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【おすすめ本】1945年。兵士に出発の時は訪れなかった(島尾敏雄/島の果て)
今週もこんにちは。四月、新生活という方も多いでしょうか。ぼくはセーターをクリーニングに出そうと思っています。春ですね。
さて、今週ご紹介する本は戦争文学です。島尾敏雄(1917-86)は神奈川県生まれ。終戦時には奄美群島で特攻隊を指揮していました。島からの出発=死という状況下で、しかしついに出発の指令はこなかった。そんな壮絶な経験を描いた八篇を一冊にまとめた短篇集です。
▼▼今回の本▼▼
本書に収められた作品の執筆時期は1948年から1967年の約二十年間。文章のスタイルや戦争に対する捉え方もその中で大きく変化しています。作品自体も、童話風やドキュメンタリー風、私小説風などバリエーション豊か。
ぼくが好きなのは、戦後まもない1948年に書かれた「島の果て」と「徳之島航海記」です。特に「徳之島航海記」は、作者のおかれた極度の緊張がはりつめた文章からじわじわと伝わってきます。
而も私が一番心配であったのは、何と言っても私自身の臆病心であった。(…)その対策としては、前以て一切を準備して置くことだ。(…)だから不要なものは一切身辺に置かなかった。下着類も制限した。靴下が三足程、ふんどしが五枚、肌着のシャツの小が三枚、大が二枚に、気温の高低に応じて使用する毛のシャツが一枚。
(全然関係ないけど、洗濯が大変そうですね……)
この頃に書かれた短篇は、文章もシンプルで、自分の弱さや置かれた状況への焦り、切迫感がより素直に表現されている印象です。
「早まってはいかんよ。午後一時には戦争が終わるんだ。余計なことを考えてはいけない。何としてでも生き延びるんだ」
そう言いながら、私も生きたいと思った。
戦争が終わり、作者が生き残ったことを知るシーンもいい。
私は混沌とした気持の中で私の身体中の生命の子らが光の方に指や顔をさし述べて行くむずがゆさをどう処理していいのか分からないでいた。
終戦から15年がすぎた後半の作品になると、色合いが変わり、描写よりも作者の内面に焦点がうつる。凝った文章が増えていきます。これはたぶん見方の問題ですが、自分の弱みを隠しているような印象も受けます。
いい文章はすごくいいです。少し長いけれど、以下、同じ島に住んでいた部落の人たちを家に帰すために見送るシーン。
待ちかまえていたように太陽は急速にかたむきはじめ、子どもたちは、部落にもどるためになぎさ沿いの小道を、歩き出したが、私たちは老人を疲れさせないために伝馬船を用意すると、乗れるだけの者が立ったままでつめこまれ、夕凪の静かな入江面を部落の方に直線に漕いで行った。船の中の部落の人々は一様に、離れて行く岸に残っている私たちの方を目ばたきもせずに眺めた。吃水が浅いために、辛うじて浮くことができた板切れのように見え、黄みを増した落日直前の太陽が彼らの行手にまともにふりそそいだ。個別の表情をあらわしていたそれぞれの顔は、やがて見分けがつかなくなり、金いろの光にまぶされたからだがお互いに溶け合って一つになり一瞬のあいだ輪郭だけが強く浮き上がったかと思うと、彼らのすがたは、薄墨色のおだやかな夕暮れ時の大気の中で、貧しく望みのうすい生活が待つ部落のたたずまいの方に溶けこみ、それをいつまでも見ていた私はこちらの岸に取り残された。(太字は筆者)
よくこんな瞬間を捉えたな、と息をのみます。本書は、島尾敏雄というひとりの人間が、戦争を、そしてその記憶を、どのように捉えたかという記録でもあるのでしょう。
(おわり)
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