Notes of a Dirty Old Man

蒸し暑い日が続きますが、
急に暑くなり腕を出して寝ておりましたので、
昨日書きものをしている内は左程ではなかったものを、
終われば緊張が解けてか少し具合が悪くなり、
だらだらしてた。

しかし年末からの体調不良は眼に見えて体力の低下を露わにする。
歳は取りたくないものだ。
そんな中でも時は経って行くのだし安部さんの無くなった後の、
世の中の荒みようは明白で、
上に立つ者の資質の違いでこんなに違うのかと愕然とする毎日。
あべが~、ですか何処に消えたのか知らないけれど、
新しい方はよっぽど素晴らしいお方なのでしょうね。
宜しくないとの声は聞こえてこないし目にしない。
善き世の中の出現なら、喜ばしいことだけれど。

横になっていればつまらないことばかりが思念に上ぼりくる。
こんなことを書き出せば書き下ろし第二作のプロットになって仕舞う。

それはさておき、
あの頃はいろいろと面白く無いことが胸の内で、
正常な判断何て望むべくも無く、ただ行き当たることに深い考えも無く、
対処しただけのこと、だったのでしょう。
現場の仕事は二十年近くやっていればそこそこにこなしたにしても、
ただ行き掛りで上に立っても、埒も無く直にとん挫するは自明のこと。

今になれば私は仕事は出来ない人間と自覚する。
ちゃんとした会社に就職したこととて無く、新人研修なんて知らない。
もちろん現場仕事の研修はしたんだし、洋裁学校でパタンの見方は、
教わった。

上に立ってみて経営のことを何も知らないが身に沁みた。
後悔先に立たずの見本だ。
あの時が書きものの仕事への道の最後の決断の時だったのでしょう。
工場を人手に渡す前のこと。
私だけが東京に出て、しばらく家族は父に任せておく。
ていの良い離婚の一つの形だったのかも知れないけれど。

親父を追い出しての後に、
私の仕事の進め方で、朝言ったことが直に変わると度々言われたのを、
思い出すのだけれど、
精神の不安定の現われだったのでしょうね。

そんな時に出入りのタクシー会社の方が見えられ、ビーパルですか、
今もあるのでしょうか、旅行雑誌を持ってきてくださり、
或るページの隅のコラム、父親の投稿で、奥尻島に住まいしているよう。
樺太生まれの方故、そんなところに住まいする。

娘がたまに逢いに来るなんて、いつ出来たやら、二人の男の子だけのはず。
持ってくる方も待ってくる方ですが、
噂って知らない所を走り抜けるのでしょう。
何なんだが胸の内でした。
何とか工場をしたいと思ってる矢先のこと。

私は田舎にいる身でバブルなんて知らずにおりましたが、
訣別の前のことだっと思いますが、
何回となく或る問屋さんを介して、
ポーラ化粧品での通販のものと聞いておりましたが、
女性用のパンツをまとまった数で頂いておりましたが、
工賃が3000円のもの。工賃は上代の10パーセントと聞いておりましたので、
上代は30000円だったのでしょう。
男の私はズボンの三万円のものなんて履いたことないし、が冗談口で。
それが私が知るバブルの現われ。

そしてその後にくる大不況に備えなくてはいけなかったのでしょうが、
他人の奥さんと仲良くしている場合じゃないよね。
めっきりと良い仕事が少なくなり出していたようでした。

そんなことを考えれば俺が俺がと上に立つ時じゃ無かったんでしょうね。
そんなことを考えられれば苦労しない。
周りは何も見えていなかったのでしょうね。
にっちもさっちも行かなくなり、
従業員に迷惑を掛けたくないが言い訳で、
さる方を介して工場を或る会社に譲った。
~~続きます。

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