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とある豆料理(フェジョアーダ)の歴史【ファベーラ滞在記】

このマガジンは、ファベーラ(ブラジルのスラム街)の滞在記です。スラム街と聞くとこわい場所のようですが、そうではなく、普通の人が普通に暮らすまち。その面白さを毎回一話完結でご紹介します。

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今回のテーマはおひるごはんです。まずはこちら。

ある日のお昼ごはん。

ワンプレートに、トマトソースのスパゲッティとコメ、そしてなにやら黒い豆料理が載っています。これはフェジョアーダです。フェジョアーダは黒豆と肉の脂身を煮込んだ料理で、味は塩辛め。

この料理の歴史がなかなか面白いので、ご紹介です。

そもそも、マメ栽培は18世紀に入植者のポルトガル人たちによってブラジルへ持ち込まれました。管理が楽で、栽培にかかるコストも比較的低いことから普及し、19世紀には貧しい人も含め、広く食べられていたようです。

このため、一般的に、フェジョアーダは奴隷の料理だと言われています。アフリカから来た黒人の奴隷たちが、雇用主に献上した肉の余り(脂身)を使って作り始めた料理。だから、農作業で汗をたっぷりかいても塩分摂取できるように塩辛いのだと。

しかし、これとはまったく別の説をブラジルの歴史学者らが唱えています。研究者らによると、当時の奴隷たちはムスリムも多く、肉と肉以外の食材を混ぜて食べることはしなかったと言うのです。当然、ムスリムなので豚肉もNG。

では、どこからこの豚肉とマメを混ぜて煮るという発想が出てきたかというと、ヨーロッパの同様の料理(パエリアなど)を見て、マメで同じことをやってみようと思ったのではないか、と研究者らは言います。

ヨーロッパの文化に触れられるのは豊かな人たちなので、フェジョアーダを作ったのは都会の富裕層たちだった。その証拠に、文献に残る最初のフェジョアーダは、1833年のリオデジャネイロは街角のシックなレストランのものだそうです。

では、なぜそんな料理が奴隷考案のものと間違われてきたのでしょうか。ブラジルに長年関わってきた岸和田仁氏は「黒人奴隷女性たちが自ら工夫してフェイジョアーダのレベルを上げていき、その事実から自然と「黒人女性が創り上げた料理なのだから、フェイジョアーダはセンザーラから生まれたのだ」という民衆理解が一般化したのではないか」と書いています。

はたしてフェジョアーダは奴隷の料理なのか、それともお金持ちが考案したブラジル風パエリアなのでしょうか。最近の研究では、後者の説でほぼ間違いないそう。広く食べられている国民的料理なのに、真反対の歴史が発見されたというのが面白いです。

一人だけで食べることは少なく、大人数で食べることが多いので、僕がいた北東部ではお祝いで供されたりもします。上の写真は、だからちょっと豪華なお昼ごはんですね。美味しかったから、また食べたいな〜

ごはんのことは色々面白いので、また書きたいと思います。

今日はこのへんで。

(おわり)

参考文献
Elias, R. "Feijoada: a short history of an edible institution". Brasília: Ministry of External Relations, 2008. Retrieved from https://sistemas.mre.gov.br/kitweb/datafiles/KualaLumpur/en-us/file/revistaing13-mat06.pdf retrieved on 10th February, 2023.
岸和田仁. "国民食フェイジョアーダの歴史を散歩する". 日本ブラジル中央協会. 2023年2月12日閲覧. https://nipo-brasil.org/archives/1239/


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