情報機関の人間にとっては当たり前の事実だったのかもしれません。

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あるブログで引用されていたフィリップ・ノーマン著『Shout! The Beatles in Their Generation』の内容に、とても興味深い情報がありました:

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ジョン、ジョージ、サー・ジョセフ・ロックウッド、リンゴ、ポール
EMIは、貴族のジョセフ・ロックウッド卿が率いるElectrical and Mechanical Instrumentsの略で、イギリス最大の軍用電子機器メーカーの一つである。ジョージ・マーティンは、EMIの子会社であるパーロフォンのディレクターを務めていた。60年代半ばには、EMIは、従業員74,321人、年間売上高31億9千万ドルの音楽部門を作り上げた。

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EMIは、イギリスの軍事情報機関の主要メンバーでもあった。
戦後、1945年、EMIのヨーロッパの制作責任者ウォルター・レッジは、クラシック音楽の録音を事実上支配し、飢えたドイツのクラシック音楽家や歌手を何十人もEMIと契約させた。ベートーベンやブラームスの演奏の伝統を守ろうとする音楽家は無名に追いやられ、「元ナチス」党員は昇進した。レッジはナチス党員の故ヘルベルト・フォン・カラヤンと契約・録音し、彼をスーパースターの地位に押し上げたが、ヴィルヘルム・フルトヴァングラーのような偉大な指揮者は無視された。
EMIは当初からビートルズの大人気という神話を作り上げていた。1963年8月、ロンドン・パラディアムでの初のテレビ出演の際、数千人のファンが暴動を起こしたとされる。翌日、イギリスのすべての新聞は、一面トップで 「1,000人の若者が騒ぐのを警察が食い止めた」という写真と記事を掲載した。しかし、どの新聞にも掲載された写真は、トリミングされており、3、4人しか映っていない。この記事は詐欺だったのだ。現場にいたカメラマンによると、「暴動はなかった。私はそこにいた。見たのは8人、もっと少なかった」という。(Philip Norman, Shout! The Beatles in Their Generation, p. 188))

なんと、EMIによって音楽業界版「ペーパークリップ作戦」が行われていたということです。

また別の書籍にはこんな話もありました:

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ビートルズは悪魔と契約した悪魔崇拝者であり、そのツケは魔女の集会に払わなければならなかった。サタンと契約したバンドは、すべてメンバーが死んでいる。ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリン、ビートルズ、ザ・フー、などなど。レノンを暗殺したマーク・デイヴィッド・チャップマンはバーバラ・ウォルターズとのインタビューで、自分がサタニストであることを明確に示した。言い換えれば、彼はサタンの請求書の代金を回収する使い走りだったのだ。

「ホノルルのアパートで一人、裸になってビートルズのレコードをかけ、サタンに力を与えてくれるよう祈ったものだ。悪魔が私の体に入って、私に殺人の力を与えてくれるように祈った」(リチャード・チャロッカ伝道師、『Observations』1990年12月号より引用)。

リサーチャーで作家のモーリー・テリーは、著書『究極の悪』の中で、1966年から1967年にかけて、悪魔崇拝のカルト集団「プロセス教会」が「ビートルズを勧誘しようとした」と書いている。

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ビートルズのアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』は、悪魔崇拝者アレイスター・クロウリーに捧げられたものである。1947年にクロウリーが亡くなってから、ちょうど20年後にリリースされている。そして「20年前の今日だった... 」という歌詞のタイトル曲。アルバムのジャケットには、ビートルズの個人的なヒーローが集められているが、そこに登場するのがアレイスター・クロウリーだ。

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クロウリーは1875年生まれで、「大いなる獣(グレート・ビースト)」と呼ばれた。彼は、サタンの大祭司、魔術師として、定期的に子供の生け贄の儀式を行っていたことで知られている。クロウリーは、1947年にヘロイン中毒の合併症のために死亡した。彼は死ぬ前に、ハリウッドを含む多くのアメリカの都市で悪魔崇拝の集会を設立することに成功した。ケネス・アンガーは、クロウリーと同じ「魔術師」であり、クロウリーの後継者であると思われる。クロウリーが死んだとき、アンガーは17歳だったが、すでに、今日の基準から見ても純粋な悪の臭いがする映画の製作と監督を手がけていた。

ビートルズとプロセス教会を繋ぐ重要なリンクは、現代悪魔崇拝の「創始者」アレイスター・クロウリーの信奉者であるケネス・アンガーである。1930年生まれのアンガーは、ハリウッド映画の子役として活躍し、クロウリーの熱心な弟子となった。

映画『ローズマリーの赤ちゃん』は、ジョン・レノンが射殺されたダコタ・ハウスで撮影された。

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また、ジョン・レノンはこの監督を個人的に知っていたようである。『ローズマリーの赤ちゃん』の監督は、ロマン・ポランスキーだった。(1973年のカリフォルニアでのパーティーで、レノンは「窓から椅子を放り投げ、鏡を壊し、テレビを壁に投げつけ、映画監督のロマン・ポランスキーが悪いと意味不明なことを叫び、暴れた」ジェフリー・ジュリアーノ※ビートルズの伝記作家。イカゲームにVIP役として出演。)

また、1968年にビートルズがインドのヨギー(マハリシ)に会いに行ったとき、ジョン・レノンが映画『ローズマリーの赤ちゃん』主演のミア・ファローを同伴していたことも興味深い。同じカヴン(魔女団)の鳥は一緒に集まるということだろう。

この無名の監督ロマン・ポランスキーは、ハリウッドの魔女と契約して、彼が映画監督として成功できるような非常に優れた脚本を与えてもらったのだろうか?では、裏社会で名声を得るための代償は何なのか?それは、自分の赤ん坊を殺すことだ!この事実は、映画『ローズマリーの赤ちゃん』の中でさえ強調されている。映画では、魔女の集会が、夫のハリウッドでの成功の見返りとしてローズマリーの赤ん坊を要求したのだ。この映画に、1年後に同じような展開になる筋書きがあったことは、驚くべき偶然であった。ポランスキーの妊娠中の女優であり妻であったシャロン・テートが、マンソンの信奉者たちによって殺害されるのである。犯人の一人であるスーザン・アトキンスは、殺害されたポランスキーの赤ん坊を取り出したかったと供述している。

ロマン・ポランスキーの赤ん坊の死は、ポランスキーがアカデミー賞脚色賞にノミネートされるための前払いだったのだろうか。この映画は、批評家から高く評価され、商業的にも成功した作品となった。ロマン・ポランスキー監督は、これで成功の頂点を極めることになった。

そして、もう一人のマインドコントロールの犠牲者で、悪魔の請求書回収人チャールズ・マンソンが登場する。彼の信奉者たちは、ロマン・ポランスキーの妻を殺し、赤ん坊を切り出そうとした。映画『ローズマリーの赤ちゃん』では、赤ん坊の血液には力があると強調されている。シャロン・テートの赤ん坊がスーザン・アトキンスによって子宮から切り取られそうになったのはこのためだろうか。スーザン・「セディー」・アトキンスは赤ん坊を取り出そうとしただけでなく、他の殺された人々の目を取り出し、壁に押しつけ、指を切り落とそうとした。彼女は、「私たちは彼らを切断するつもりだったけど、そのチャンスがなかった」と述べている。

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『ザ・ビートルズ(通称ホワイトアルバム)』のアルバムの中に「セクシー・セディー」という曲がある。これはスーザン・アトキンスのニックネームであることがわかった。

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さて、Sadie Mae Glutzは、ホワイトアルバムの曲「Sexy Sadie」が登場する前から、マンソンがファミリーのスーザン・アトキンスに与えた別名である!

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この本ではビートルズの「Sexy Sadie(1968年)」の歌詞が、1年後のテート&ラビアンカ殺人事件(1969年)と、スーザン・アトキンスの法廷証言を予言する内容に見えると指摘しています。

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では、ビートルズの曲、セクシー・セディーの歌詞を読んでみてほしい。括弧内は私の言葉である。
Sexy Sadie ooh what have you done
セクシー・セディー、ああ、なんてことをしたんだ
Sexy Sadie you broke the rules (silence)
セクシー・セディー、お前はルールを破った(沈黙を破った)
You laid it down for all (the court) to see
お前は皆の目の前(法廷に)に晒した
One sunny day, the world was waiting for a lover
ある晴れた日、世界は恋人を待っていた 
She came along to turn on everyone
彼女がやってきて、皆を欲情させた
(スーザン・アトキンスはマンソン一家の性的な恋人だった。)
Sexy Sadie the greatest (Manson killer) of them all
セクシー・セディー、最も偉大な(マンソン・キラー)
Sexy Sadie, how did you know
セクシーセディー、どうしてわかった?
The world was waiting just for you
世界が待っていたのは、まさに君だった
Sexy Sadie you'll get yours yet (刑期) 
セクシー・セディー、お前は因果(刑期)を受けるだろう
How big you think you are 
自分がどれだけ大物だと思っていても
 (スーザン・アトキンスはしばしば殺人を自慢することで知られていた。)
We gave her everything we owned just to sit at her table
持っていた全てを彼女に捧げた 彼女とテーブルを同じくするために
Just a smile would lighten everything
彼女の微笑みで全てが輝いた
Sexy Sadie, she's the latest and the greatest of them all
セクシー・セディー、彼女は最近で最高の女性
She made a fool of everyone----Sexy Sadie
(マンソン・ファミリーの)みんなをコケにした セクシー・セディ

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マハリシのことを歌っていると言われれば、一部不自然な部分もあるものの、概ね当てはまっているように思えますし、スーザン・アトキンスのことだと言われても不思議とよく当てはまっているように思えます。

とにかく「不思議」としか言いようがありませんが、ここでミア・ファローがマハリシの文脈でも、『ローズマリーの赤ちゃん(1968年)』=ポランスキー=シャロン・テート殺人事件=マンソン・ファミリーの文脈でも、どちらにせよ関わっているのがさらに不思議です。

ちなみにホワイトアルバムには、ミア・ファローの妹プルーデンス・ファローのために作られた『ディア・プルーデンス』という曲も収録されています。

前回の記事で、ローズマリーの証言は、『ローズマリーの赤ちゃん』とマスク家とマンソン・ファミリーとCIAの関係や、シャロン・テート殺害の儀式的な意味について教えてくれました。『ローズマリーの赤ちゃん』とビートルズの『セクシー・セディー』が同じ年にリリースされている事実、『セクシー・セディー』や『ヘルター・スケルター(混乱)』が収録されたホワイトアルバムをマンソンが繰り返し聞いていた事実は、単なる偶然として片付けられることなのでしょうか?ホワイトアルバムがマンソンのMKウルトラのトリガー(誘因)になっていた可能性はないでしょうか?

