Notes of a Dirty Old Man For Introduction

そう、中学を転校して卒業するまでのことを思えば、
ほとんど別れた級友との出逢いは無かったんだ。
そう思い付く。友達を捨てて仕舞ったと思われているのではとの思いで、
下を向いて歩いていたからかも知れないね。
余り振り返って考えもしなかったんだし、出来なかった。

転校した後の二年半程、そして高校に進学した後の一年程を、
気重く過ごした街、浦和別所。
開けっ広げに過ごしていた公立中学での八か月程とは、
比ぶべくも無いけれど、合わせて過ごした四年間程。
それはばあちゃんが傍に居てくれての思い出でもあった。

育ての母も役所勤めで、安定所が長かったよう。
労働省の管轄で国家公務員。運動をして埼玉の方に転勤を希望して、
何月頃から一緒になったかは思い出せないけれど、
父親にしてみればばあちゃんに任せておけば心配は無し。
接待接待で毎日私たちが寝て仕舞ってから帰るが日常だったよう。
タクシーチケットで何て言っていた。
困ったときには直ぐに登場するばあちゃんでした。

私をかまってかまって、何か可笑しな方向に連れて行く父親。
何を考えているのか分からないひとだったけれど、思い浮かんだこと。
分かり切ってはいるけれど、だから深くも考えずにいたけれど、
じいちゃんもばあちゃんも津軽の生まれだけれど、
じいちゃんは講道館柔道を修めた方で、柔道教師として樺太に渡った方。
ばあちゃんも付き従った。
それで父親は樺太生まれだ。人となりに何か影響が有るのやら。
改めて考えてみても分からず仕舞いだ。

思い連ねでばあちゃんのことを考えれば、
短く終わった公立中学のことに思いはつながって行くんだけれど。
まだ元気だったばあちゃん、
ばあちゃんが居て学区の学校に通っていれば何の心配も無い。

余り考えないようにしていた、
あの頃の生活を見つめ直せば楽しい思い出ばかりだ。
続いていれば良かったのにと思ってもしょうも無いことだ。

不意に入学前にいきなり父に怒られたことが思い浮かんだ。
学校の教科書を何処で買ったか知らないけれど、
同じ官舎の中に新入学の女の子が居て、教科書に間違いがないか、
見合わせて貰えの一喝。早速出掛けて付き合わせれば間違い無し。
私はのんびりしたもので、父親が独りてんぱってたやら、何でかな。

それで一喝つながりで思い連ねるんだけれど、
浦和の駅から官舎に向かった初めての日かな、
まだ転勤は出来て無かったと思うけれど母もいて、
弟と父親と私の四人連れだったはずですが、途中の氷川神社の近くで、
昼時だったのか食事をしようと食堂に入り食事を取った。

弟は炒飯だったかな、私は何の気なしでそんな気持ちで、
五目ラーメンを頼み食べた。
食べ終わって外に出てからと思うけれど、
引っ越しで金が掛かる時に五目ラーメンは、贅沢だと怒られたっけ。
細かい言葉は忘れたけれど、そんなことだったと思う。
気配りの出来ない男の気配りの出来ない初めかね。

まっ、そんなことはあったけれど、何の気まぐれか近くに絵画教室があり、
通わせて貰ってた。都会の子供の生活の友達同士のお話しの、
お洒落な感じを田舎もんの私は実感してた。
でも私立学校に転校しての少しでも出費を抑えようと言うことで、
ない話しになって仕舞ったっけ。
明るい教室との思い出だけだった。
~~続く

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