Notes of a Dirty Old Man For Introuction

畏いなるものの呟きに、何故にクーデターのことを調べろとか、
書けと言う思し召しが、
現れたのかは私には分からないことですが、
私に時偶に現れる精神の不安定への対処法なのかも知られません。
人となりの形成の途上で、不安定から抜け出す為には、
自由でいることが必要との思し召しかも知れない、だから渡比も。

2010年から12年に掛けての或るブログサイトでの書き継ぎの時には、
特別な現われには気が付かずに書き出しましたが、
09年の八月より始めた霊氣の癒しの力の内で始まったのかも知れない。
書くこと自身が精神の安定に資することと信じておる私ですし。
そして書きものを中途にして12年の八月には渡緬し二年程瞑想院に居た。
もちろん精神の安定に良いものと信じてのこと。

今回のことは16年の年初に二度目の短く終わったミャンマーより帰って、
京都に帰れず大阪に足止めをくらい、
17年の年末に或る方とのご縁で始まったこと。
最初の渡緬より帰って思ってもいなかったトラブルで少しでも良い方への、
思いは思い叶わず帰って不安定になっての果てのこと。

思い立てば止まらぬ質ゆえ、またの渡緬出掛けてが体調不良を招いた。
そんな心身を持っての大阪西成暮らし。
そんな中でも気の合う方との出逢いが書きものへの道を開かせてくれて、
17年の年初かな短い書きものを仕上げ、
彼女がパソコンでの仕上げをしてくれたんだ。
短期間で終わりましたが、書きものへの思いをまた持てた。

その年末には或るフィリピーナとの出逢いがあり、
翌18年の四月の渡比へつながった。
出入りは有ったにしても二度の長期滞在が有り、またトラブルがあり、
特に何がと思った訳では無いけれど、フィリピンの皆さんの気持ちは、
ホスピタリティーは知っておりましたから、
癒しが欲しくて出掛けたのでしょう。
まっ、
それに付随しての悪さは知っておりましたが、お約束のようにはまった。

そして少しは利口になったつもりでの渡比、
19年の年末より20年の七月までの二度目の長期滞在でのこと。
サントニーニョ教会近くの同じ名のレジデンスに住まいしてのこと。
精神の不安定を癒したい気持ちがあり、
トラブルでいよいよ不安定になり、また安定へと、
書きものとの縁を持たせる為に畏いなるものの呟きを聴かせる。
人生は回る回る merry-go-round かね。

帰国しての後は揃えるものを揃え、調べものを調べプロットを考え出した。
そして翌21年三月より始めた初めての書き下ろしの入力。
いろいろ有りましたがあらかた片付けて22年の年末に掛けて、
また短いものを仕上げてさる出版社に送った。
今度はパソコン教室の先生に手伝って貰ってのことでした。

そして体調絶不調を乗り越えて、
23年三月末の頃より二冊目の書き下ろしの下書きを始めた次第です。
クーデターとの課題を与えられての宿題のようなもの。

不思議なことに、長い人生の中で何回か思念に上ったことがありまして、
最初は数度の軍部によるものに眼が行きましたが、二・二六に注目し、
他にも三島のことなどを読み直しておる内に、
昨日も書きましたが忖度忖度ばかりの不完全な国、日本が大きく思念の内。
そして自由を欲する方が多い国なのでは有りませんかと思って仕舞った。

真から自由を希求する心。
忖度忖度と締め付けられるようで、息が詰まりそうな生活。
この二つを少しく深く考えてみるのも一興かと思う次第です。
誰も考え進めない視点を求めて。
~~続く

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