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スーザン・アトキンスのニックネームがSadie Mae Glutzだったことは覚えているだろうか?括弧内は私の言葉である。

Maggie Mae (マギーメイ:アルバム『Let it be』収録 1970年5月8日)
Oh dirty Maggie Mae they have taken her away (Arrested and now in court)
ああ、薄汚いマギー メイ 彼らは彼女を奪い去った(逮捕して今は法廷に)
And she never walk down Lime Street any more (No more limelight)
これで彼女がライム通りを歩くことはなくなった(スポットライトを浴びるとはなくなった)
Oh the judge he guilty found her
ああ、判事は彼女を有罪にした
(この歌はマンソン裁判が終わる前にリリースされた。)
for robbing a homeward bounder
家路についた成り上がりを強盗した罪で
That dirty no good robbing Maggie Mae
あの薄汚い、強盗まで働くマギーメイ

上記の歌詞(※この曲はイギリスの民謡であり、歌詞は様々な形で存在する。この歌詞はビートルズ流にアレンジされている。)は、脅迫の比喩でもあるのだろうか?なぜシャロン・テートは被害者に選ばれたのか?もしかしたら、私がすでに述べたように、ロマン・ポランスキーはハリウッドの魔女団と契約を交わしていたのだろうか?名声と成功のために彼の子供を差し出したのかもしれない。彼は、即座に成功する脚本を渡されるまでは、比較的無名だった。では、なぜアメリカで、定評のある監督ではなく、基本的に無名の監督に受賞できる脚本を渡したのか?なぜ、プロデューサーは無名の監督に何百万ドルも投資したのだろう?なぜ、そのような賭けに出たのだろう?その理由は、彼が供物の契約をしたかもしれないからだ。将来的に行わなければならない生贄の捧げ物。マンソンは、代金を受け取りに来る食料品店の店員ということになる。
スーザン・アトキンス・セディは、シャロン・テートが最後に死んだのは、「他の人が死ぬのを見なければならなかったから」と述べている。誰が見てもテートは耐え難い恐怖と苦痛の中で死んでいた。ヴィンセント・ブリオシ(事件の担当検察官)はアトキンスの証言についてこう書き残している。「私はシャロン・テートを抱きかかえていて、テックスが戻ってきて、私を見て、"殺せ "と言った。だから、私が殺した...。彼女を刺して、彼女が倒れて、また刺した。何回刺したかわからない...。シャロンは赤ん坊の命乞いをしけれど、私は"黙れ、聞きたくない"と言った。」
シャロン・テートを刺殺した後、彼女はナイフについた血を舐めていた、とArthur Lyons著『Satan Wants You』に書かれている。

ビートルズとマンソンの関係は(一見)間接的ですが、ビーチ・ボーイズのメンバーであり、ブライアン・ウィルソンの弟であるデニス・ウィルソンは直接関係していました。それはちょうどビーチ・ボーイズの暗黒時代と重なります。

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チャールズ・マンソンの曲がビーチボーイズのアルバムに紛れ込んだ理由
1968年の春、ビーチ・ボーイズのドラマー、デニス・ウィルソンは、カリフォルニア州マリブ周辺をドライブしていたとき、2人の女性ヒッチハイカーを拾った。ウィルソンは妻と離婚したばかりで、セックスとドラッグに溺れ、独身生活を満喫していた。彼は、彼女たちをパシフィック・パリセーズにある自分の家に泊めるよう誘ったが、彼女たちがそれを文字通り受け取るとは思ってもいなかった。ところが、そのヒッチハイカーがマンソン・ファミリーのパトリシア・クレンウィンケルとエラ・ジョー・ベイリーであることをウィルソンは知らない。

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二人の少女にとって、ウィルソンは、遊び相手のイケメン・アンジェレノ(ロスっ子)の一人であり、ビーチ・ボーイズとして有名になった彼の地位を十分に理解していなかった。彼女たちは、特にそこが豪邸であったため、泊まるところができたことを喜んでいた。マンソンの仲間たちとバスに乗っては居候生活を繰り返していた彼女たちにとって、これは大歓迎だった。マンソンにとっては、住むところが見つかったことよりも、むしろウィルソンのミュージシャンとしてのステータスに心を奪われた。この直後、ウィルソンがレコーディングから帰宅すると、熱心なチャールズ・マンソンがすぐに歩み寄ってきて、彼の足にキスをした。

この瞬間が訪れる前、ビーチ・ボーイズは『ペット・サウンズ』(1966年)と『スマイリー・スマイル』(1967年)の成功のピークを過ぎ、下降気味であった。バンドは最近『Wild Honey』(1967年)と『Friends』(1968年)をリリースしたが、前の2枚のアルバムほどには評価されなかった。この頃、バンドは次のアルバム『20/20』(1969年)のための曲作りに取り掛かっていた。

1966年、33歳のマンソンは刑務所を出所し、「サマー・オブ・ラブ」に飛び込んだ。

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彼はサンフランシスコのヘイトアシュベリー地区に住み、後にマンソン・ファミリーとなる忠実なファミリーを育て始めていた。

1966年末、マンソンはロサンゼルスに移住して音楽活動を始めることを主張し、フォロワーたちもそれを支持し、一緒に行動した。これが、ウィルソンとマンソンが対面する瞬間へとつながっていく。

マンソンとウィルソンはすぐに打ち解けた。マンソンはウィルソンの音楽業界での人脈に惹かれ、ウィルソンはマンソンのドラッグ、女性、精神的な感覚などのオープンさに惹かれた。この時期、ウィルソンはマンソンのことをしばしば「ウィザード(魔法使い)」と呼んでいた。自分の霊性を見つけようとしていたウィルソンは、超越的瞑想を推進するグル、マハルシに興味を持った。しかし、彼はやがてマンソンに心を奪われるようになる

ウィルソンは、マンソンのギター演奏、LSDトリップ、セックスを楽しむパーティーを主催するようになり、マンソンの輪に多くの若者を引き込むのに最適な方法となった。

『Manson Exposed』(2019年)の著者であるIvor Davisは、ドキュメントシリーズ『Helter Skelter: An American Myth』の中で、10代の若者がいかにパーティーに引き寄せられたかを語っている。

「マンソンは彼らにデニス・ウィルソンの家への入り口を与えた......若い子たちが突然、デニス・ウィルソンやママス&パパス、ディーン・マーティンの娘たちと一緒に酒を酌み交わすようになったんだ。彼らは、ここが天国だと思ったんだ。」

ちなみに、この時、テートとラビアンカの殺人事件に関わったテックス・ワトソンは、彼を家に招いたウィルソンのおかげでマンソン・ファミリーに紹介されることになる。

マンソン一族はウィルソンの家に滞在し、徐々に彼の家を乗っ取っていった。マンソン一家は、彼の服を着、彼の食べ物を食べ、彼の車に乗っていた。

マイク・ラブの回顧録『グッド・ヴァイブレーションズ』(2016年)によると、マンソンの少女たちがウィルソンのロールス・ロイスで地元の食料品店に行き、廃棄された野菜類を吟味し、見知らぬ人から金をせびり、混乱した見物人を残してロールス・ロイスに飛び乗る事件が何度かあったそうだ。

ソロでの音楽活動を始めるにあたり、ウィルソンはマンソンをナイトクラブに連れ出し、ニール・ヤング、グレッグ・ヤコブソン、テリー・メルチャーら音楽業界の人々に会わせ、注目を浴びさせようとした。マンソンは、ポール・リヴィア&ザ・レイダースやザ・バーズと仕事をしたコロンビア・レコードのプロデューサーであるメルチャーに良い印象を与えることに特に関心があった。ウィルソンは何度かメルチャーの家(シエロ・ドライブ10050番地)にマンソンと一緒に出かけたことがある。

マンソンに注目させようというウィルソンの試みもむなしく、マンソンが契約を得ることはなかった。誰も興味を示さないので、ウィルソン自身がマンソンと、ビーチ・ボーイズが立ち上げたブラザー・レコード会社と契約することになる。そこから、ウィルソンはブライアン・ウィルソンの音楽スタジオで、ビーチ・ボーイズのオーディオ・エンジニアであるスティーブン・デスパーとレコーディング・セッションを行うことになるが、この間、ブライアンはほとんど自分の寝室にこもっていた

ミニ・ドキュメンタリー・シリーズ『Helter Skelter: An American Myth 』の中でデスパーが語っている。マンソンは一緒に仕事をするのに最適な人物ではなかったという。

「チャーリーは製品化されようがなかった。彼は違った。レコーディング・セッションがどういうものなのか、どうやってレコードを作るのか、彼は全く知らなかったんだ。彼はすべてを個人的に受け止めていて、プロのアーティストではなかったんだ。」

スタジオ・セッション中、マンソンはしばしば苛立ち、デスパーの目の前で飛び出しナイフを取り出して威嚇し、それからまるで指の爪をきれいにする必要があるかのように振る舞ったという。デスパーはこれには動じなかったが、マンソンの異臭に悩まされ、それが原因でセッションを終了してしまった。

マンソンの異常な行動が多くの危険信号となり、ウィルソンの関係者は彼の素性を調べるようになった。マンソンの犯罪歴が発覚し、ウィルソンに伝わった時点で、ウィルソンはマンソンとそのファミリーの食事や贈り物、淋病の発生を抑えるためのペニシリンなどにかかる生活費を約10万ドルも出していたのである。

ウィルソンは対立を避けるため、借りた家を捨てて別の家を探し、マンソン一家に後を託したのだ。借家の期限が切れると、マンソン一味は追い出され、そこからスパーン牧場へ。

