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アイスランドから見る風景:vol.19-1 アイスランドで簿記を勉強する -前編-

アイスランドでは、再就職やキャリアアップを念頭に、再度教育機関に足を向ける社会人が多い。高校・大学の卒業後に就職をしてはみたものの、仕事に慣れて業務がルーティン化するにつれて、この国の人たちはキャリア転換や転職を考えるようになる。アイスランドにおいては、育児休暇や職場での昇進・昇給の頭打ちが、キャリア転換の機会になる。アイスランド人は転職に対する抵抗感はまったくない。転職した、と報告すると「そりゃ、おめでとう」という返答が返ってくるお国柄だ。

社会人の再教育の目的は、高等専門知識や異職種知識、または仕事で役に立つPCスキルの取得である。高校を中退した人たちは、大学入学の前提条件になる高校卒業資格を目指す。大卒者は、異なる学部に編入、もしくは大学院の修士・博士課程に席を置く。アイスランドでもMBAは人気だ。以前は海外留学が必須だったが、今日では国内の公立・私立大学でMBAを取得することができるようになった。どの学部の学士だろうと、それに経済の知識がプラスされれば、どんな職場でも歓迎されることは間違えない。

学校をどのように生活の中に組み入れるか、その形態はいろいろだ。仕事を完全に辞める人もいれば、勤務時間と給与を減らして学業と仕事を両立しようとする人たちもいる。育児休暇を利用して、乳飲み子を抱えながら大学に行く女性も多い。特にコロナ禍でオンライン授業が日常化した今では、育児と再教育の両立が容易くなったことは言うまでもない。そもそもアイスランド人は、通勤にそれほど時間を割く国民ではない。それでも自宅にいながら両方をこなすことができるのだから、これ以上に有効な時間の使い方はないだろう。

再教育にかける時間は、平均的におおよそ1~2年くらいだろうか。それ以上の期間になると、近い将来の再就職を前提にというよりも、人生そのものの設計図を大きく変える本格的な再教育になるように思う。

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旅行業界が停滞して2年目の冬、会社でお願いしている会計事務所の人にこう言われた。「あなた記帳はできるのだから、この機会に簿記の知識を深めたら?」ちなみに、彼女は一番目の息子の小学校時代の同級生のお母さんだ。(狭い社会である…。)「あなたの記帳は、会計の仕事を職業にしている人たちよりも、整理整頓されていてきれいよ。あんまり直すところないもの」

いや、それはそうなのだ。アイスランドでは、会計期間は1月1日から12月31日、その後はその年度の決算報告書を税務署に送らないといけない。必要な書類をきちんと用意しておかないと、訂正や別途必要書類の作成に時間がかかり、その分会計士に支払う金額も高くなる。このコストを抑えるに必死なので、記帳や必要書類の保管もできる範囲で丁寧に行ってきた。

そのときは簿記ねえ、と聞き流したが、おだてられて悪い気はしない。興味半分にネットで会計を学べるアイスランドの教育機関を調べているうちに、何となくその気になってきた。

一番初めに目についたのが、国立アイスランド大学の社会人講座だ。しかし、すでに基礎コースが始まっていた上に、対面式ではなくすべてオンライン授業だった。オンラインは結構だが、対面授業のチョイスもないと困る。画面で説明されても分からないかもしれない。なんせ、授業はすべてアイスランド語なのだ。一見して外国人と分かれば、先生も授業の内容をさらに分かりやすく説明してくれるかもしれない、という淡い期待もあった。その理由から、この講座は却下した。

次に見つけたのが、私立レイキャヴィーク大学の春から学べる講座だった。対面授業とオンラインが選べたが、内容が少し学術的で、実践に即していないように思えた。会計と簿記の根本を理解するにはいいかもしれないが、同時に今使っている会計ソフトをもう少し上手に使いこなしたい。ソフト入力という実技が伴えばさらにうれしい。

そんな思惑と要望もあって、わたしは再度前出の会計士さんに連絡を取った。学校に関する質問をして、その回答に請求書を出されると痛いので、「友達としてアドバイスして」と、念のために前置きをするのを忘れなかった。すると、この専門学校に行くといいという短いメールの返答があった。勧められた学校の授業内容に目を通してみると、確かに悪くない。会計ソフトを実際に使う授業時間も確保されているのは、大きなプラスだ。学術的なレベルはともかく、2つの大学のコースよりも実践には即しているように見受けられた。

