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【おすすめ本】哀しい話なんて、読まなくても?(大岡昇平/野火)

今週もこんにちは。もう八月ですね。時間が経つのを早いと思うタイプの人間ではないのですが、時々ハッとさせられます。

だれかに本を勧めるのは勇気がいります。本は読むのに時間がかかるし、人によって好みも違う。大岡昇平「野火」(1952年発表)は最後まで迷ったけれど、八月というのもあって、紹介することにしました。

▼▼今回の本▼▼

太平洋戦争下、フィリピンで結核にかかり、軍隊を追放された主人公の田村。本作は敗残兵となった彼が生死の境をさまよいながら、正気と狂気の間で揺れ動くさまを描いた戦争文学です。とくに、克明な状況描写の緊張感は見事。

或る時、川は岸からかしいだ大木の蔭で、巨大な転石の間を早瀬となって越し、渦巻いていた。私は靴を脱し、足を水に浸した。足の甲はいつか肉が落ち、鶏の足のように干からびて、水に濡れにくかった。

大岡昇平. 野火. 新潮文庫, 2010(1952), p.46.

鶏の足のように干からびた足。この比喩ひとつで、田村の置かれた状況の厳しさが伝わります。深いぬかるみを渡るシーンでは、敵兵にみつかると撃たれてしまう極限状況が、映画を見ているようにクリアに描かれます。

泥はますます深く、膝を越した。片足を高く抜き、重心のかかった他方の足が、もぐりそうになるのをこらえ、抜いた足で、泥の上面を掃くように、大きく外に弧を描いて前へ出す。

同上, p.111.

田村には、仲間の日本兵への仲間意識すらもはやありません。自分が生きのびることだけが(あるいはそれすら剥落したあとの空虚が)唯一の命題となっている。人間を人間と見ない視線の恐ろしさ。例えば、次の文章です。

生きている人間にも会った。(…)彼はへたへたとそこへ坐った。私は彼の身につけたもので、私の持ってないものは何もないのを、ゆっくり眼でたしかめてから、通り過ぎた。

同上, p.123.

内容が濃いので、薄さのわりに本作を読むのは時間がかかります。どうしてこんなかなしい話を読んでいるのだろうか、と思いました。一日働いて、体はヘトヘトに疲れているのに、この上なぜさらにかなしい思いをしているのだろうかと。

でも、他人のかなしみを知るのはとても大切なことだと思うのです。
そのひとに優しくあるためだけでなく、自分自身のために。

田村は平凡な人間で、2023年を生きる僕と似た部分も、異なる部分もある。自分だったらどんな気持ちだったろう。田村と同じ行動をとっただろうか。そうやって人との差分を測りながら、僕は僕のかなしみを作っていくんだと思いました。

(おしまい)

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