それでも、ウィルソンはマンソンと連絡を取り合い、彼を助けようとし続けた。マンソンの曲のひとつである「Cease to Exist」は、ウィルソンが特に興味を持った曲で、その権利を求めた。マンソンは、自分の音楽を少しでも軌道に乗せたいと思い、お金とバイクと引き換えに権利の許諾を引き受けた。

マンソンが承諾した後、ウィルソンは歌詞、曲、そしてタイトルを「Never Learn Not to Love」に変更した。この曲はビーチ・ボーイズのアルバム『20/20』に収録されたが、他のメンバーは後になってマンソンが作詞・作曲したものであることを知ることとなった

この2曲を比較すると、マンソンの「Cease to Exist」は、意図がはっきりしないシンプルなラブソングに仕上がっていることがわかる。「Cease to exist」という言葉にはいくつかの意味合いがあり、自分をコントロールすることなく他人に奪われる、あるいは自発的に他人に自分を完全に委ねている、と解釈できる。

「かわいい女の子、かわいい女の子、かわいい女の子。存在しなくなる。ただ来て、俺を愛していると言って。自分の世界をあきらめろ。カモン、君ならなれる。俺は君の同類、ああ、俺にはそれが分かる。君は歩いてく。愛してるぜ、可愛い子。俺の人生はお前のもの。ああ、お前は俺の世界を所有できる。」

後述の「Never Learn Not to Love」では、ウィルソンは歌詞の重要な要素である「cease to exist」を「cease to resist」に変えており、より柔順な意味に少しトーンを変えているのか、あるいは愛に対してオープンであることを指しているのかもしれない。読者の判断に任せる。

「抵抗するのをやめて、僕に愛してると言って。君の世界をあきらめて、さあ、僕と一緒になろう。僕は君の同類、僕にはそれがわかる。さあ、さあ、ああ、愛しているよ、かわいい女の子よ。僕の人生は君のもの、君は僕の世界を所有できる。教訓は何も学ばなかった。君を愛さずにはいられない。
さあ、もっと近くにおいで。」

マンソンは、ウィルソンが曲を大きく変えようとしていることを知らなかったので、これに激怒し、ウィルソンの枕元に弾丸を置き、「弾丸は彼を撃つためにある」ことを知らせたという。ウィルソンは、マンソンから戦力外通告を受けたと思い、すぐに関係を絶った。

音楽活動への道が閉ざされたマンソンは、最後の選択肢としてテリー・メルチャーを探した。メルチャーはマンソンにチャンスを与えようとしたが、スパーン牧場に2度訪れ、感銘を受けなかったため、オファーを取り下げざるを得なかったのだ。結局、このことがマンソンのロックスターへの夢を絶ち、彼の中に憎悪と怒りを呼び起こすことになった。

この最後の出会いのすぐ後、メルチャー夫妻はマンソンに恐れをなしてシエロ・ドライブ10050番地から引っ越すことになり、新しい住人であるロマン・ポランスキーとシャロン・テートが入居することになったのである。その数ヵ月後、メルチャーがまだそこに住んでいるという誤解から、テートと数人の客がマンソン・ファミリーに殺害されることになる。

さて、マンソンの誤解からシャロン・テートの殺害が起きたという通説は、最近の研究で否定されつつあります。

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この件に関しても、シャロン・テートとお腹の子の殺害が、計画された生贄の儀式であったとすれば、メルチャーは図らずもそのお膳立てをすることで難を逃れたのであり、その後ろめたさを抱えて生きていたのだという説明が成り立ちます。そしてこの話が重要なのは、テリー・メルチャーがドリス・デイの息子であるということです。

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ウィルソンのビーチ・ボーイズのバンド仲間であるマイク・ラヴはこう語っている。「この引っ越しは偶然ではなかった。ドリスの一人っ子のテリーは、母親と非常に仲が良かった。彼は母親にマンソンのことを話していて、彼の恐ろしいおふざけ、ナイフを振り回すこと、ゾンビのような信者のこと、そしてマンソンがシエロ・ドライブの家に来たことを話し、彼女は彼に引っ越すよう強く主張したんだ。」

ゾッとすることに、マンソンは、テリーがもうこの家にいないことは知っていたが、誰が住んでいようと見せしめを行うことにしたのだ。

マイク・ラブ(ビーチ・ボーイズ)の著書『GOOD VIBRATIONS』によると、テリー・メルチャーは母親のドリス・デイが所有する家に引っ越したそうです。(関係ありませんが、『マーフィー・ブラウン』を演じる20年前のキャンディス・バーゲンもテリー・メルチャーと一緒に住んでいたそうです。)

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なぜこれが重要な情報かというと、ビートルズが直接関係してくるからです。1970年に行われたローリング・ストーン誌による「伝説的な」ジョン・レノンのインタビューがあります:

LSDに出会ったきっかけは?
ロンドンの歯科医が、彼の家でのディナーパーティーで、ジョージと僕と奥さんたちに、何も言わずにそれを投与したんだ。彼はジョージの友人で、当時僕たちの歯医者だったんだけど、コーヒーか何かに入れただけだった。彼はそれが何なのか知らなかった。ロンドンの中流階級のスウィンガー(遊び人)みたいな奴はみな同じだった。みんな噂には聞いていたけど、マリファナやピルとは違うということを知らずに、僕らにくれたんだ。彼は「帰らない方がいい」と言ったので、僕らは皆、彼が自分の家で乱交パーティーのために僕たちを引き留めようとしているのだと思った。知りたくもなかった。だから僕たちはAd Libやそういったディスコに行った。するとそこで信じられないことが起こったんだ。

ロンドンを回るのは正気の沙汰じゃなかった。クラブに行った時、最初は火事が起きていると思った。それから映画のプレミアかと思ったら、それはただの外の街灯だったんだ。

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僕たちは「クソ、どうなっているんだ?」と思ったよ。路上でキャッキャと騒いで、「窓ガラスを割ろう」と叫んでいる人たちがいて、とにかく正気じゃなかった。気が狂いそうだった。ようやくエレベーターに乗ったら、火事だと思ったのに、小さな赤いランプが光っているだけ。そんな感じで、みんな熱くなってヒステリックに叫びながら、フロアに到着すると、ここはビルの上の階にあるディスコだったから、エレベーターが止まってドアが開いて、みんなで叫んだんだ。

昔、誰かがアヘンの影響について書いているのを読んだことがあって、「くそっ!それが起きている。」と思った。それからAd Libに行ったりして、ある歌手が近づいてきて、「あなたの隣に座ってもいい?」と言ってきた。で、僕は「喋らないなら」って言ったんだ、だって何も考えられなかったから。

これが一晩中続いたようだ。詳しいことは覚えていない。ジョージはどうにかこうにか僕たちをミニで家に送り届けた。時速10マイルくらいで走ってたんだけど、1000マイルくらいに思えたし、パティは飛び出してサッカーをしようって言ってた。

とにかく恐ろしかったけど、最高だった。その時に描いた絵がある。どこかにあるんだ。「我々は君に賛成だ!」って言っている4つの顔の絵。それをリンゴに渡したんだ。オリジナルをね。あの晩はたくさん描いたよ。ジョージの家は大きな潜水艦のようで、僕はそれを操縦して、みんなは寝てしまったけど、僕はその中に入って、18フィートの壁の上に浮かんでいるようだった。

酔いが冷めてから、どう思いましたか?
1、2ヶ月はかなり酔っていたよ。2回目はロサンゼルスで、ツアー中にドリス・デイの家かどこかに泊まって、リンゴとジョージと僕の3人で服用したんだ。ニール(・ヤング)とザ・バーズの数人、名前は何だっけ、スティルス・アンド・ナッシュのやつ、クロスビーともう一人、リードシンガーをやっていたやつだ。(ロジャー・)マッギン。だと思う。確かではないけれど彼らが数回トリップしに来た。

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でも、ドン・ショートという記者がいたよ。僕らは庭にいた。僕たちにとってはまだ2回目だったし、良い場所でやって落ち着くことをまだ何も知らなかった。そして、その記者がいるのを見て、「どうしよう?」と思っていた。僕たちは恐る恐る彼がいなくなるのを待っていて、彼(ドン・ショート)の方はなぜ僕たちが入って来られないのか不思議に思っていたんだ。それまでアシッド(LSD)をやったことがなかったニールもアシッドをやって、彼は地方巡業マネージャーの役割をやらなくてはいけなくなった。僕たちは彼に、ドン・ショートを追い出してこいと言ったけど、彼はどうしていいかわからずにいた。

ピーター・フォンダが来て、それがまた大変だった。彼は「死ぬってどんな感じかわかるよ」とずっと囁いてきて、僕たちは「え?」みたいな感じ。それでも彼はそれを言い続けていた。僕たちは「頼むから黙ってくれ。俺たちは興味ないよ。知りたくもない。」と言ったんだけど、彼はずっとそれを言い続けた。それで『She Said, She Said』を書いたんだ。「I know what it's like to be dead.(死ぬってどんな感じかわかるよ)」ってね。悲しい曲で、アシッドに酔ったような曲だったと思う。「When I was a little boy」という歌詞も......ほら、とにかく幼少期の記憶がたくさん出てきたんだ。

LSDは1964年に始めたんですね。どのくらい続いたのですか?
何年も続いたよ。1000回はトリップしたかな。

文字通り1000ですか、それとも数百ですか?
1000だね。以前は常にそれを食べていたよ。

ジョン、ジョージ、リンゴがドリス・デイの家でLSDをやっていたということは、テリー・メルチャーやマンソンの人的ネットワークからかなり近いところにいたことになります。実際にリンゴはテートやポランスキーとも知り合いだったと言っています。

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ポランスキーの『ローズマリーの赤ちゃん』が公開された1968年には、ビートルズはその映画の主演女優と妹(ミア&プルーデンス)を伴って、インドのマハリシを訪れていました。全てが人形遣い/ハンドラーであるタヴィストックやCIAの握る糸で繋がっているように見えます。これらを踏まえると、ビートルズの伝記を書いたジェフリー・ジュリアーノの証言の持つ意味がわかるというものです。ジョン・レノンはマンソン事件の真相に気づいていたに違いありません。

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3.スーザン・アトキンスとMKウルトラ

これらが全てLSDや音楽やニューエイジ・ムーブメントを通じたCIAによる大衆のマインド・コントロール実験の一環であったことは、最近のローズマリーの証言だけでなく、1978年のスーザン・アトキンスの監獄インタビューの言葉にも表れています。

