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氷の女王の罠の中で

水彩画の新作です。


『V pasti ledové královny』39,5 cm x 25 cm


暑中お見舞いを出す時期ですから、何か涼やかなものを描きたいな、と思って仕上がったのがこの絵。
…全然さわやかじゃない…。見て涼んでいただけるようなものは仕上がりませんでしたが、ま、私の絵は大抵こんなもんです。

もし、誰かのためでもなく、注文でもなく、技法を練習したいわけでもなく、描きたいものがないかもしれない状態で「とにかく何か描いてろ」と言われたら、私は間違いなくこんな感じの絵を描き続けていることでしょう。

体はひゅるーんと長くて、頭髪は無いか上に逆立っていて、裸。

自分はこういった絵で、一体何が言いたいのかなぁ…悩んでいたわけじゃないけれど、漠然とした疑問に答えが出せたような気がしたのが2017年の個展の際にコンセプトを考えていた時。

国籍、年齢、性別。そういった描かれている人物のラベルを指定できるシグナルをはぎ取ったものを、自分は描きたいのだと思うのです。

髪型や服装は国籍や性別を暗示します。
「年齢」は「表現しない」のが難しいと思いますが、成長した体で年老いた顔でなければ幅が広いです。

なぜこんなに細い人物を描くのか。
それも性別と関係しています。
以前は単に細い体が好きだからだと思っていたんです。
でも、それもちょっと違うなと思い始めたのが、ボディポジティブに感化された時期。ありのままの自分の姿を認めよう好きになろうというボディポジティブの考え方に触れ「自分の描いているほっそーい人物画は世間に悪影響なんじゃないか」と思い、わざと肉付きの良い体を描こうとしていた時期があります(本来、ボディポジティブはふくよかな人だけでなく、自分の体が細くて嫌だ、という人も自分を認めて行こうよ!という運動だ、と今は理解しています)。
そして、気がつきました。
肉付きの良い体を描きながら、性別は無視できない、と。
幼児でない限り、人の体に肉がつくと良くも悪くも性の「らしさ」が出ます。
そんな時期を乗り越えて、ひゅるりと長細い表現に還りました。

もしかすると、上記の内容を不快に感じる方がいらっしゃるかもしれません。
あくまで自分の絵のコンセプトの話です。
偏ったものを描き続ける傾向のある人間の言い訳・開き直りだと思っていただければ。

2018年には続編とも言えるようなコンセプトで個展を開きました。

実はこれが今のところ最後の個展です。
もう四年前ですね。今現在、予定もありません。
個展がしたいかどうかも、自分でも分かっていません。
展示して、オープニングでパーティーみたいなことやって(本心ではないかもしれないけど)「いい絵ですね」って言ってもらって…そういう形で絵を見てわなくても、別にいいのかな、と思っている自分がいます。
ただ、撮影したりスキャンしたりすると色がだいぶ本物と違いますから、それを見てもらえたらな、見たいと言ってくれる人がいたらいいな、という思いがあるのも事実です。


まったくもって、涼やかな内容になりませんでしたな。ともあれ、皆さまにとって、少しでも過ごしやすい夏となりますように。
日本も世界も予想できない事件のオンパレードのように見えますが、外からの情報だけで自分の精神の軸がブレてしまわないように気をつけていきたいなと思う今日この頃です。
昔、ある日本の脚本家と話していたら、「事実は小説より奇なりって言うけどさ、みんな想像力足りねーよなって思うんだよね」とおっしゃっていた。想像力は彼の足もとにも及ばないだろうけれど、変な事件にはちゃんとショックを受けられる感受性は保っていたい、と思うのです。

話の内容がブレにブレてきたので、この辺で。


豆氏のスイーツ探求の旅費に当てます。