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20代自分史…夢を追って叶わなくて前に進んで倒れて-part3

自分語りです、特に抑揚がないので、つまらないと思います。

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24歳 平成24年 2012

新卒入社した会社を辞めて専門学校に自分の一年間で貯めた資金と親の支援を受けて入り直した。

応募締め切りギリギリで応募した。二次募集だった気がする、詳しくは覚えていない。面接が通り普通に合格して再度学生になった。

一年になり。社会人経験あるし、という変なプライドが自分のモチベーションとなっていた。自己紹介の時に1発かましてやろうと映画は3000本観てますと豪語したら、周りの生徒たちにドン引きされ、そのあとしばらく映画3000本の人と呼ばれるようになった。実際のところは3000本新作を見ていたわけではないと思う、あえていうなら3000回観てるという意味だったが脚色した結果それに足を引っ張られ自分でも取り返しがつかなくなった。勢いとは怖い笑まぁ変人のレッテルを貼られるのはなぜか好きな方なのでまぁいいかと思ったりもしていたし一応それを言われて事あるごとにいや実際は〜って言っていたが全く浸透しなかった。あとこれを読んでる俺の同期の専門学校時代の同級生よ、俺はそんなものである笑笑とりあえず連絡を取ってみてくれ。

そして一年では初期にちょっとした映像作品とPV制作とドラマ制作の三本を課題で作る事になったわけだがPV制作においてはまぁまぁの成績だったが評価は学年で二位に終わり割とその場では落ち込んだりもした。まぁただの自分自身の過大評価とプライドだった、今思うと早めに傷つけられて良かったと思う。ちなみにちょっとした映像作品とはグループを組んで同じグループの誰かを映像で紹介するという作品である。まずまずの紹介だったのではないかなと思った。まぁこれは楽しく作れたのが大きい。ドラマ制作はホラー映画を撮った。これは後に映画祭で上映される事になり助監督として自分を映画業界に連れて行ってくれた作品でもある。企画は、同グループにいた友達の企画と潰し合いをして結果勝ち取ったような形になった。自分としては完全な自分のオリジナルではない所に引け目を感じていたのと潰した形になった友達に対して申し訳なさもあったが周りのみんなが自分の完全なるわがまま放題をなんとか許容してくれて完成までこぎつける事が出来た。この場を借りてみんなにはありがとうと言いたいのと本当に迷惑をかけてしまったように思う。でもありがとう。

そんなこんなで一年はあっという間に過ごしたし夏に何をしたのかとか一切覚えていない、それだけ充実していた、という事にしたい、というかする。うん。


まあ学生って、自分のやりたい事を模索して見つける時期でもあったとも思うしそういう意味では自分は映画が作りたい監督したい、それだけだった。そういう意味ではそういうモラトリアム期間だったように思う。

読んでくれてありがとうございます!自分もめちゃ嬉しいです!笑笑、良ければフォローよろしくお願い致します^_^