ナレーション:21歳の時、スーザン・アトキンスはマンソン・ファミリーの 殺し屋集団の中で最も目立つ存在となる。カリフォルニア北部で育った彼女は昔はいい子だった。スーザンは人気ベビーシッターになった。学校の水泳部ではキャプテンを務め、教会の聖歌隊で歌った。後に母親が死んで家出した彼女は、危険な小男の手に落ちた。彼は事実上生涯を刑務所で過ごすことになる。18歳の時、チャーリーズ・ガールズと呼ばれるうちの最初期の一人になった。さらに多くが彼女に加わり、やがて彼女ら全員がチャールズ・マンソンへの狂信的な忠誠心を彼の説得力によって育まれ、絶え間ないドラッグの使用でハイになった。2年間で300回のLSDトリップの後、マンソンがスーザン・アトキンスと彼のファミリーに殺しを命令した。彼女らはその後、狂ったような見た目、言動、行動で殺しを行った。スーザン・アトキンスは大陪審で全てをぶちまけた。何が起きたのか、恐ろしく詳細に語った。映画女優のシャロン・テートとまだ生まれてもいない赤ん坊を殺害し、その女優のハリウッドの自宅で、あの暑い夏の夜に他の4人の殺害に参加したことを説明した。

スーザン・アトキンスは現在28歳で、終身刑の最初の7年間を終えたところだ。彼女はそのうち5年は、ここカリフォルニア・サンバーナーディーノ郡にある女性刑務所にいた。そして最初の仮釈放審問を受け、却下されたところだ。

しかし、ここで彼女と働いている人々は、彼女がこの2年間で驚くべき変化を遂げたと言う。彼女は敬虔なクリスチャンになり、神に仕えることだけを望んでいると言っている。

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スーザン・アトキンスは、自分の恐ろしいドラッグ体験が、ドラッグを使う人、使おうと思っている人への教訓になると思っている。彼女は1970年の裁判以来、記者とは一度も話をしていない。彼女は薬物使用の危険性について話したいと私に伝えた。そして、殺人について何か新しいことを明らかにしたいと言った。

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インタビュアー:シャロン・テートの家に行った夜、何があったんですか?

スーザン・アトキンス:本当にあったことは・・・私はテックスと一緒に車に乗り、テックスは私の他の2人の共同被告人を見ていたのを覚えています。んー、実際は3人の共同被告人です。車に乗る前、テックスと私は特別にしまっていたコカインか何かをやりました。スピード(覚醒剤)を鼻から吸って、電話を受けましたが、私たちはとても狂った状態でした。そして私たちはあの家にいる全ての人を殺すようにという指示を受け、車で向かいました。

インタビュアー:チャーリーからの指示?

スーザン・アトキンス:ええ。でも指示はそれだけではありません。通りにある全ての家を襲うように言われていました。

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インタビュアー:全員殺せと?

スーザン・アトキンス:そうです。そして私たちが車であの家に乗りつけると、そこに一台の車がやってきました。するとテックスが車を降りて、何も言わずに銃を撃ちました。私は茂みの中にいました。

インタビュアー:それがスティーヴン・ペアレント青年が車中で殺された時ですね。

スーザン・アトキンス:そうです。家の中にいた人たちはみな居間に集められ、縛られました。そして私がヴォイテク・フリコウスキーの手をタオルで縛ったのを覚えています。そして私は彼を殺すように言われました。私は手に持っていたナイフを持ち上げました。

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スーザン・アトキンス:でもそれを振り下ろすことはできませんでした。刺すことはできませんでした。

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スーザン・アトキンス:まるで不思議な力が私の手首をつかんでいるようで、私は手を動かすことができませんでした。彼は私が動けなくなっているのを見て、とても容易にタオルの拘束を解きました。そして彼と私は揉み合いになりました。私は叫んで助けを求め、彼も叫んで助けを求めました。するとテックスが来て、私を助けました。そして私はシャロン・テートを見張っているように言われました。それから皆が様々な場所に散り散りに走っていたのを覚えています。私はシャロン・テートと一緒に座っていました。彼女は私に話しかけてきました。

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スーザン・アトキンス:私が覚えているのは、その時の私は彼女に対して全く何も感じなくなっていたということです。そして彼女は私に命乞いをしました。彼女の命と、赤ん坊の命を。

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スーザン・アトキンス:そして・・・。私は最初にその家に入っていった時のことを覚えています。家にいた人の一人が、「お前たちは誰だ?」と言った時、テックスは「俺は悪魔だ。悪魔の仕事をするためにここに来た。」と言ったんです。そして、そのことは私の良心で覚えています。思い出すだけでも、私の中でとても鮮明に生きているのです。

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スーザン・アトキンス:私は、逃げようと思っても引き返せないところまで行ってしまったんです。去りたくても去れなかった。自分では全く制御できないことに巻き込まれているような感じでした。そこで起こっていることについて、私はまったく口を出すことができませんでした。まるで悪魔の手の中にある道具のようだった、としか言いようがありません。そして、ナイフを持った私の手がヴォイテク・フリコウスキーの胸に落ちなかったのは、神の恩寵によるものだと信じています。

インタビュアー:では誰が殺したんです?

スーザン・アトキンス:あの晩ですか?テックスです。

ナレーション:1970年と71年に行われた裁判では、彼女はまるで混乱した少女と冷酷な殺人者というゾッとさせる組み合わせのように見えた。

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マンソン・ファミリーの他の人々と同様、スーザン・アトキンスは 自分の人生を導いてくれた男性への忠誠心は絶対的であった。だからチャールズ・マンソンが自分の髪を剃った時は、彼女も剃った。

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そして彼と同じように彼女と共同被告人は額に×印を彫った。

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彼女は今では、彼女の奇怪な行動は、マンソンの邪悪な説得と薬物乱用が原因だと言っている。マンソンと一緒にいた間、スーザン・アトキンスは少なくとも300回アシッド(LSD)を垂らし、その他視界に入るあらゆるドラッグを吸い、飲み込み、打ち、鼻から吸引した。

収監されて最初の5年間、薬物を摂取していなかったが、意識を完全に取り戻し、自分が何をしたかを理解し始めるのに、それだけの時間がかかったと彼女は言う。LSDやその他の薬物によって、彼女は霧の中にいるような状態になり、つい2年前までそこから抜け出せなかったのだ。

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スーザン・アトキンス:そうですね、人がどのようにドラッグに混乱させられるのを理解するためには、アシッド(LSD)が心に何をもたらすかを理解する必要があります。私は薬物が精神に与える影響について学位論文を書いて本にしたいと思うほどです。

インタビュアー:あなたがその使用を止めた後も、あなたをずっと霧の中にいさせるほど十分な力を持ってたのですよね?

スーザン・アトキンス:ええ。当時は私も、トリップの12時間後には正気に戻っていると思っていました。それは間違いでした。LSDを摂取するたびに、人の意識レベルは上昇または拡大し、その人の人格の道徳的な繊維はほどけていきます。その繊維とは、人が育っていく時にその人の中に形成されるものです。全ての人は文化によって異なる道徳観を持って成長します。アシッドを摂取すると、人の心はこれらの道徳的特性や善悪の概念を超えて拡大します。すると、人はその枠の外に飛び出します。その枠を飛び出すと、今度は想像力が支配し始めます。そして、想像力はとても人を欺くものです。それは空想です。人がアシッドを摂取するとき、そこまで行ってしまうのです。自分では元々いた場所に戻ってきたと思うかもしれませんが、そうではありません。そして、毎回アシッドを飲むたびに現実から少しずつ離れていくのです。そして、私はあまりに多くのアシッドを飲んだので、ちょうど私が言うところの「spaced」になってしまったのです。

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そして、私が言うところの「re-enter(再入場)」まで何年もかかりました。そのためには、アシッドを断ち、毎日現実と向き合わなければなりませんでした。

インタビュアー:さて、あなたは今、現実の中で完全な意識で動いていると言いますね。そうすると、この時点から振り返って、自分が何だったのか、何をしたのか、恐ろしくなってくるでしょうね。

スーザン・アトキンス:ええ、自分の自由意志で、自分を完全に支配するものに自ら入っていったのですから。ドラッグとディプログラミング(※脱洗脳というよりはこの場合、脱構築・価値体系の解体)の過程で自分自身をコントロールできなくなり、モラルを失ってしまったのです。

インタビュアー:薬物だけでなく、チャールズ・マンソンの説得力もあったでしょう。

スーザン・アトキンス:ええ。(マンソンによる)ディプログラミングが大きくありました。それは、LSDや心を拡張する薬物を飲んでいる時に話を吹き込むことで、人の善悪の観念を奪い去るというやり方です。そうすると罪悪感なんてものはなくなります。その時、人はすでに心の中や想像の中で、罪悪感を感じるのが嫌な場所に来ているのです。だから簡単に「ええ、罪悪感なんてないわ。そんなもの存在しない。私は何をしてもいい。そのことで罪悪感を感じたりしない。」と言えるようになるのです。

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インタビュアー:外の多くの人があなたに仮釈放の資格はない、仮釈放を与えるべきではないと思っているのは理解できますか? あなたはそれを知っていますか?

スーザン・アトキンス:
はい。

インタビュアー:残りの人生をこの刑務所で過ごすことになったら?

スーザン・アトキンス:そうなったら、私は残りの人生を この刑務所で過ごすだけです。

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インタビュアー:そう考えると憂鬱になりませんか?

スーザン・アトキンス:いいえ。なぜなら・・・なんというか・・・私は満足しているんです。私は心の平和を見つけました。そしてそれは私の状況や物理的な環境によって決まるものではありません。

インタビュアー:それはどのようにして生じるのでしょうか?

スーザン・アトキンス:私の平和がどのようにしてもたらされたのかということですか?私はイエスの救いによって平和を見いだしました。神に赦されたと知るだけで、私は十分です。

インタビュアー:世間の人々はおそらくあなたを許すことはないという事実は・・・

スーザン・アトキンス:はい。

インタビュアー:あなたには影響がない?

