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【田舎暮らし編①】自然の中での暮らしで、見えてきた水との付き合い方

みなさま、こんにちは!
Umeです。
 
連日暑い日が続きますね。体調など崩されていないでしょうか?
 
こんな時こそ雷君が言っていたように、本当に体に良い水をたくさん飲んで、暑い夏を乗り切っていきましょう。
 


前回Umeは、ヴィクトル・シャウベルガーは自然を熟知して、水の特異性を発見したと書きましたが、自然の中にいることでしか見えてこないことってあります。
 




Umeがシャウベルガーに強く関心を持ったのは、彼を知るその少し前に、自分も人生初の自然に揉まれた生活を経験していたからでした。
 
シャウベルガーの自然とのかかわり方は、Umeにとって学ぶべきことがとっても多い視点なのです。
 
今回はそんなことを思うに至るきっかけとなった、まだ若かったUmeの田舎暮らしエピソードを綴っていきたいとおもいます。
 

 
▶︎Ume、田舎に住まう
 

199X年。UmeはI県の秘境、M村に寂しく佇んでいました。
 
まだ30歳なりたてほやほやの時、UmeはI県の山奥で、なぜか田舎暮らしをすることになったのです。
 
どこを見渡しても、山、山、山・・・
 
それまでは東京のK市で優雅に暮らしていたUmeでした。
 
ちょうど同時期に田舎暮らしをするため南伊豆に引っ越す友人は確かこう言っていたんです。
 
「大丈夫、日本ってね、どんな田舎でもゴミの収集だけはあるんだよ!」
 
彼女は田舎暮らしをすべく全国を駆け巡っていて、住む土地を探し回っていたため、その言葉には強い確信が込められていました。
 
にもかかわらず、その村にはゴミの収集がなかったのです・・・
 
それだけ辺鄙な場所でした。そういえばついこの間まで土葬だっていってたなぁ。。。



もちろんコンビニはありません


 
東京から一気に囲炉裏がある小さな古民家への暮らしっぷりは、ごみをすべて自分たちで処理しなくてはならない現実からのスタートとなり、豊かな自然を味わう喜びも感動もあまりありませんでした。
 
そしてその日から、自分が今まで持っていた価値観がほぼ役に立たない日常がはじまったのです。
 
毎晩カエルの大合唱を聞きながら、布団の中で不安と闘っていたことが懐かしく思い出されます。
 
 
家には、ついこの間までこれで煮炊きしていたんだよ~と大家のおばあちゃんが教えてくれた小さなかまどが健在で、Umeはそれを見ても最初かまどだとはわかりませんでした。

カルチャーギャップが大き過ぎるww
 

 
そんな怒涛の1年があっという間に過ぎ、最初は頭を抱えたくなるような文化大革命の洗礼を受けつつも、ここはひとつ自分は外国にいるんだと気持ちを持ち直したくましく健気に生きていくうちに、

「こういう暮らしも悪くないんじゃない?」

と思えるくらいまで余裕が出てきたのです。
人間の順応力ってすごいですね。
 
 
そんな頃、水の問題が我が家に浮上してきました。
 


▶︎私たち一家が出す生活排水

 
当時の田舎家は少し高い場所にあったのですが、生活排水は家の横の低い場所にある田んぼの脇に、非常に簡素な排水管を伝わってそのまま流れ込んでいました。
 


きっと昔の生活であればそんな簡素な排水機能でも充分だったのかもしれません。でも我が家は東京の生活をそっくりどっかり持ち込んでいました。
 
台所の汚水も、洗濯排水も、お風呂を抜いた水も、すべてすべて、ぜ~んぶその田んぼの横に流れ出ていっていました。
 
それが1年も経つと、田と畔の区別もつかないほどに溢れかえっていたのです。

自分たちの生活排水がすべて見えてしまうのは、隠しておきたいものが露出しているような、目を背けたくなるリアルな生々しさがありました。
 
東京に住んでいた時に子供が生まれたこともあり、合成洗剤はすでにやめていました。
 
しかし良いと思い使っていた石鹸は、お米のとぎ汁との相性が意外にも合わなく、石鹸ととぎ汁が合わさった水は土に染み込む速度がとても遅いのです。
 
さらに、
 
全自動の洗濯機から出る排水量の多さがとてつもなく、日々洗濯することに罪悪感まで出てくるありさまでした。
 
どんな洗剤を使うのか?などという以前に、この生活排水の量の多さはいかんともしがたく・・・これらすべてをひっくるめて何とかできないかということを、毎日必死に考えました。
 
そしてある時、排水で溢れかえる田んぼを見下ろしながら決めたのです。
 
流れ出る排水を水だけにしようと。
 


▶︎生活排水をなんとかするために、生活の在り方をもっと変える。これ以上さらに?!

 
洗剤の類を一切使わなければ、すすぎの水が節約できます。排水量は一気に減らせないまでも、せめて清涼な水が溜まるのであればまだマシ、という自分なりの苦しい結論に達しました。

そしてこの誓いがUmeたち家族の生活スタイルを、もう一段階ストイックに変えさせることとなったのです。
 
 
お米のとぎ汁を出さないためにまず最初に行動したことは白米をやめ玄米に切り替えることでした。そしてそれを機に我が家は玄米菜食となりました。
 

そうなるととことんやりたい性格が災いして、冷蔵庫も必要がないんじゃない?となり、わざわざ隣町の電気屋さんまで持っていき廃棄までしてしまい!

電気代が大幅に減りました。
 
洗濯もすすぎ無しの1回洗いだけに。当時読んでいた「BE-PAL」というアウトドア雑誌で、今でいう『洗濯マグちゃん』の原型みたいなのを見つけて購入し使っていました。
 
お風呂でのシャンプー、ソープもぜんぶなし。たまに塩で洗うだけです。
 
玄米菜食のおかげで身体から余計な油分が出なくなり、
 
体臭激減→衣服汚れなくなる→洗濯に洗剤が要らなくなる→おかげで身体がお湯だけでキレイに!
 
というエコで不思議な生活循環が確立されました。
 
こんな生活をするうちにUmeたち一家はみるみる縄文化していき、
 
当時の我が家を知る友人達からは、「日本のチベット」「洞窟にも住める」と誉め言葉?をもらうほど、土着的かつ原始的となっていき、毎日囲炉裏の煙にいぶされていたおかげもあったのか、全員どんどん健康になっていきました。
 
ここまでくると自分たちもどこまで縄文化できるのかを突き詰めたくなり(若かったですねー)、土と火と水が身近な、ますますアグレッシブなライフスタイルを構築していくようになっていったのです。
 
 
《次回につづく》


パーマカルチャーのすべての実践はできなかったけど、考え方やアイデアなど
かなり役に立ったしヒントが一杯。
この本を翻訳をされている田口先生が比較的お近くに住んでおられ、
当時は色々お話をお聞きしにいってました。


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