専門学校の教室。簿記以外もMicrosoftのプログラムやWEB作成・デザインなども学べる。

1年の簿記コースは、初級、中級、自営業のための短期講座、簿記試験準備講座の4部から構成されていた。通しで参加することも、4つの講座の中から1つだけ選ぶこともできるようだ。初級を取らないと中級講座には参加できない、というような条件もない。わたしは、初級を試してみて面白くなったら続けようと決め、まずは1講座の申込書を送った。

授業は3時間が週に3回、午前の授業か夕方の授業を選択できた。各コース、アイスランドの祝日を挟みながら約2か月半の期間だ。午前中のほうが頭はしっかりしているが、仕事がある。夕方だと疲れているのは確実だが、1日は土曜日だ。同じ授業内容なので、状況に応じてどちらの授業に出てもいいのではないかと思い、学校に問い合わせをしてみると、先生の許可さえ下りれば、午前と夕方のコース間の行き来は可能と回答を受けた。「ストリーミングもするから、天気や体調が悪いときは自宅での授業もOKよ」とアドバイスを受ける。融通が利くのは、さすがアイスランドである。

初級の先生は、アイスランドの税務署で30年以上も働いていたベテランだった。税務署を辞めた後もリタイヤなどはせずに、独立して会計士の仕事を請け負っている女性だ。初対面では、ぱっと見た外見から、あっ、おばあちゃんだ、と思ったが、生徒(と言っても5人くらいが教室で、他の生徒はオンライン)たちを見回す眼が鷹のように鋭く光り、これは侮れないと気を引き締めた。そしてその予想通り、その後あらゆる場面において、先生は長年培った華麗なるノウハウを披露してくれたのだった。

マイクロソフトオフィスのTeamを使えることが、オンラインでの授業参加と宿題提出の前提ということで、まずはこのプログラムの洗礼を受けた。それからエクセルだ。その後、中学校でやったような懐かしい数式を一通りエクセルを使いながら学ばされた。日本大使館からいただいた息子たちの教科書を見た時にも感動したのだが、義務教育は本当にすばらしい。この基礎さえあれば、基本的に簿記に必要な算数はクリアできるのだ。ちなみに、アイスランドでは電卓よりもエクセルで計算し、授業に電卓を持ってきたのは何とわたしだけだった。シャカシャカという電卓の音を授業中に耳にすることは一度もなかった。

アイスランドの簿記も複式簿記である。これは初級のコースを終えた後、日本の簿記はどうだろうかとネットで調べているうちに同じだと知り、それならついでに日本の簿記3級も受けてみようかと平行して勉強し始めて分かったことだ。

アイスランドでは仕訳を理解するのに、まずはT字勘定を学ぶ。日本で言う総勘定元帳が第一歩だ。それも文章ではなく、即座に証憑を見ながら、総勘定元帳に記入していく。その後は、エクセル入力だ。日本と同じようにややこしいのが、給与計算と税金である。しかし、習うより慣れろで、エクセルの表を理解はともかく、手作業で埋めることが先決だった。同じように決算整理仕訳もするのだが、まずは何よりも手順から。練習目的で、各月の試算書、損益計算書と貸借対照表を作らされた。

自分の会社の記帳をアイスランドの会計ソフトを使って長い間行っていたので、借方・貸方や仕訳の勘定科目の理解はあった。証憑に通し番号を付けて、いつでも記帳内容と照会できるようにバインダーも作って来た。その経験があってこそ、わたしの場合は授業内容が理解できたのだと思う。これがゼロから会計をアイスランドで学ぼうと思ったら、経営学を専攻できる大学でならともかく、この専門学校では難しかっただろう。なぜなら、即戦力として使えるようにするために、学術的な理解よりも実務が先行されるからだ。短い講習期間に職場で使えるノウハウを生徒に身につけさせねばならない。

おばあちゃん先生は、長くこの学校で教鞭を取っていたので、その折り合いがよく分かっていたように思う。エクセルでの決算整理仕訳の答え合わせをしながら、「各勘定科目を、費用、収益、負債、純資産に即時に区分することができるようになったら、簿記の理解は早い」と何度も繰り返して言った。会計のコンセプトを理解し、自分でエクセルを使って表の作成と計算ができれば、最終的にはどんな会計ソフトでも使いこなせるようになる。極端な話、会計ソフト自体エクセルで代用できてしまう。ただ実際には、すべてをオンライン化するアイスランドでは、会計ソフトを使っていない会社はないので、会計学の知識はそこまで要求されないのだろう。

後編に続く….

 

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