スーザン・アトキンス:ないです。なぜなら、私が死ぬ時に直面するのは彼らではないからです。私は神と向き合わなければならないし、神の赦しが私の平和を決めるのです。

ナレーション:21歳のとき、スーザン・アトキンスは世紀の大犯罪の舞台の中央にいた。7年後の今、彼女は自分の人生がより良い目的を持つようになったと語る。それがなければ、彼女はおそらく生きていなかっただろう。あるいは・・・裁判中に記者が書いたように、スーザン・アトキンスはいつか叫びだして止まらなくなるような顔をしていたという。

このインタビューに対する世間の反応は冷ややかなもので、「被害者への謝罪の言葉が一つもない」「責任逃れ」「嘘つき」「サイコパス」という評価がほとんどのようです。確かにインタビュー中の彼女の瞬間瞬間の表情には、まだ抜けきっていない狂気が垣間見えるようで怖さを感じるのと、自分は「敬虔なクリスチャンになった」と信じ込むことで、現実逃避している部分がある可能性は感じました。

しかし、まだ子供だった彼女が、ドラッグによってマインドコントロールされ、空想と現実の境界や善悪の観念を失い、わけもわからずに操られ、気がついたら世紀の大犯罪者として世界中から憎しみを向けられ、おそらく残りの人生を全て刑務所で過ごすことになっていた、という彼女の悲惨すぎる境遇を考えると、軽々なレッテルで彼女を糾弾する気には到底なれません。

刑務所で歳を重ねていく彼女の姿を見ると、ただただ悲しさが募ります。

『60ミニッツ』で放送されたこちらのインタビューは、先程のインタビューからさらに10年後の、おそらく彼女が38歳の時のものです。この動画の概要をまとめると:

ロサンゼルス検察局・地方次長検事スティーブン・ケイの主張:
●スーザン・アトキンスはシャロン・テートを刺殺し、テートの血を飲んで「オーガズムを感じた」と言った。

シャロン・テートの母親の主張:
●スーザン・アトキンスの涙はフェイクだ。芝居だ。
●彼女は心から謝罪していない。

スーザン・アトキンスの主張:
●事件には関与したが、自分は誰も殺していない。大陪審や法廷での証言は嘘だった。自分は殺人者ではなく、傍観者だった。シャロン・テートを殺していないし、血も飲んでいない。
●被害者には言葉では表せない感情を感じている。あまりにも濫用されている「ごめんなさい。許してください。」という言葉では適切に自分の気持ちを表すことはできない。
●マンソンに出会う前の子供時代も幸せなものではなかった。両親はアルコール依存症で、自分は近親相姦の被害者だった。14歳で母親を亡くした。学校での成績も悪かった。18歳で家を出た。
●1年半で350回を超えるLSD体験で頭がもうろうとしていた。その上、毎日のようにマリファナも吸っていた。
●マンソンは人に「自己肯定感」を与えることに長けており、最初はそのカリスマ性に心を捉えられてしまった。自分もその一部になりたいと思ってしまった。
●マンソン・ファミリーの女性たちは、男性の肩を持つことを期待されていた。どういうわけか、自分は全ての責任を引き受ける必要があると感じ、法廷で嘘の証言をした。法廷で社会のシステムや犠牲者を笑ったのは、まだマンソンの洗脳下にあったからだと思う。

もちろん検事やテートの母親の主張というのは、当時の公判記録でスーザン・アトキンス本人がそう言っていた、ということです。しかし、裁判が行われていた当時はまだ、スーザン・アトキンスは明らかにマンソンの洗脳が解けていませんでした。

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マンソンへの忠誠心を持った状態で、ふざけた態度で臨んだ裁判での「証言」が、絶対的な事実として確定し、その後決して覆ることはなかったといのもなんだかおかしいと思いますし、恐ろしいことです。世間は、ドラッグが抜け、マンソンの洗脳が解け、敬虔なクリスチャンになったスーザン・アトキンスの言葉よりも、「マンソンに洗脳された子供」であった時の彼女の言葉の方を信用しました。

そしてこれがさらに20年後、収監から37年経ち、58歳になったアトキンスのラスト・インタビューです。この時点で彼女は脳腫瘍の診断を受け、余命数ヶ月と言われていました。

スーザン・アトキンスはこのインタビューで、37年前に法廷で被害者を侮辱するような態度をとったことは、謝罪し、慙悔し続けるしかないと語っていますが、マンソンを「今でも最も許すことが難しい人間」だと言って顔を歪ませています。そして有罪判決を受けた時に1歳だった彼女の息子を養子に出し、その息子が自分に関する一切に影響を受けることなく、無傷で生きることができるできているというだけを知らされ、とても感謝している、と語っています。

彼女は最後まで檻の外に出ることなく、2009年、61歳で亡くなります。

彼女の獄中結婚した夫(ジェームズ・ホワイトハウス)の存在は、彼女にとって救いだっただろうと思います。彼女が夫に言った最期の言葉は「アーメン」でした。

最初の1978年のインタビューから一貫して、彼女は「誰も殺していない」と言い続けていました。1981年のインタビューでも、彼女は「私は誰も殺していない」と語り、番組側も「実際にテッド・ワトソンは自分が7人全員の殺害を行ったと証言している」と言っています。

このインタビューでも彼女は「法廷で証言をした当時の自分は、仲間から言われたをやらなかった罪悪感と恐怖感を補うために、自分を大きく見せ、自分が犯罪を美化してみせる必要があるという、歪んだ思考に陥っていた」と振り返っています。

これらいずれの動画にも辛辣なコメントがつけられ、彼女は亡くなってもなお、世間のほとんどの人々から冷ややかな目を向けられ、責め続けられていることがわかります。誰もCIAとタヴィストックがMKウルトラでマンソンをマインドコントロールし、マンソンが彼女をマインドコントロールしていたことを問題にしていません。

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彼女はスケープゴートだったのではないかと思えます。

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マンソンズ・ガールズがMKウルトラ計画の一部であったことは、リネット・スクィーキー・フロムがフォード大統領の暗殺未遂事件を起こした事実が物語っています。

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スーザン・アトキンスが亡くなった年に仮釈放を得た彼女は、今でもチャーリー・マンソンを愛していると語っています。

タヴィストックとCIAの繋がりについて、ユースタス・マリンズ氏の『The Secrets of the Federal Reserve』の解説を引用します。これを見ると、ケネディの暗殺、ビートルズ、マンソンが全て繋がってくることがわかります:

(p.298)著者はタヴィストック人間関係研究所(The Tavistock Institute of London)について知った。「人間関係」は人間の行動のあらゆる側面をカバーしており、アメリカ国民の人間行動のあらゆる側面を掌握することが、タヴィストック研究所のささやかな目標である。第一次世界大戦の集中砲火のため、多くの兵士が砲弾ショックで後遺症が残った。1921年、タヴィストック家の第11代ベッドフォード公爵は、砲弾ショックを受けたイギリス兵のリハビリテーションプログラムを計画するグループに建物を提供した。

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タヴィストック研究所は、その恩人の名前をとって「タヴィストック研究所」と名づけられた。英国陸軍の参謀本部は、戦闘状態における兵士の限界点を明らかにすることが重要であると考えた。タヴィストック研究所は、イギリス陸軍心理戦局長のジョン・ローリング・リース卿によって引き継がれた。心理戦の高度な訓練を受けた専門家集団が、完全な秘密主義のもとに構築されたのだ。この50年間で、「タヴィストック研究所」という名前はニューヨーク・タイムズのインデックスに2回だけ登場したが、リンドン・H.ラルーシュや他の権威によれば、このグループは第二次世界大戦中に戦略情報局:OSS(※CIAの前身)、戦略爆撃調査団、連合国遠征軍最高司令部、その他のアメリカ軍の主要なグループのスタッフ全員を組織し、訓練したのであった。

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第二次世界大戦中、タヴィストック研究所はロックフェラー財団の医学部門と結合し、精神に作用する薬物の難解な実験を行った。現在のアメリカの薬物文化は、この研究所が中央情報局(CIA)の訓練プログラムを監修したことに端を発している。「LSDカウンターカルチャー」は、ロンドンのSGウォーバーグが所有するスイスの製薬会社サンドAG(※現在のノバルティス)が、リゼルグ酸から新薬「LSD」を開発したことに端を発している。

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ジェームズ・ウォーバーグ(1910年に連邦準備法を制定したポール・ウォーバーグの息子)は、タヴィストック研究所のアメリカの下部組織である政策研究所(IPS:Institute for Policy Studies)に出資し、その所長であるマーカス・ラスキン国家安全保障会議(NSC)に任命された。

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ジェームズ・ポール・ウォーバーグは、CIAの諜報員にLSDを投与する実験プログラムを立ち上げ、そのうちの何人かは後に自殺した。このプログラムはMK-Ultraと呼ばれ、ゴットリーブ博士が監督し、犠牲者の家族からアメリカ政府に対して巨額の訴訟を起こされる結果となった。

これに関して、つい先日、デイヴィッド・ウィルコックもケネディの暗殺とビートルズの関係について自説を述べていました。

(13:00~)ケネディは明らかにマインドコントロールされた暗殺者によって殺されました。この事件にはとても多くの異常な点があります。私が思うに、ビートルズはアメリカの大衆を鎮静化するのに役立てるために連れてこられたのです。ビートルズの狂乱が始まったのは、ケネディの暗殺からたった約3ヶ月後です。アメリカ中の女性たちが悲鳴を上げていたのは、ケネディが殺されたトラウマの発散だったのです。そして、この時、大衆にマインドコントロールが行われたのだと思います。この時にカバールは、私たちの宗教的、精神的な願望を、政治的な公人から、彼らが完全にコントロールできるミュージシャンに移し始めたのです。

かなり盛大に話が逸れてしまいましたが、CIAとタヴィストックがMKウルトラ計画でLSD実験を行っていたという公文書に裏付けられた事実と、同時期のビートルズの音楽、米西海岸のサイケデリック音楽シーンやハリウッド、マンソン事件との関係が、かなり具体的にイメージできるようになりました。その上で、タランティーノが撮った映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を改めて見てみました。以下はネタバレです。

2時間40分の上映時間のうち、2時間20分は随分とお行儀よく、ノスタルジックにハリウッドを描いているなという印象でした。ラストの20分まではLSDもやらず、サイケデリックな音楽も流れず、スパーン・ムービー・ランチの怪しげなヒッピーたちとは距離を置いた、「品行方正なハリウッド」を印象付けます。そしてラスト20分で「タランティーノ節を爆発させる」、という仕掛けでした。実際に起きた事件とは逆に、ブラッド・ピットがテックス・ワトソンやクレンウィンケル、アトキンスを返り討ちにします。過剰なバイオレンス描写でマンソンズを血まみれに叩きのめし、最後は劇中劇でナチスを火あぶりにしたのと同じ火炎放射器で、デカプリオがスーザン・アトキンスを丸焦げにしてしまいます。そういうファンタジー映画でした。いわば映画の中で「マンソン・ファミリーに対するハリウッドと世間の恨みを晴らした」という形になっており、スーザン・アトキンスは火あぶりにされた魔女という扱いです。きっとアメリカの一般の観客はこれらのシーンを見て大爆笑し、「映画の中で奴らをよくやっつけてくれた!」「ハリウッドは映画で復讐した!」「これぞ映画の醍醐味!」と溜飲を下げたのでしょう。しかしスーザン・アトキンスがスケープゴートだったとしたら、これは死者に鞭打つ行為です。臆病者のように本当の闇には触れず、表面的で偽善的な映画だと思いました。タランティーノは何か弱みでも握られているのでしょうか?

