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『グリットマン ユニバース』感想 「大人」が不在な世界の物語

『グリットマン ユニバース』を見ました。
Twitterでも絶賛が大多数だし、友人からめちゃくちゃ推されるし。
ここで、グリットマンブームの波に乗らなくては…!という強い使命感から見てみた。もうマイノリティにはなりたくない。

結論から言うと、世間で言われているほど、自分の中では名作にはならなかった。作画はめっちゃ良かったし、ヒロインの立花はどちゃくそ可愛いし、ラブコメも最高。でも、なんだかなぁ…

すごく良い素材を使った料理なのはわかるんです。最高級のステーキ。多くの人が絶品と感じるクオリティで、だからこそ世間的にもウケてる。
でも、自分はどんなに美味しくても、ステーキ自体を求めていなかった。
『孤独のグルメ』での「あのハヤシライスがない銀座」でステーキを食べてるゴローちゃん状態になってしまった。

『孤独のグルメ』 1巻p144より


「大人」の不在

この自分の求めているものと違う感じ、コレジャナイ感は、この映画だけの話ではなく、ずっとグリットマンシリーズに感じていたものだ。これが最後まで拭えなかった。それされなければ今までのシリーズもめちゃくちゃ楽しめただろうし、この映画も最高だったろう。


このコレジャナイ感について、原因をずっと考えた。最初は、「怪獣に翻弄される大衆を描いてないから」かと思った。個人的には、ヒーローモノには、絶対社会の反応が必要だと考えていたから。市民と一緒にヒーローを絶賛したいし、世界中から非難されても己が正義を貫き通すカッコいいヒーローもみたい。
それがないヒーローものなんて…という感じもした。

あとは、街中で車やらビルやらがぶっ壊れまくってるのに一切人間描写がないのにも違和感だし。いくら電脳世界と言えど、ご都合主義感がすごくてノレなかったのもある。


でも、よく考えたら、大好きで3回見に行った『シン・ウルトラマン』にも、意外と大衆描写はなかった。ウルトラマンが派手に壊すビルに、人間が映り込むことはない。人々から、ウルトラマンが非難や称賛がされることはほぼなかった。政治的にウルトラマンがどう捉われるかがストーリーになったパートもあったけども。

もちろん、要所で大衆は描写される。巨大化した長澤まさみへの反応だったりとか、それがSNSにアップロードされて拡散される様子とか。
「この世界は、自分たちと同じ世界なんだな」というアピールが、上手に行われる。ご都合主義な世界ではないアピール。現実感を視聴者にうまく、最小限のコストで感じさせていた。

だが、これは小手先のテクニック的な話で、大衆の反応が作品のドラマの根幹に影響していない、という意味では、『シン・ウルトラマン』も『グリットマン』も一緒だ。


じゃあ、この違和感の正体は何か。
それは「大人の不在」な気がする。

グリットマンシリーズでは、大人がビックリするくらい描写されない。学園ものなのに、先生すら描写されない。それはもう、徹底して。

もちろん、身体的・年齢的な大人は描写される。ガウマや、新世紀中学生たち。だが、彼らは、あくまでヒーローであり、現実世界で我々と同じく、「社会の一員として働く大人」ではない。ヒーローとしての責務しか持っておらず、それ以外の時間は橋の下で生活したり、居候したり。
そう、あの世界では「まともな大人」が一切描写されないのだ。

六花の母も描写はされる。だが、あれもあまりにも都合の良すぎる大人だ。子どものことを見守っている、といえば聞こえはいいが、普通、親ならあんな状況になって心配の1つもないのが逆に怖い。

本来なら、大人として、社会の中でのあるべき姿を説いたり、子どもたちを指導する、そんな役割のキャラが全然いない気がする。


要するに、物語が子どもたちだけで進んでいくのだ。だれも彼らを導かないし、彼らも教えを請わない。
よく考えたら、こんな作品は生まれて初めて見たかもしれない。

どんな作品でも、「大人」は必ず存在してきた。
ガンダムで言うとブライト艦長だったり。先程比較したシン・ウルトラマンも、社会に与えられた自分の職務を、現実の中で必死にこなす「大人」が描かれる。

大人が不在の少女たちしかいない世界、というトンデモ設定な『ブルーアーカイブ』ですら、プレイヤーである主人公、「先生」は大人という設定で、そのプレイヤーが物語を動かす。