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4.MKウルトラとポップスター

ビートルズの時代から50年以上経って、MKウルトラはより公然と様々なポップ・アイコンに対して行われ、イルミナティの広告塔として利用するようになりました。

これはもう数が多すぎて、例を挙げればキリがないレベルまで蔓延していることです。いまやヒットチャートの多くの「アーティスト」は、そのスターダムと引き換えに、イルミナティのシンボル満載のミュージックビデオを撮り、サタニズムを宣伝しています。

ケイティ・ペリーの「ダークホース」に代表される音楽のイルミナティへのこだわりを簡単な年表で紹介

ビヨンセがメイ・マスクを自身のミュージックビデオに出演させていたのを覚えているでしょうか。

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これは黒魔術の大先輩へのリスペクトからだったのかもしれません。ビヨンセは7年間一緒だったバックバンドのメンバーの女性からこんな告発を受けています。

ビヨンセの元ドラマーが、当該歌手から「黒魔術」「極端な魔術」で性的虐待を受けたと主張

女性ラッパーの中には「私こそ本物の魔女」と主張する人まで出てきて、まるで魔術師であることが音楽業界でのステータスであるかのような、わけのわからないところまでいっています。

「本物の魔女は本物のことをする」Azealia Banks、「3年間ニワトリを生贄にした」後、クローゼットから羽と血を掃除する奇妙なビデオを公開。

テイラー・スウィフトがアントン・ラヴェイの娘にソックリだと噂されるようになった(2016年)のも、彼女の音楽性が闇に落ちたからだと思います。

それまで子供から好かれるカントリー・シンガーだった彼女が、2014年にガラリと作風を変えた『1989』というアルバムをリリースしました。

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「80年代に影響されたシンセポップやダンスポップ」なんて良いものではありません。どこを切っても人工甘味料のような単調で後味の悪い下品なメロディに、デジタル処理で個性を殺されたボーカル、焦燥感や不快感を煽るサウンド。とても聞くに堪えない代物です。しかし、このアルバムはとにかくヒットして記録を塗り替え、賞を与えられました。

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人々にとって彼女の音楽が美しくて心地よいものであったら、彼女とサタニストのジーナ・ラヴェイを結びつけようというは思わなかったでしょう。この作品が、潜在的に人々に何か禍々しいものを連想させたのだと思います。それくらい、聞く人の精神を蝕むような、聞いていると気が変になりそうな、不快な音です。このアルバムを手掛けたマックス・マーティンは金太郎飴のように全く同じような呪術的サウンドを量産し、チャートのトップを席巻させています。

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スウェーデン出身のマックス・マーティンにはアメリカの弟子のドクター・ルーク(Lukasz Gottwald)というヒットメーカーがいて、よく一緒に仕事しています。

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そしてこの2人に共同プロデュースされたことのあるケリー・クラークソンは、意味深な発言をしています。

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世界中の音楽業界でこのような話はごろごろしているでしょう。また、あらゆるエンターテイメント業界、大衆文化の世界で同様の話があるでしょう。そこから生まれた作品は隠しきれない汚臭を放っているものですが、ケリー・クラークソンの言葉からもわかるのは、そういった作品こそがレコード会社によってゴリ押しされているということです。そしてそれが「今売れている」という刷り込みがテレビで行われ、主流メディアの権威を信じる人々はそれを「良いもの」として受け入れ、感性が鈍化されます。かくして巷では低い波動が優勢に保たれます。兵器化された流行音楽。兵器化された大衆文化。それは兵器化された食品と同じ様に有害なものであり、特に若者の精神に悪影響を及ぼしていると思います。もちろん良い作品を生み出しているアーティストもたくさんいるのですが、レコード会社やメディアはあまり積極的に宣伝したがりません。

ホロヴィッツ博士のこの言葉を覚えているでしょうか。

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5.アストロワールドとモロク

ビートルズの時代から50年以上の時を経て、コンサートがいよいよ本格的な悪魔的儀式虐待の場と化した、象徴的な出来事がありました。

「悪魔的だった」-8人を殺害したアストロワールド・コンサートの観客が、悪魔の儀式のようだったと主張(動画あり)

ラッパーのトラヴィス・スコットのパフォーマンス中に8人が死亡、その他300人以上のコンサート参加者が負傷した「アストロワールド」コンサートは、まるで悪魔の儀式のようだったと、コンサートの参加者は主張している。

スコットは金曜日のパフォーマンス中、救急隊員が蘇生させようとする中、ファンが地面に倒れるのを見ていた。 しかし、ショーは止まらなかった。

ツイッターの声「トラヴィス・スコットが、亡くなってしまったらしい人を見下ろして歌う姿は、ここしばらく見たことのない不気味なものでした。」

その代わりに、ダークな映像を見せて最高潮に達し、スコットはさらに30分ほど演奏した。

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アストロワールドの参加者は、コンサートを終えた後に公開したビデオで「悪魔的だった」と警鐘を鳴らした。

「まるで、文字通り、地獄にいるような感じだったよ。地獄のコンサートにいるような感じだった。息ができない。目が見えない。今夜、あの群衆の中にいて、誰も見えず、誰の声も聞こえず、気絶した人たちがいたということを想像してみてよ。そして、コンサート中、みんなが彼らを踏みつけていたんだ。」と彼は言った。

「多くの死体が横たわっていた。気絶した人たちは引きずり出されていった。コンサートスタッフは彼らに心肺蘇生を施そうとしたかれど、彼らをひっくり返すと、文字通り黒や青い顔に変わっていたんだ。俺の人生で死を目撃したのは初めてだ!」と彼は続ける。

「あれは悪魔の仕業だ。トラヴィス・スコットに伝えようと『助けて!』と叫んでいた人たちもいた。観客全員が『助けて!』と叫んでいたのに、彼はそのまま歌い続けていた。怖かったよ。悪魔的だった。」と彼は言った。

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※作者不明『キリストの地獄への降下』1575年

スコットは、観客席で死亡した一人を救急隊員が運び出すのを見ながら歌い続ける姿をビデオに撮影されているが、日曜日に、人々が危険にさらされていることを認識していればショーを中止していたと主張した。

「私のファンは私にとって本当に大切な存在で、私はいつも、彼らにポジティブな経験を残してあげたいと思っています。」と、目を閉じてやたらと額をこすりながら、スコットはTwitterで声明を発表した。「何か起こっていることが分かればいつでも、ショーを中断して、彼らが必要とする助けを得る手助けをしたいと思っているさ。俺はただこの状況の深刻さを想像できなかっただけなんだ。」

このラッパーは本名をジャック・バーモン・ウェブスターといい、現在、群衆の中で負傷したコンサート参加者から提訴されている。

スコットは、地獄のような炎の山と、観客を見つめる巨大な目玉の前に立ち、ショーを開始した。

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山の穴は、コンサートの間に、螺旋状のポータルに変化していった。(※「あの世で会おう」のメッセージ)

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観客の中には、周りの人が失神するのを見て、演奏を止めるように求めてステージに上り始める人もいたが、結局止められなかった。

スコットの演奏は、巨大な手がポータルを包み込む形で締めくくられた。

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ヒューストン警察署長のトロイ・フィナーによると、警備員を含むコンサートの参加者たちが、未知の物質を注射されたという。

「フィナー署長は、このイベントの警備員は、観客を抑制しようとしていたときに、正体不明の加害者に首を刺されたように感じ、すぐに意識を失ったという。警備員はナルカン(ナロキソン)を使用することで蘇生し、医療関係者は確かに彼の首に注射器で刺された跡を見たという。」とTMZは報じている。

亡くなった8人の遺体は、死因を特定するために解剖が行われている。

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アストロワールドを宣伝する画像には、人々が「別の宇宙」に吸い込まれる様子や、主流メディアが「陰謀論」の烙印を押す悪魔のオカルトである「イルミナティ」に関連するシンボルが示されている。

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アストロワールドの公演の数日前にスコットは、『Escape Plan』という曲を発表した。この新曲に添えられたアルバム・ジャケットには、スコットがウィークリー・ワールド・ニュースの 「バットボーイ (コウモリ少年)」として、「真のディストピアはここにある!」という見出しとともに描かれている。

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「真のディストピア」に招待しておいて、何が「ポジティブな経験を残してあげたい」だ!という感じですが、まあ、こんなコンサートに行く方も悪いです。怖いもの見たさやごっこ遊び、日本人がハロウィン・パーティをやるようなイノセントな愚かさと同じなのかもしれません。

以前、コーリーはこんなことを言っていました。

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これは異なる次元や密度の境界が曖昧になっているということではないかと思うのですが、私自身、数年前から「ホラー映画を見ることが危険になってきた」という実感があります。最初にこれを感じたのは公開から何年か経ってから見た『The Fourth Kind』という映画で、冷や汗をかいて具合が悪くなり、本当に呪いのビデオではないかと思いました。それまでホラー映画はわりとよく見ていたので、耐性がなかったわけではありません。むしろ、『SAW』シリーズや『FUNNY GAMES』を見てベジタリアンになる決心がついた過去から、ホラー映画は生半可なスピリチュアル・メッセージよりも「目覚め」の促進になると思っていたくらいでした。しかし、2012年以降でしょうか?何年か前から、メリットよりもリスクの方が大きくなったような気がして、もうわざわざ精神的なダメージまで受けてまで見る必要はない、と思うようになり、全く見なくなりました。しかし、それからしばらくして、Qムーブメントをきっかけに悪魔的儀式虐待について調べたり、アレイスター・クロウリーやジャック・パーソンズについて調べたりしていた流れで、久々に見てしまったのが『Hereditary』でした。これは過去の記事でも何度か言及していますが、本当に腹立たしいほど嫌な映画で、共感能力が強い人は本当にトラウマになると思います。「悪魔的」なエンティティにポータルを開いてしまうような映画であり、本能的に危険だと感じましたし、見た後は体調もおかしくなり、その晩は酷くうなされました。

だからトラヴィス・スコットのコンサートで失神したり、(人為的に注射で殺された可能性もありますが)亡くなった人がいるというのは、十分に理解できます。低い波動の中に身を置くことは、本当に体に悪い時期に入っているのだと思います。

そしてさらに、このアストロワールド・コンサートの映像に、観客席に飛び込んでいく悪魔的なエンティティが写っていると指摘する動画がTiktokに上がっていました。Tiktokの荒い画質ではよくわからないので、これを検証するために、オリジナルの高画質動画を入手し、拡大してみたのが以下の動画です:

はっきりとした人の姿が両手を振り上げて観客の中に飛び込んでいるのがわかります。しかし、立ち見の観客のはるか頭上です。垂直跳びの世界記録は122cmですから、それよりもはるかに高い位置に飛んでいることの異常性に気がつきます。さらに着地点にいる観客が全く動じている様子がないのも変です。皆さんはどう思われるでしょうか?とても不可解な現象です。

6.メトロポリス

さて、メイ・マスクとMVで共演し、「黒魔術」で同僚に虐待を行ったとして告発を受けていたビヨンセに関連して、もう一つ言及しておくべきことがあります。

ビヨンセは映画『メトロポリス(1927年)』に出てくる大淫婦バビロン、アンドロイドのマリアの衣装でステージに立っていました。これが持つ意味はとても重要です。

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映画『メトロポリス』のオカルト象徴主義とポップカルチャーにおけるその重要性 Vigilant Citizen(2011年)

フリッツ・ラングの1927年の映画『メトロポリス』は、時の試練に耐える不朽の名作である。『メトロポリス』は、忘れ去られ時代遅れになるどころか、その予言の多くが現実となりつつあり、ますます重要性を増している。今回は、この映画の根底にあるオカルト的なメッセージと、レディー・ガガ、マドンナ、ビヨンセ、カイリー・ミノーグなどのポップスターの活動にそのイメージが使用されていることについて見ていきたい。

『メトロポリス』は、ドイツ表現主義の巨匠フリッツ・ラングが1927年に発表したサイレントSF映画である。近未来のディストピアを舞台に、頭脳集団と労働者という2つの階層に分かれ、対立する2つの存在の葛藤が描かれている。1927年の作品であることを考えると、この映画を今日見ることは、多くの「SF」的な側面が不気味なほど現実に近いことを知る体験である。『メトロポリス』は、「新世界秩序」がすでに実施され、一部のエリートが贅沢に暮らし、人間性を失った大衆が高度に監視された地獄で働き、暮らしている社会を描いている。

The Vigilant Citizenの以前の記事で見たように、『メトロポリス』は大衆文化、特に音楽産業の中で過剰に反響(※エコーチェンバー)されている。ミュージックビデオであれ写真撮影であれ、ポップスターはしばしば、労働者のモラルを腐敗させ、反乱を扇動するようプログラムされたアンドロイド、マリアというキャラクターとして描かれ、エリートに暴力的な弾圧を行う口実を与えているのだ。ポップスターも同じように、大衆のモラルを堕落させるためにエリートによって利用されているのだろうか。

映画の分析
労働者

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(シフトを交代する労働者たち)
映画は、地中深くに位置する労働者の都市の様子から始まる。彼らは同じ服を着て、息を合わせて歩き、頭を下げて服従し、諦め、絶望している様子が描かれている。映画を通して、人間の家畜は肉体的にも精神的にも疲れ果て、感情を誘発されやすく、言ってみれば全面的な馬鹿であることが描かれる。羊の群れのように、労働者たちは群れをなして動き、すぐに感情を誘発され、簡単に騙される。この大衆の描写は、5年前(1922年)に『世論』の中で、一般大衆を自らの運命を管理する資格のない「当惑した群れ」にたとえたアメリカの思想家ウォルター・リップマンの描写と一致している。ナチス政権の宣伝部長だったヨーゼフ・ゲッベルスも、この映画の一般大衆の概念と調和している。ヒトラーの有名な言葉に「人間が考えないということは、指導者にとってなんと幸運なことだろう」というものがある。

労働者は怪物のような機械の中で労働し、地獄のような工業団地で反復的で非人間的な仕事をこなさなければならない。ある時、この機械はモロクに例えられる。モロクは古代セム族の神で、人間を生け贄に祭られていた。

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(フレダーセンは、機械がモロクに変わるヴィジョンを見る。労働者は人身御供として獣に食われる。)

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労働者が引き受ける仕事は、純粋に機械的なものであり、頭脳の力を全く必要とせず、機械の延長線上にあるものに過ぎない。

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(労働者は、繰り返される気の遠くなるような作業をこなし、人間らしさを奪われていく。)

頭脳集団(考える人々)

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(頭脳集団の煌めく街)

労働者が地獄のような地下のディストピアに住んでいるとすれば、頭脳集団は反対に、人類の偉業の証である煌びやかなユートピアに発展しているのである。しかし、この輝く都市は、機械(モロク)とその群れの労働者の存在なしには維持できない。一方、機械も都市を維持する必要性なしには存在し得ない。このように、相反するものが互いに依存しあって存在する二元的な関係は、オカルト的な意味合いも含んでいる。

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(この映画では、「As Above, So Below:上にあるものは下にあり、下にあるものは上にあるものと同じである」という密教の公理をうっすらと引用して、頭脳集団と労働者の住む、鏡のような、しかし正反対の環境が描かれている。)

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(ソロモンのハーメチックシールは、「As above, So below」のコンセプトを視覚的に表現し、相反するエネルギーが互いに鏡写しして完璧なバランスを達成することを表現している。フリッツ・ラングの世界観は、このコンセプトを完璧に再現している。)

半神半人としてのジョー・フレダーセン
この都市は、独裁的なジョー・フレダーセンによって設立され、建設され、運営されている。メトロポリスの創造者であり唯一の支配者であるフレダーセンは、グノーシス主義のデミウルゴス(物質世界の創造者であり支配者である半神)になぞらえている。

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(次の一手を考えているフレダーセン。彼はコンパスを持ち、メトロポリスの「偉大な建築家」としての彼の役割を視聴者に思い起こさせる。)

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ウィリアム・ブレイクは、グノーシス主義のデミウルゴス、創造主、罪と苦しみが蔓延する不完全な下層次元の支配者を表現した。コンパスは、「宇宙の偉大な建築家」としての神を意味するフリーメーソンのシンボルから借用したものである。)

ジョーの息子フレーダーは、経営者の息子らしく、贅沢な生活を楽しんでいたが、下界の労働者の厳しい現実を知ることになる。フレーダーは、労働者の現実を直に体験したいと思い、下層に降りて労働者と入れ替わる。そこでフレーダーは、キリストのように上から降りてくる救世主のような存在になる。そして、プロレタリアート出身の聖女のような若い女性、マリアに心酔していく。

マリア

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(労働者に説教するマリア。)

マリアは仲間から慕われるカリスマ的な女性である。彼らの苦しみと絶望を理解し、反乱が起こることを知ったマリアは、平和と忍耐を説き、「頭(頭脳集団)と手(労働者)の間の心」となる「調停者」の到来を予言するのであった。

ある時、マリアはバベルの塔の話をする。その塔には、文字が書かれていた:
「偉大なるは世界とその創造主!そして人間は偉大である!」

この言葉が深く共鳴しているのは、ミステリースクールにおける、人は悟りを開くことによって神々になる可能性を持っているという教えである。時代を超えて、モニュメントや建築物は、秘儀の原理を伝え、人間の心の偉大さを称えるために使われた。そうした理由もあって、フリーメイソンとバベルの塔の間には数多くのつながりがある。

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「メイソンに関しては、バベルはもちろんメーソンの事業であり、初期の解説者たちはその事実から十分な利益を得ていた。彼らは、「同じ言葉と同じ言語」を持つ人々が、マスターメイソンとして試され証明された人々のように、東から西へと旅をしたことを覚えている。そして、シナルという土地にたどり着いたとき、そこにノアキデ(ノアの息子たち)という名前で住んだとされている。彼らはこの地に「混乱」の高い塔を建てたのである。しかし、悪から善が生まれる。言語の混乱は、「メイソンが言葉を使わずにメッセージを交わす古代の慣習」を生み出した。(アーサー・エドワード・ウェイト、『A New Encyclopedia of Freemasonry and of Cognate Instituted Mysteries: Their Rites, Literature and History, Volume I(フリーメイソンとその関連教団秘儀の新百科事典:その儀式、文学、歴史、第1巻』)

しかし、マリアは言う。「一方にとっての賛美歌が、もう一方にとっての呪いになってしまった。」つまり、人間の精神の偉大さを讃える記念碑は、「頭脳集団」の壮大なビジョンを何も知らない労働者の血と汗で建てられたということだ。そして、この映画では、同じことが繰り返されている。半神ジョー・フレダーセンの司令部の名前はもちろん......「新バベルの塔」だ。

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ロトワング

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(ロトワングのトレードマークである機械仕掛けの右手は、実験中に失った右手の代わりとなる。これは、発明家が「左道」を歩むことを意味する象徴なのだろうか。)