別に大人キャラやおっさんがいるから、作品を見てきたわけではないが、自分の中で大事にしている要素なんだなと気づいた。

グリットマンみたいなヒーローモノは、非現実的なドラマ。だからこそ、その真逆の現実をしっかり描いてくれていないと、ヒーローになって怪獣をぶっ倒す、というフィクションの痛快さが感じられない。
そして、その現実の象徴である「大人」の存在が、現実の描写には必要だと思う。

子どもしかいない世界、それは「責任」も「義務」もない、お気軽な世界。そんな世界で繰り広げられる物語に自分は興味が持てなかった。


青春ラブコメとしての魅力が高すぎ

大人が不在な、ある意味無責任な物語を好きになれないと書いた。でも、それは世界を救うだ救わないだ、な物語になるヒーローモノとして見た時の話。

青春ラブコメなら、関係ない。なぜなら、青春ラブコメこそ、子ども同士の、当人たちの、関係性の中で生じるドラマなのだから。少年少女たちのラブコメに責任も義務もない。2人の甘い関係が見れればそれで良い。
「大人」なんてむしろノイズ。だから、今作品は青春ラブコメとしては凄まじい破壊力を持っている。

ダイナゼノンの感想の記事のときも書いたが、この製作陣は青春ラブコメを描く能力が高すぎる。尺的にはストーリの半分もなかったような気がするが、印象深いシーンはほとんど日常パート。

まず、女の子をかわいく描くのがウマすぎる。六花って、別に戦闘シーンで活躍しているわけではない。彼女の役割って実家という場所を提供しているだけ。

なので、見せ場としては数少ないはずなのに、かわいすぎる。
キャラデザが良いとか、そういう次元の話ではない(キャラデザも最高なのだが)。

多分、日常のさり気ない会話とか、そういったのの演出がうまいんだろう。その演出で味付けされた、「現実の女子高生っぽさ」が他のアニメ作品にはいないヒロイン像だから、ここまで魅力的に感じる。


あとは、会話のテンポも、特撮アクションものというより、青春ラブコメとして理想的だ。お互いの気持ちが揺れ動いて、会話が続かない感じ。
青春っぽい~!!

早口で早急に結論を喋らせたがる、庵野くん。見習いたまへ。


逆に、ラブコメパートはあのテンポで最高なんだけども、日常の会話シーンはもうちょいハイテンポでも良いかもと思った。
怒涛の戦闘シーンとのスピード差で脳がバグる。

あれだけ要素を詰め込みたいなら、それこそシン・シリーズみたいな怒涛のテンポにしても良いかも。


未来の人材が織りなす戦闘シーン

あとは、今作品の作画。これはもう、超弩級だ。貶す箇所が1つもない。

さすがのTRIGGER、さすがの戦闘シーン。
特に、3DCGと2Dアニメーションの切り替えがめちゃくちゃ上手。新時代を見たなぁという感じ。

しかも、これをサンライズじゃなくて、TRIGGERがやってるのが良い。原画クレジット見たけど、大張とかそういった過去の大型人材はおらず、恐らくTRIGGER内の人材だけで完結させている。

巨大ロボを描ける人材が、こうして若い世代にも誕生してくれるのは嬉しい。


そして、激アツなのが、それを支える動画陣。
当然、全員日本人で、海外委託なしの国産ラインナップ。しかも、関係会社が、知ってる顔ぶれ。タツノコプロやら、A-1 Picturesやら。

新世代のバトルシーンを、老舗のアニメ会社が支えている。
美しい構図だ。
スタッフクレジットが何気に一番感動したかもしれない。

タツノコプロのエースみたいな人材が動画やっていても熱いし、逆に新進気鋭の大型新人がやっていても熱い。勝手に脳内『SHIROBAKO』が展開されて、一人で熱くなっていた。
愛されてるよなぁ、TRIGGER。


自分には合わなかった

ずっと感じてきた違和感を言語化できたので、『グリットマン ユニバース』を見て、こうして感想記事を書けて良かった。
子どもである、アカネが作った電脳世界なのだから、大人がいないのは必然なんだろうけども、それはフィクションに自分が求めているものではなかった。

悲しいミスマッチ。
まぁ玩具が売れれば正義な世界だし、皆はこの作品を愛してるし、実際に玩具も売れているし…みんなハッピーな世界だ。

でも、富野監督とか先人が必死に作った、「子供だましじゃないアニメ」の真逆なアニメが大ブームになるとは…流行は循環するんですね。

そして、個人的にはここ最近流行ってる作品(ブルアカやら水星の魔女やら)を、みんなと同じように楽しめていた自分が、久しぶりにノレなかった作品になった。マイノリティはやはり寂しい…


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