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労働者たちが反乱を計画していることを知ったジョー・フレダーセンは、発明家でありマッドサイエンティストであるロトワングに助言を求める。ロトワングは最新のテクノロジーを駆使しているが、映画の中では古代のオカルト的な知識も駆使して発明をしていることを示す多くの手がかりがある。また、彼の家の地下には2000年前の地下墓地に通じる秘密の仕掛け扉があり、ロトワングの古代に遡る神秘的な源流をさらに暗示している。さらに、彼の家の玄関には、ピタゴラス学派、オカルト、フリーメーソンにちなんだ五芒星が描かれている。

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(ロトワングの扉に描かれた五芒星。ピタゴラスの弟子たちは、互いを認識する秘密のしるしとして、ドアに五芒星を貼り付けていた。この合図とその意味は秘密のままであった。それはピタゴラスの幾何学に入門した者だけが正しく描くことができ、ピタゴラスの幾何学の象徴であり、その神秘への入り口である五芒星に深い意味を見出すことができたからである。)

現実の世界に例えるなら、ジョー・フレダーセンにとってのロトワングは、エリザベス1世にとってのジョン・ディーのようなものだ。科学、魔術、占星術、ヘルメス哲学の世界に精通し、重んじられた助言者である。

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フレダーセンが世界の支配者であるならば、ロトワングは意思決定のためのオカルト的なペンダント(相談役)であり、一般には隠されているが歴史的には常に実在している神秘的な存在である。

ロトワングは、フレダーセンに最新の発明品である「マシンマン(機械人間)」を誇らしげに見せるが、彼はそれを「未来の人間」と考えている。このアンドロイドは、どんな人の姿にもなることができ、ロトワングは「誰もマシンマン(アンドロイド)と生身の人間を見分けることはできないだろう!」と言う。トランスヒューマニズムの夢は、1920年代初頭にはすでに存在していた

フレダーセンはロトワングに、マシンマンにマリアの似姿を与えて、彼女の信用とカリスマ性を利用して、労働者の間に腐敗を広めるよう指示する。

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(ロトワングがアンドロイドに似姿を与えている間、横になっているマリア。マシンマンの頭の真上にある逆五芒星に注目。正の五芒星が癒し、数学的完全性、五大元素を表すとすれば、逆さまの五芒星はそれらの原則の堕落と黒魔術を表しているのである。)

では、支配者によってプログラムされ、科学とオカルトをミックスしたこのアンドロイドと、今日のポップスターの共通点は何だろうか?まあ......すべてだと言えるだろう。

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ビヨンセ

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カイリー・ミノーグ

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レディ・ガガ

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レディ・ガガ
デイヴィッド・ラシャペルによる写真はメトロポリスから多大な影響を受けている(※衣装は今年1月に亡くなったティエリー・ミュグレーによる)

QUEENのレディオ・ガ・ガのMVはメトロポリスの映像が使われている
レディ・ガガの名前の由来はこの曲である

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アンドロイド・マリアの顔がフレディ・マーキュリーに

ジャネル・モネイ

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メトロポリスのテーマはファッションの世界でもよく見られる

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映画の話に戻る。アンドロイドが完成し、ロトワングが命令する:

「地中深くにいる者たちのところへ行け。お前が造られる元となった女の成し遂げたことを破壊するために!」

ロボット・マリアが反応する:

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(悪魔のような笑みを浮かべて閉じた片目。片目の重要性はすでにご存じだろう。それを見せるポップアーティストがとんでもない数いることも。)

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そして、マリア型アンドロイドは、男性用クラブ「吉原」に派遣され、エロティックなダンスを披露する。その中で、彼女は黙示録の大淫婦バビロンとして描かれている。

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(黙示録の大淫婦バビロンの役割を演じている。「女は紫と緋色の衣をまとい、金の杯を手にしていた」。彼女は7つの大罪によって支えられている。)

このシーンを見て、ミュージックビデオの古典を思い浮かべただろうか?

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マドンナの『マテリアル・ガール』。ここで彼女が大淫婦バビロンの役を演じていたことに、どれだけの人が気づいただろうか。

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(アスタルトとアシュター・コマンドは関係しているのか?)

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(セトと言えばマイケル・アクイーノ(マイケル・アキノ)のセトの寺院

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プログラムされたマリアは、熱心な大衆の前で魅惑的な踊りを披露し、男たちに喧嘩、欲望、嫉妬、そして残りの大罪を犯させる。労働者仲間と一緒にいるとき、マリアは「エージェント・プロヴォケーター:(権力者側の挑発目的の)回し者/手先」として働き、労働者たちの暴動を煽り、ジョー・フレダーセンに武力を行使する理由を与える。彼女は基本的に、大衆の最善の利益に反して、エリートの利益のために行動しているのである。

労働者たちは、監督官の助けを借りて(彼らは自分で考えることができないので)、最終的にアンドロイドに惑わされていることに気づく。彼女を魔女と信じ、ロボット・マリアを探し出し、火あぶりにする。

映画はこのようなキャプションで締めくくられる:

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「頭脳と手の調停者は心でなくてはならない!」
この「物語の教訓」は基本的にエリートへのメッセージであり、大衆を抑制するためのヒントである。抑圧された人々を満足させるためには、彼らの心をとらえなければならないそれがメディアの仕事である。

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「心がなければ手と頭の間に理解は生まれない」
マドンナの『Express Yourself』のビデオは、『メトロポリス』からイメージを大きく借用している。

また、クリスティーナ・アギレラの『Not Myself Tonight』は、『Express Yourself』から多大な借用をしている。

物語の教訓
『メトロポリス』の物語の教訓は、「すべての不公平をなくして、誰もが平等な世界を作り直そう」ではないし、「民主的になって、支配者になる人を投票で決めよう」でもない。むしろ、「労働者を本来いるべき深みに送り返そう。ただし、労働者と頭脳集団をつなぐ調停者を加えよう。」ということなのだ。つまり、結局のところ、この映画は、資源の大半を保有し、労働者階級を管理するエリート集団の存在を依然として求めており、本質的に「エリート主義」なのである。結局、労働者は、そしてフレーダーは、自分たちの状況が変わると信じて、騙されたのである。実際、現状は変わらず、ジョーは世間知らずの息子を利用して、エリートに親しみやすいイメージを持たせながら、深層で起きていることをすべて報告させ、結果的に監視と管理を強化することになったのである。

今日の労働者階級のフレーダーは誰なのか?メディアだ。メディアはメディエーター(調停者)である。それこそがその機能なのだ。

今そのメディアで話題を独占し、「エリートに親しみやすいイメージを持たせ」ている人物は?皆さん同じ顔を思い浮かべたことでしょう。

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(「手と頭」、「働く人(労働者)と考える人(頭脳集団)」をつなぐフレーダー。この役割は、今日、メディアが担っている。)

マスメディアは日常的に大衆の思考と感情を操作し、人々を騙して自身が受けている抑圧を大好きにさせる。大衆文化はマスメディアの娯楽部門であり、ポップミュージックはエリートのメッセージを若者に伝えるための楽しい方法である。ポップミュージックにおけるメトロポリスへの言及は、ほとんど、知る人ぞ知る、秘密クラブ入会者たちへのウィンクと同じであり、あたかも「このスターは我々のために働いている」と言うようなものである。だから、どうぞ、ビデオのように、無知で堕落した物質主義者になりたければなればいい......それが彼らの望むところなのだ。

メトロポリスと今日のポップカルチャーの類似
しかし、なぜ『メトロポリス』なのだろうか。なぜそれが「イルミナティのスター」の暗号になっているのだろうか?このサイトの他の記事を読んだ人なら、この映画が今日の「イルミナティ・アジェンダ」のテーマすべてに触れていることに気づいただろう。トランスヒューマニズム、マインドコントロール、闇のオカルト、モラルの低下、警察国家、すべてを見通す政府などだ。『メトロポリス』は、基本的に人口コントロールのための青写真である。マリアと同様に、今日のポップスターは労働者階級から集められ、隠された支配者の代弁者になるように文字通りプログラムされ、作り直される。多くのポップスターが、名前も性格も異なるワイルドな分身を持っている(※オルター・エゴ)ことに注目してほしい。スターの役割のひとつは、音楽やビデオを通じてエリートのアジェンダを宣伝し、セクシーで魅力的なものにすることなのだ。

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結論
『メトロポリス』は、間違いなく「エリートによる、エリートのための」映画である。世界を管理する人々の懸念に取り組み、現状を乱すことのない解決策を提示している。また、この映画にはメーソンの象徴性があり、適切な秘密クラブ入会者によって解読されることを意図した、古代の神秘に言及するシンボルが多く含まれている。つまり、この映画は支配階級を主なターゲット(視聴者層)にしていたのである。

では、なぜ歌い手たちはこの映画が好きなのだろうか?まあ、おそらく裏方、監督、イメージメーカー、音楽ビジネスで力を持つ人たちほどは好きではないだろう。スターが何をし、何を主張するかは、彼らが決める。そして、今日の大衆文化はエリート主義で、イルミナティの象徴が浸透し、モラルの低下と伝統的価値観の堕落を促進しているのである。私たちのポップスターは、プログラムされたアンドロイドであるマリアを舞台を通じてチャネリングし、同じ機能を達成している。他にどういう理由で彼女のような服を着るのだろうか?もしアーティストが常に絶対的な自由と創造性を体現しているなら、なぜ歌手はマインドコントロールされたアンドロイドの役割を演じるのだろうか?なぜなら、それが彼女らの正体だからだ。

『メトロポリス』は確かに偉大な映画だ。公開から80年経って、ようやくその本当の意味がわかってきたほどだ。しかし、もし、エリートが自分たちの思うように事を進めていくなら、この映画は今後、さらに重要な意味を持つことになるだろう。

The Vigilant Citizenによる拍手を送りたくなるような良記事でした。そして2011年のこの記事が予言していた通り、さらに約10年が経った今、ますます『メトロポリス』が重要な意味を持ってきたことは誰の目にも明らかです。

ちなみに、記事で紹介されていたレディ・ガガの『メトロポリス』の写真を撮ったデイヴィッド・ラシャペル(David Lachapelle)は、トラヴィス・スコットの『アストロワールド』のアートワークを手掛けた人でした。

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後編に続く

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